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10月, 2008の投稿を表示しています

長保寺勤行次第 追加しました

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キイロホトトギス     長保寺勤行次第のページは こちら まだ作成中です 徐々に解説を付けくわえていくつもりです リンクをクリックすると解説のページにいけます

ツワブキ

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ホトトギス

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観光

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ツベロサ 最近、観光客が減った 有名観光地はそれなりに人出があるのだろうけど、和歌山県でも温泉地のホテルや旅館で廃業したり売りに出たりするところが多く、うちだけの傾向ではなくて、全般的な傾向なのだと思う 旅館業は特に、人件費や光熱費など、固定費が多く、採算ラインが厳格にあって、そこを割り込めば、経営は一気に悪化する うちのようなところは、車で言えば、サイドブレーキを引いて止まっていればそれでも様になる 鳴かず、飛ばず、良くも悪くもなく、ほぼ人畜無益無害に過ごすしかない これから世界的な不況になれば、ますます観光地はたいへんになるだろう

オオシロカラカサタケ

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こんなキノコが出るのは初めてです やっぱり温暖化の影響でしょうか 雑草も今まで見たことのないような種類を見かけます そういえば、熊笹の葉が毛虫に食べつくされました 気候変動は思っているより早いスピードで進んでいるのかもしれません

ムラサキシキブ

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ムラサキシキブ     今年は源氏物語1000年らしいですが   うちの寺も忘れてもらっちゃ困ります   紫式部は一条天皇の皇后の彰子様のお付きの女官ですが、長保寺は一条天皇勅願寺なのです   だからなんだと言われそうですが、その勅願寺を、この下津に建立した、いきさつがあるのです   一条天皇にはすでに定子様という皇后陛下がいらっしゃって、すでに脩子内親王様、敦康親王様というお子様もありました   そこに藤原道長の娘、彰子様が入内されたのです   そして、定子皇后は3人目のお子様、[女美]子(びし)内親王様の出産でお亡くなりになりました      一条天皇は、お嘆きになりましたが、道長への憚りがあったのか、定子様の菩提を祈るのに京の都ではなく、遠く熊野に連なる地である長保寺を建立されたのだと考えることもできるのです    これは、記録に残った正史ではありませんが、長保という年号までつけた寺   それも創建の長保2年(1000)は定子様がお亡くなりになった、その年なのです     彰子様は、定子様のお子様をひきとってご養育されましたが、敦康親王は天皇にはなれませんでした   その彰子様のお付きの女官の紫式部が書いた源氏物語は、この一条天皇の宮廷生活が題材になっているのです