海賊王に俺はなる!!

モンキー・D・ルフィ


瞑想について、ちょっと深い話をします
前回までは、さわりです


瞑想という言葉自体、それほど昔からあるわけではなく、歴史の浅い言葉といえるでしょう
正確なところはわかりませんが、少なくとも江戸時代以前にはありませんでした

日本の伝統文化の、禅や止観という概念におさまらない何かを表現しようとした言葉ですね


ギリシャ哲学には瞑想は無いんですよ
だから、西洋哲学の伝統では、瞑想は、方法論として採用されません

聖書にも無いですね
修道院などでは、瞑想は祈りじゃないので、神秘主義に分類されるそうです
昔のカトリックなら、魔女裁判にかけられるかもしれない、きわどい分野です

インドのウパニシャッドは瞑想だらけで、古いといえば古い
5000年位の伝統があります
インド文化からみれば、仏教は、インド式瞑想の一分野です
ヒンドゥーでは、お釈迦様はヴィシュヌ神の7番目の生まれ変わりだそうです

ヒンドゥー式瞑想は、神と我との合一が目的で、我はどこまでいってもなくなりません
仏教は、そこが違って、我は脳内世界ですから、我があるという素朴な感覚は顛倒夢想です


では、仏教の目的はなにか

この目的を、坊さんは毎日唱えています

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう
願わくは此の功徳をもって あまねく一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜんことを

「仏道を成就する」というのが、目的で、まあ、決意表明ですね

これが無いとですね
茫漠とした精神世界で、迷子になります


感覚器官を通じて脳内に形成される「脳内世界」になる前の世界が「真実の世界」なわけですが、見る、聞く、触る、前の世界ですから、どんなもんだかわかるはずが無いのです


般若心経では「空」のことを

不生不滅不垢不浄不増不減 
生ぜず、滅せず、垢つかず、浄ならず、増さず、減らず

と、してるわけですが、つまりは、生滅、垢浄、増減は、脳内世界で作られていると

大智度論では

一異同断生滅去来
一でも異でもなく、同じでも断でもなく、生ぜず滅せず、去らず来ず

と、これを八不偈といいますが、「空」を定義してます

縮めていえば、時間と空間は「脳内世界」なのだと


たとえばですね
「富士山」「芸者」「自分の家の玄関」を思い浮かべてください

この3つは、今、意識の上で同時に成立してます
それぞれに、スラスラと説明が付けられると思います
これ、「空」を脳内で再構成してるんですよ、今、あなたが

思い出でも、地球の裏の景色でも、夏に食べたアイスクリームの味でも
過去、現在、そして未来も、「空」のなかで同居してます

量子論でいう、Superpositionです

今、この文章を読んでいただいてる、あなたは、「真実の世界」では「空」ですから、本当は時間と空間の無い世界にいます
だから、死にません

ついてこれなくてかまいません(^^)
いずれ腑に落ちます



さて

捉えどころが無いから「空」なんで
捉えたら「脳内世界」です

で「空」から「富士山」「芸者」「自分の家の玄関」を引っ張りだしたように、「未来の自分」を引っ張り出します


「海賊王に俺はなる」
「最高の自分になる」
「皆共成仏道」

できれば、なりたいなぁ、ではなくて、なりきりがいいです
未来の姿をありありと明瞭に思い浮かべてください

それで
「家内安全」「身体健全」とか、神社仏閣の祈願は、なりきり言葉なんですねぇ





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