瑜伽師地論が説く、生と死のはざま
諸説あり、というのが正直なところです。
生と死のはざまである中有は、説一切有部が「死有と生有のあいだに実在する身」として立てたもので、そこに有部の実在論的な発想が出ています。
唯識論は阿頼耶識が相続して次の生に連続すると説明するので、間に別の身をわざわざ立てる必要がありません。『成唯識論』では、阿頼耶識が有根身(五根とその依りどころ)を執受して保つことは説明していますが、中有を認めるかどうかを論の中心に据えてはいません。
唯識論の世界観の中では、中有は重視されることはありませんでしたが、追善供養、年忌法要などにつながる考え方として、受け継がれています。
個人的には、中有の説は理論構成上必要とされたので構築されたが、追善供養など社会的需要に応じて細部が組み立てられた、という見立てです。
死と生をつなぐもの、としては、当然必要なのですが、その実際の姿は、まあ、死んだらわかるのでしょう。伝統的な追善供養は、いずれにせよ、増上縁とはなりますので、お勧めしておきます。
四有とは、有情の生死流転を四つの段階に分けて理解する説一切有部の枠組みです。
四有の内容
| 名称 | 梵語 | 内容 |
|---|---|---|
| 生有 | upapattibhava | 次の生に結生する刹那(受生の瞬間) |
| 本有 | pūrvabhava | 生有の後から死有の直前まで(一期の生涯) |
| 死有 | maraṇabhava | 命終の刹那 |
| 中有 | antarābhava | 死有と次の生有の中間に存在する状態 |
死有の直後に中有が生じ、
中有が次の生縁を得て生有に転じ、
そこから本有(通常の生涯)が始まり、
再び死有を迎える。
この循環が繰り返されます。
瑜伽師地論の中有の説明は、この四有のうち特に中有と、それに続く生有への移行過程を詳しく説いたものです。
瑜伽師地論の「死生同時,如秤兩頭」という記述も、死有から中有・生有への無間の連続を示すものです。
なお、中有を認めない学派(大衆部や一部の上座部など)では、死有の直後に直接生有が生じるとし、四有のうち中有を立てません。『瑜伽論』や有部・倶舎などは中有を認める立場です。
中有についての記述は《瑜伽師地論》卷第一・本地分中意地第二之一(中有の説明の箇所)にあります。
該当箇所は、死生の過程を説く中で「中有(中陰)」について述べている部分です。生縁が得られない場合の中有の存続期間について、以下のように説かれています。
又此中有,若未得生緣,極七日住。有得生緣,即不決定。若極七日未得生緣,死而復生,極七日住。如是展轉未得生緣,乃至七七日住,自此已後,決得生緣。
(またこの中有は、もし生縁を得なければ、極限で七日住する。生縁を得れば不定である。もし極限の七日に生縁を得なければ、死して再び生じ、極限で七日住する。このように展転して生縁を得ず、乃至七七日住し、これより以後は必ず生縁を得る。)
この「極七日住」を繰り返して最大「七七日住」とする説明が、後の東アジア仏教における四十九日(中陰・中有)の期間の典拠として広く引用されています。
私は、中有は生縁を得るまで、時間も空間もない世界で続く、と考えています。七日というのは、綺麗な理屈ですが、切りがよすぎるのではないですか。
なお、無色界を除く一切の生処に中有があるとされます。
唯識的な理解の要点
中有は、阿頼耶識の異熟の連続性の中で、死の刹那から生の刹那までの「中間的な生」です。完全な諸根を具えた微妙身として現れ、次の生の条件が整うまで(最大四十九日)存続し、その間に業の力や縁によって転変する可能性があります。これは「識の連続」を強調する唯識の立場から、死生の無間を説明するための重要な教説です。
中有には眼・耳・鼻・舌・身・意が備わっている
外観:悪業者の中有は黒い羊の光や暗い夜のようで、善業者の中有は白い衣の光や晴れた夜のようです。
知覚能力:極めて清浄な天眼に見えるものです。中有の眼は天眼のごとく障礙がなく、次に生まれる場所まで自由に赴くことができます(神通を得た者のよう)。同類の中有や、自身が生まれるべき場所を見ることができます。
移動の方向:地獄に向かう者は下を向き、天に向かう者は上を、人間に向かう者は横を向いて行きます。そのとき、以前の我愛の類は現行しなくなり(識がすでに住しているため)、代わりに境界に対する戲論愛が生じて、生まれるべき形類に応じた中有が生じます。
存続期間(七七日)又此中有,若未得生緣,極七日住。有得生緣,即不決定。若極七日未得生緣,死而復生,極七日住。如是展轉未得生緣,乃至七七日住,自此已後,決得生緣。
生縁(次の生の条件)が得られなければ、最長で七日住します。生縁があれば不定です。七日を経ても生縁が得られなければ、中有自身が死して再び中有として生じ、さらに七日住します。このように展転して、最大で七七日(四十九日)住し、それ以後は必ず生縁を得て次の生に転じます。これは東アジア仏教で広く用いられる四十九日(中陰)の期間の典拠です。
転生の可能性と異名
意味と背景
