ラベル インド仏教聖地巡拝 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル インド仏教聖地巡拝 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/02/15

涅槃

今日は、お釈迦様の涅槃の日です

涅槃には、二種類あります「有余涅槃 うよねはん」と「無余涅槃 むよねはん」です


肉体を持っている状態で悟りを開くと、余すところがあって、まだ完ぺきな状態でないということになって「有余涅槃」だということになります
肉体を捨てる(つまり死んで灰になる)と「無余涅槃」で、余すところなく、悟りの状態だと
肉体があるうちは、生きることにまつわる煩悩から完全に解放されないと考えるからです

死後の世界と考えることも出来ますが、仏教では、煩悩が完全に消滅した世界を「涅槃」と考えています

普通に死んだら、煩悩に束縛された死後の世界があるのであって、「涅槃」ではありません
煩悩に束縛されている間は、輪廻転生を続けると考えられています
やり残したことがあって、また生まれてきたいと思える間は、大丈夫です、生まれ変わってきますから
それが、苦痛に感じるようになってくる、というのが仏教の教えです


娑婆世界は、我々の脳が作り出す世界です
各個人別々で、衝突や誤解が避けられません
感じる前の世界が涅槃の世界です


お釈迦様は、クシナガラで涅槃に入られました
今では、インドの人達の憩いの場になっています





2011/02/13

舎利礼に加筆しました

舎利礼のページに霊鷲山の話を加筆しました
http://www.chohoji.or.jp/sharirai.htm



仏舎利を礼拝供養することには絶大な功徳があり、その功徳をインド全土に広めるため84000もの数に分骨して立派な塔を建てて礼拝できるようにしました
その塔は今でもインド全土にかなりの数が残されていますが、実際に仏舎利が確認できた塔は数か所だけです
仏滅後、仏教の最終的根拠は仏舎利となりました

アショカ王は、この仏舎利を分布してストゥーパを各地に起てましたが、その第一塔はどこにあるかご存じですか
霊鷲山の、釈尊の香室の上の山頂です

法華経で釈尊は、常に霊鷲山にいると明言し、滅度の後も衆僧と共に霊鷲山に出現すると説いていますが、その香室の背後の山頂を利用して、山全体がストゥーパの様な感じでアショカ第一塔があるのです
霊鷲山のパノラマ写真
左の山頂がアショカ第一塔、右端に釈尊の香室が見える



釈尊の香室遠望

法華経に見宝塔品というのがあって、宝塔の中にお釈迦様と多宝如来が並んで座って説法するのですが、法華経が説かれた霊鷲山にアショカ第一塔があることから、仏舎利信仰が進化したものであることを窺わせますね
法華曼荼羅図 絹本著色 (中央部分)
江戸中期(18世紀) 長保寺蔵


2010/05/20

タイの仏教

ワット・ポー 2010.02.21 長さ46m 高さ15mの涅槃仏

タイのお寺をお参りしている時、何気に、一緒に行った長男と、「外国の参拝はいつできなくなるかわからないから、行ける時にいかなければならない」と話をしました
長男は高校生の時に、アメリカのシアトルでホームステイしたことがありますが、帰国して次の月に911があり、その高校から後輩がアメリカに行くことがなくなりました
平和なようですが、いつなにが起こるかわからない時代です


東南アジアで、赤と言えば、中国です
タイでデモをしている人達は、赤シャツを着ていますが、背後に中国の影を感じますね
ミャンマーでも、日本人ジャーナリストが射殺されましたが、タイでも最初に殺されたジャーナリストは日本人です
手口が酷似してますね
タイでは、発砲したのがタイ人とは思えません
本来大人しい人達ですから
日本人なら、何人殺しても仕返しにはきませんから、騒ぎを大きくしたいならうってつけです
ミャンマーの軍政は親中派ですが、赤シャツの人たちは、タイをミャンマーのような国にしたいんじゃないですか

