長保寺 国宝 本堂 折衷様式まとめ


長保寺、本堂(1311)国宝
日本の建造物が、異文化を取り入れて進化していく様子が、はっきりとわかります。
日本が異文化を取り入れる時は、どちらかを否定して一色に染めるのではなく、長所を組­み合わせながら、独自の落ち着きをもったものにしていくのがわかります。



粽柱(ちまきばしら)の粽は、お節句のお菓子のチマキの格好に似ているからです

内陣と外陣を、はっきり意識して作り分けています

内陣(唐様)詰組、粽柱、頭貫
外陣(和様) 間斗束、頭を切った柱、長押

全体に唐様は凝った曲線的なデザイン、和様はスッキリした直線的なデザインです。
日本では、杉や檜など、目の通った真っ直ぐ割りやすい木が手に入りやすかったからだと­言われています。
現代の日本のスッキリしたデザイン感性のルーツかもしれません。



長保寺の本堂から、日本人の外来文化の受容の姿がわかります。

従来からあった和様の工法である長押(なげし)は、構造的に弱く、平安時代の建造物は、ほとんど倒壊して残っていません。そこに大陸から貫(ぬき)で柱をつなぐ唐様の工法が取り入れられ、建造物が倒壊しにくくなります。
そして、在来の和様は、後から輸入された唐様といっしょに使い続けられます。

いい物はいい、と率直に取り入れるのですが、在来の文化を否定しません。そして、そこから、新しい創造を始めます。
それが、日本人の生き様だったということです。

700年前の日本人の生き方の物的証拠が、長保寺の本堂です。
今を生きる我々に、大きな示唆を与えるのでないでしょうか。



もともと、神社建築とか在来の建造物があったわけです
日本に大陸から建築様式がもたらされた、初めの頃は、日本式は日本式、中国式は中国式で別個の建物が造られます
それが、鎌倉時代に混じり始めます
初期のものは、意匠の違いが明確です

いろいろな建造物が造られていくうちに、だんだんと混然一体としたものになります
その、変化の道筋が、折衷様式の建造物があることで、非常にわかりやすくなっています


詰組が中国式 間斗束が日本式




柱の頭の部分が丸めてあります

粽柱が中国式 日本式は普通に切ってあります





差し込んで止める貫が中国式 横からおさえるのが日本式





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