中有は、次の生処に赴く際に「香り」を手がかり・養分とする、という伝統的な理解に基づいています。有福の中有は妙香を、無福の中有は悪臭を資糧とする、とアビダルマ以来説かれます。この語は、もともとインド神話に登場する天上の楽人(乾闥婆)を指す言葉でしたが、仏教では中有の別名として転用されました。他の関連記述アビダルマ文献でも、中有は「食香(香りを食する)」と説明されることが多く、『倶舎論』などでも同様の理解が見られます。『瑜伽論』はそれを簡潔に「尋香行」「香所資」とまとめているわけです。
要するに、健達縛とは「香りを求めて行き、香りによって養われる中有」という性質を表す呼び名です。
健達縛が登場する経典1. 『法華経』
乾闥婆は法華経の至る所に登場します。
• 序品第一: 釈迦が法華経を説く虚空会の場に、4人の主要な乾闥婆王(楽乾闥婆王、楽音乾闥婆王、美乾闥婆王、美音乾闥婆王)が率いる無数の眷属が聴衆として集まっています。
• 観世音菩薩普門品第二十五(観音経): 観音菩薩が人々を救うために33の姿に変身する「三十三身」の一つとして、「乾闥婆の身」になって現れると説かれています。
2. 『大宝積経』
仏教の初期から大乗仏教にかけての様々な経典を集めた大規模な経典集です。
• 乾闥婆授記品: 3億6千万の乾闥婆が世尊(お釈迦様)を音楽で供養し、将来仏になるという予言(授記)を授かるエピソードが詳しく記されています。
3. 『阿含経』などの初期仏典
原始仏教の経典において、健達縛は「音楽の神」のほかに、「人間が母胎に宿る(入胎)際、その場に立ち会う中間的な存在」として登場します。
• 『中阿含経』などの「三事和合(さんじわごう)」の説法において、子が宿るには「父母の和合」「母の身体的条件」に加え、「健達縛が現前すること」が必要不可欠であると説かれています。これは後の密教やアビダルマ仏教における中有の概念へと発展しました。
4. 密教経典群(『大日経』『金剛頂経』など)
曼荼羅世界において、健達縛は東方を守護する持国天の眷属として、世界の調和を保つ役割で登場します。
健達縛は、お香の香りを食べて生きるとされ、肉体を持たない清浄な存在として、多くの経典で仏や菩薩を美しい音楽で称える役割を担っています。
追善供養の理論的背景
したがって、
『地藏菩薩本願經』に説かれる主な内容同経では、臨終時および死後七七日(四十九日)以内に、眷属が以下のような善事を修し、それを回向することが有効と説かれます。臨終時の設福幡蓋を懸け、油灯を燃やす尊経を転読する(経を読む)仏像・聖像を供養する仏・菩薩・辟支仏の名号を唱えて、臨終の者の耳根に聞かせる(または本識に聞かしめる)死後の広造眾善七七日以内に広くさまざまな善を造る設斎供養(僧に斎を供養する)を志心勤懇に行う供養の際に不浄・懈怠がないよう精勤護浄すること
| 行為の種類 | 具体例 | 出典の傾向 |
|---|---|---|
| 三宝への供養 | 仏像・塔寺への供養、僧への設斎 | 地藏経 |
| 法の実践 | 経の読誦・転読、名号の称念 | 地藏経 |
| 善行の回向 | 上記の功德を「亡者のために」と回向する | 地藏経・後代の解釈 |
| 理論的枠組み | こうした「餘業」が中有の種子を転じ得る | 瑜伽論 |
これまでの説明のまとめ
1. 中有の位置と基本性質(『瑜伽師地論』巻第一)
- 場所:本地分中意地第二之一、「云何生?」の説明の中。
- 死と生は同時(秤の両端が同時に低昂するよう)で、空隙はない。
- 中有は必ず諸根(六根)を具える。
- 生起の原因は、我愛の無間生起・無始来の戲論熏習・善悪業の熏習という自己の種子。
- 外観は業によって異なり(悪業者は暗く、善業者は明るい)、天眼に見え、中有眼は天眼のごとく障礙なく生処に至る。
- 移動方向も業に応じて異なる(下・上・傍)。
2. 存続期間(七七日)
- 生縁が得られなければ最長七日住。
- 得られなければ中有自身が死して再び中有となり、最大七七日(四十九日)まで展転。
- それ以後は必ず生縁を得る。
- この期間中は「有得生緣即不決定」で、まだ完全に決定していない。
3. 追善回向との関係
- 『瑜伽論』は「若由餘業可轉中有種子轉者,便於餘類中生」(他の業によって中有の種子が転じれば、別の類に生まれることもある)と明言。
- 中有の期間中は、他の業(餘業)によって種子が転じ、生処が変わり得る。
- したがって、追善回向の有効性を否定する材料はない。
- ただし『瑜伽論』自体は具体的な実践を説かず、理論的可能性を示すのみ。
4. 具体的な追善回向の内容
- 主に『地藏菩薩本願經』などが詳説。
- 内容例:幡蓋・油灯の供養、経の転読、仏像・聖像の供養、名号の称念、設斎供養など。
- これらを七七日以内に修し、回向する。
- 亡者は七分の一を得、生者は六分を得るとされる(補助的な縁)。
5. 基本的な因果観
- 根本は本人自身の業と縁による転生。
- 中有の生起も自己の種子から。
- 追善回向は、中有の期間に限り「餘業」として既存の種子に影響し得る補助的な縁に過ぎない。
- 本人の業が決定的であれば、その効力は限定的。