ミャンマーも仏教国、タイも仏教国ですが、どちらも上座仏教です
ざっくり言って、上座仏教では、坊さんは坊さん、一般人は一般人で、別々です
基本的に、個人の救いが中心で、社会的な活動は軽視されています
仏跡では、近年、タイからの参拝が多いそうですが、自己中なのが特徴で、周りの人が参拝してるのになんの遠慮もありません
チベット、韓国、台湾の人たちが多い時は感じなかったことですね

拝んでいる前を平気で横切る、周囲にお構いなしにハンドマイクで延々と説教する(2時間位)、食材をホテルに持ち込む(インド式の精進料理じゃだめなんですかね)、仏跡のど真ん中に陣取って延々と講釈をつづける(場所を譲らない)、など
傍若無人ですな

上座仏教を、別名、小乗仏教とも言いますが
まあ、自分の救いしか考えてないと批判されるのです
ちなみに、チベット、韓国、台湾、日本は大乗仏教です

どこがどう違ってそうなるのか、ですけど

大乗では、やはり慈悲を中心に据えるのです
小乗では、菩提ですね
これ、仏教的には、ものの両面なのですが、違うものは違う

ふと、物事の、ネガティブな面からとらえるのと、ポジティブな面からとらえるのの違いに似てると思うのです
入口が逆ですから、進む方向も逆ですね


日本経済は破綻すると、マスコミが大キャンペーンをしてますが、破綻を心配するより、経済成長をいかにするかを心配するほうが大事ですよ
特に、今の20代以下の若者は、右肩下がりの経済しか知りませんから、ほんとに元気が無い人が多い
その上、破綻を徹底的に吹き込まれたら、若者がよりネガティブになりますわな
うちはお寺で、参拝の年寄りが元気なので、落差がよくわかるのです
若者のためにも、ポジティブな世界観を探したいですね

デフレギャップを埋めて、なおかつ、税収をアップする方法、とか
いくらでも、思いつきはあるんじゃないですか

2010/04/22

続 これからの世界

霊鷲山香室からの夕日 2010.2.18

霊鷲山は参拝客で大変に混雑しています
学生の遠足やタイなどからの団体客で、日の出前から賑わっています
事前に聞いていたので、一番空いている時間帯の日没頃を選んで参拝しましたが、ご覧のとおりです
参拝する場所取りで必死でした

様変わりしました
10年ほど前は、山賊が出るようなところだったのです




さて、表題の件ですが
ちょっと補足しておきたくなりました

基軸通貨はドル
世界の内需が景気を牽引
アメリカの核兵器が通貨の担保

なのですが、それがどういう世界をもたらすのか、ということです

結論から言うと

ドルキャリーによる、世界バブル

日本はバブル以後、景気回復が思うようにいかず、超低金利政策がずっとつづいています
デフレが進行して、どうしたら脱出できるか見えてきません

低金利政策を、アメリカでもせざるを得なくなりました
儲けを出すことの出来る企業はあるのでしょうが、アメリカ社会全体で見れば、銀行倒産がつづき、失業率も高いままです
景気刺激策として、低金利をつづけるしかありません
それがいつまで続くかは、日本を例にして考えれば、簡単には終わらないことが予想されます

円とは比較にならない量のドルを、低金利で手に入れることができる世界になってしまいました
ドルを売って、金利の高い通貨を買えば、なにもせずに自動的に、儲かります
そのドルを、印刷して増やしている、としたらどうなります?
ドルは核兵器で守られていますから、文句は言えないのです

低金利のドルを売って、世界中の通貨を手に入れ、それを不動産や債権、株に投資する
桁違いに多いドルでそれをするとどうなるか?
世界中がバブルになる、のではないか、という読みです
実は、金融界では、このことはもはや常識です

世界のリート(不動産債権)、外債、また、それらを組み込んだ投資信託などの利回りをちょっとお調べになればおわかりになることですが、10%などというのは、あたりまえにいくらでもあります
新興国の株価が相対的に上がりやすいのもおわかり頂けると思います
もちろん、相場ですからリスクはあります
しかし、アメリカの低金利が終わるまでは、かなり低いリスクだと言わざるを得ません


物事には、功罪があります

世界バブルは、一面、新興国に冨をもたらし、産業の起爆剤になり得ます
もう一面では、資産価格などが非常識な値上がりをし、経済がガタガタになる危険もあります

ですが、もう、選べません
この道を通っていくしかありません

たとえて言えば
田んぼを育てて稲を収穫するのですが
田んぼをぶっ壊して、稲を巻き上げるのと
田んぼを大きくして、稲の収量を増やすのは違います

今までは、ともすれば、後先考えずに、田んぼをぶっ壊すのをなんとも思っていないことが多かったのです
もう、その選択肢はありません
アメリカが物を買わないのですから、新興国が物を買うしかなく、田んぼをぶっ壊すどころではないのです
田んぼを守り、できれば大きくしたほうがいい
それしか選べないのです

世界バブルをコントロールして、田んぼを育てることに成功すれば、大げさでもなんでもなく、人類はさらなる繁栄のスタートラインに立てます
コントロールに失敗すれば、さて・・、物々交換の世界に戻るのかもですね

これからオバマのやろうとしている金融規制は、なんとしても成功させなければなりません
この程度の理屈は、誰でもわかるのですよ
ま、理屈どおりにいかないのが、人類の歴史であったわけです

皆さんも、日本の経済政策を注意深く見守って、どうか選挙の時は賢明な判断をしてください
金融業界の方は、智慧が問われていることを自覚してください

特に根拠はないですが、僕は、うまくいくのではないかと、結構ポジティブですよ
困難は幾らもあるでしょうが、右肩上がりなら、我慢ができるんですよ

インドに行くと、結構みな明るいのです
これから豊かになる予感があるからです
日本は、失礼ながらインドよりは豊かですが、暗いです
景気が悪く、人口も減りつつあって、右肩下がりだからです

ドルキャリーによる世界バブルは、右肩上がりの世界を作り出し、様々な矛盾を飲み込みながら、世界に大きな変化をもたらすでしょう

進路を見誤らずに、幸せをつかんでください

2010/04/04

七葉窟 ラージギル


仏滅後、釈尊の言葉を残すため、弟子が集まって結集が行われました
ここが、第一回の結集が行われた七葉窟(しちようくつ)です

洞窟が7つ並んでいるので名づけられました


奥行きが6kmあると言われてますが、中は真っ暗で危険ですから、奥まで入ったことはありません
今回、入口から少し中に入ってみましたら、ななんと真っ暗闇で、ヨーロッパ系の人が坐禅をしていました
熱心と言うか、不気味と言うか
とにかく、日本人には無い根性です

第一結集の時、釈尊の弟子のうち、悟りを開いた者だけしか呼ばれませんでした
釈尊の従者をしていたアーナンダは、最初、悟りを開いていないということで呼ばれませんでした
せっかく、ずっとつき従って、多聞第一と言われたのに、除外されたのです
ですが、それから、奮起して修業して悟りを開き、結集に呼んでもらえました

お経は必ず「如是我聞」(かくのごとく、われきけり)で始まりますが、結集では、聞いた言葉の統一をしました
教義の整理とか、少数意見の排除とか、しません
キリスト教の公会議とは全く違います

釈尊も、生まれてから、修業して悟りを開きましたが、アーナンダも、全ての仏弟子も、修業をしてから悟りを開きます
生まれたまんまで、出来上がっている、というのは仏教ではありません
やはり、知恵で自分の心を観察することが、絶対に必要だということでしょう

釈尊の当時、どえらい霊能者や超能力者がいましたが、それは、走るのが早い、歌が上手、とかと同じ能力差です
どんなに人と違う能力があっても、自分の心を知らなければ、ただの人です
 
 能力の有る無しや、行為の善し悪し、など、つまりは現世の浮き沈みであって、「悟り」と直接関係ありません

どのように「走るのか」
どのように「歌うのか」
どのように「霊能力を使うのか」
どのように「超能力を使うのか」
が、問題であって、それは自分の心の根源を知っているのといないのとでは全く違います

どれほど多聞第一であっても、心の根源を知らなければ、結集には呼んでもらえないのです

生まれたまんまでは、釈尊ですら、「悟り」は理解できない、ということなのでしょう



2010/04/03

ラージギル温泉


霊鷲山のあるラージギルに、温泉があります
これは、上から眺めた様子

温泉は、露天ですね
インドでは服の上からお湯を浴びるようです
すぐ乾きますから

観光地として賑わっています
この温泉の横の道を上ると、第一結集をした七葉窟に行けます


山を30分ほど登ると、釈尊の当時のマガダ国が一望できます

山に囲まれた盆地です
現在は、インド人ですら夏場暑すぎるので、人は住んでいません
 
この森の中に、ビンビサーラ大王が幽閉された牢屋跡とか、名医のジーバカの病院跡とか、車の轍跡とかがあります
 
山の頂上にジャイナ教のお堂があり、その真下が七葉窟です
10年前は、山に登る人などありませんでしたが、今は、山の上も観光客で賑わっていて、アジャンターにあるような籠かきもいます
 
 
お堂の横の展望台からは、宿泊したラージギル法華ホテルが見えます
多分水脈の関係でしょうか、政府の建物などが立ち並ぶ一角です
ホテルの、ちょうど上の山が七葉窟になります
七葉窟に水が出たので結集地に選ばれたのかもしれません
 
 
レンガの円筒の建物がホテルです
 

2010/04/01

スジャータストゥーパ ブッダガヤ

ブッダガヤから尼連禅河を渡ったところにスジャータが釈尊に乳粥を供養したところに作られたスジャータストゥーパがあります

なんでもない、日干しレンガの山です

現在の尼連禅河は、まったく水がありません
僕が10年位前に来た時は、くるぶし位の水があり、浅瀬を靴を脱いで歩いて渡りました
ガイドのシャルマさんに話したら、ガイドを初めて10年経つが水が有るのを見たことがないそうです
内陸部は温暖化で想像以上に乾燥が進んでいるのかもしれません
二酸化炭素が温暖化の原因なら打つ手もありますが、これは、かなりたいへんですね
この調子では、インドは干乾びてしまいます


遠足ですかね、チベット仏教の小僧さんたちがお参りにきてました
インドでも中国でも、大昔の日本で一休さんがしてたのと同じように、、お寺に小僧で入り、教育をうけ、独身を通し、お坊さんになります
日本の坊さんは、世襲で、しかたなく家業を継ぐように坊さんになる人が多いですから、もう10年もしたら、日本仏教はとことん馬鹿にされるようになるかもですね
10年かからないかな
日本仏教は、空疎な権威主義に寄りかかかるようにならなければいいですけどね




仏跡は観光地化してますから、どこでも、ご覧のようなお土産品を売っています
特産品と言えるようなレベルでないのが、ちょっと悲しい
10年前に比べると、店の数が10倍位増えた感じですね
これから、もっと賑やかになるでしょう

 

2010/03/31

日本寺 ブッダガヤ


ブッダガヤには,世界中の仏教国の寺院がありますが、もちろん、日本のお寺もあります
最近では、新興宗教などが盛んに寺院を建設していて、インド各地に日本の建てたお寺があります

日本寺は全日本仏教会が建てたお寺で、住職は各宗派回り持ちで、今年の当番は天台宗です
92歳になる半田座主も、ここまで来て普山式をしました



建物の中は薄暗く、日本式ですな
申し訳ないけど、壁画が不気味です
インドの人は日本仏教に、どんな印象を持ちますかね
どうも、侘寂(わびさび)は日本人だけです
世界中どこでも、宗教建築はギンギラが多いです


キリスト教の教会はステンドグラスなど光を取り入れる設計が特徴ですが、仏教は、それは無いんですよ

キリスト教は「仏性が全ての人にある」、とは言いません
神は一人で、我々は「迷える子羊」です
で、神のイメージが、建物に差し込む太陽の光です

仏教は、各自の心に「仏性」があって、各自の知恵で自分の「仏性」に気づく、というのが基本コンセプトです
まあ、密教は、そこに仏の助けがある、となってきますが、基本は同じです
で、自省する、坐禅する、といった自助努力が重視され、外光を取り込むよりも、薄暗い瞑想的な空間が作られていると

僕的には、せっかくのブッダガヤですから、大塔にお参りに行けばお寺を建てる必要はないと思えるのですが、どうでしょうか
立派なお寺ですが、半分以上、意地の張り合いのような気がしますね

 

2010/03/30

ブッダガヤ

釈尊が悟りを開いた地、ブッダガヤ

ブッダガヤには世界中の仏教国のお寺があり、管理委員会があって、管理されています
他の仏跡と違い、遺跡として保存されているのではなく、お寺になっています

大きな塔がありますが、イスラムの侵入の時、当時の仏教徒が埋めて逃げたのを、イギリス人のカニンガムによって発掘されました
だから、周りは小高い丘になっていて(埋めた土が山になっている)、階段を下りてお参りします
これも、イスラムの傷跡ですね
どうなんでしょうね、今のイスラムの方は、こういう状況を知ったら、誇りに思うんでしょうかね
インドではイスラムの人口も多く、ヒンドゥーやイスラムの原理主義者を刺激しないよう、隔離するようにしているみたいです
ヒンドゥーの大きなお寺の前には警察官がいて、検問しています
イスラム寺院は、イスラム教徒以外は中に入れないのが建前です
観光客は大人しくしていれば入れてもらえますが、地元の人はどうなんでしょうね

仏教徒は、このブッダガヤでも、各人各様にお参りしていて、多様性と言えばそうだし、まとまりが無いと言うこともできます
それが、世界に広がった要因でもあるのでしょう






塔の中には、立派な釈尊の像があります
タイ式の仏像ですね

これは降魔成道の像と言って、右手を触地印(手を伏せて指先で地に触れる)にしていますが、この塔の裏側に悟りを開いた場所である金剛宝座があって、そこにも降魔成道像があります
金剛宝座は、15年前はその横に座ってお参りでき、降魔成道像も間近で拝見できましたが、オウムの麻原が、その金剛宝座に上り、釈尊の生まれかわりだ、とやったもんだから、今では厳重に柵をして近寄れなくなってしまいました


金剛宝座の横に、仏足石があって、10年前には各自ここで拓本を自分で取ることができましたが、なにかあったんでしょうね、今はガラスケースで覆われています
だから、この拓本も、お手元にあるなら、貴重品でしょうね



2010/03/27

バーナーラシー

サールナートはガンジス川の近くで、バーナラシーの近くです
バーナラシーはインド人にとっては、火葬した灰を流す聖地です
川縁で火葬するだけでなく、各地で火葬しても灰はこちらで流します
インドは広いですから、どうしてもバーナラシーにこれない人は、近くのガンジスにつながる川に灰を流すそうです
どうしてもバーナラシーにこだわるので、全国から人が集まり、川の近くは朝からたいへんな雑踏です




インドの人はガンジスの水を聖水として、お土産にもって帰りますから、水の入れ物も各種売っています




まあ、かなりの量の人骨と火葬の灰が川底にはあると思われますが、焼いているわけで、清潔といえば清潔ですね

インドの仏跡を巡拝すると、サールナートの近くということもあって必ず立ち寄る所ですが、仏教とは直接関係はないですね


2010/03/25

涅槃堂 クシナガラ


2010年2月15日にお参りいたしました

涅槃堂は釈尊が涅槃に入られた場所に建てられています
沙羅双樹の間で涅槃に入ったとお経に書かれているので、日本人が公園に沙羅の木を植えました
その木の間で涅槃に入ったので、双樹と言うのです

内部は10年前と変わらず、昔のままです

涅槃像は、グプタ時代(5世紀頃)のものです



かなり大きな像ですが、タイに行くともっと大きくなります
なぜか涅槃像は大きいのです
涅槃という概念を表そうということでしょうか

仏教では、悟りを開いた釈尊を有余涅槃(うよねはん)、入滅後を無余涅槃(むよねはん)と言って、肉体のあるうちは完全な悟りの状態ではなく、肉体が消滅した後を完全無欠な悟りの状態と考えています

そう考えれば、クシナガラが仏教最高の聖地ということにもなります

肉体は移ろいゆく限界がありますが、肉体を捨てた後も意識が存在するなら、死による限界はありません
キリストの復活も、キリスト教にとって、どうしても必要な事跡ということになりますね

仏教では、仏性が全ての生物にあるとしていますから、涅槃の世界は、誰にでもあります
釈尊のクシナガラにおける最後の説法は「一切衆生悉有仏性」です

「今の僕らの意識は空から肉体が借りてきたものだ」、と考えてみると、死は意識をまた空に返すだけということになります
葬式、法事、お墓、仏壇など、すべて、意識の不滅が前提に成り立っています
輪廻転生も意識の不滅があれば成り立ちます

妄想を抱いたまま死んでしまうと・・・・妄想世界に行きます
悟りを開いてから死ぬと・・・・・涅槃です

仏教は、普通の我々が死ぬと、生きていた時してきたことに従って、輪廻転生すると考えています
実は、ここのところはヒンドゥー教といっしょです
ヒンドゥー教では、貧乏に生まれたのは前世の報いだから、死ぬまで貧乏階級でいなければなりませんが、仏教は、生まれが悪くても生きているうちに挽回することもできると考えています(これが画期的な考え方なのですねぇ)
仏教の考え方を延長すると、神様も悪いことをすると地獄に行く、ということになります
もちろん善いことをすれば、善い神様のままですけど






お堂は綺麗に塗り直してあります

丸いドームは涅槃に立ち会ったアーナンダのストゥーパです

アーナンダは川の真ん中で涅槃に入りました
仏滅後、アーナンダに説法に来てもらいたくて、川を挟んで阿闍世王とリッチャビ族が戦争になりかけました
それで、川の真ん中の船の上で、アーナンダは自らの意志で涅槃に入りました
ですから、アーナンダの舎利は二つに分けられ、もう一カ所、バイシャーリにもあるそうです

涅槃堂から少し離れた所に、釈尊を火葬した荼毘塚があります




インドでは2月15日が涅槃の日ということではないので、特になんの行事も行われていません
現在インドの仏教行事は、ほぼテーラワーダ式かチベット式で、日本仏教の考え方は反映されていません
やはり、地理的に遠いのと、なぜか日本では、インドの仏跡より自分の宗派の祖師を重視しますので、存在感が薄いのでしょう

四国や西国を巡礼するように気軽にはいきませんが、残念ですね

2010/03/24

クシナガラ

お釈迦様の涅槃の地です

公園として綺麗に整備されて、地元の人たちがたくさんピクニックに来ています
これも10年前には考えられなかったことです



サリーが綺麗です
田舎のほうがサリーが多い印象ですね
畑仕事も普通にサリーでします


クシナガラには、新しいホテルも続々と出来ていて、各国のお寺も建ち並んでいます
全く様変わりしてしまいました

ほんとに、なんにもない所でしたからね

新しくできた、ロイヤルレジデンシーホテル
法華ホテルと同じ系列です
ガイドのシャルマさんは、このグループの社員です

切れている電球はないし、水洗トイレの水はちゃんと流れるし、世界標準のまともなホテルです

2010/03/23

ルンビニー園

ルンビニー園は広大ですから、車から降りても1kmくらい歩かないとマヤ堂遺跡までいけません
ごらんのとおりのリキシャー(日本語の人力車が語源)で移動します
往復で100ルピー、お参りの間待たせたので20ルピーチップを追加

「あなたはリッチマン、おいらはプアーだ」とか言うから、「ノープロブレム」と言ったら、笑ってた
どのみち、ネパール社会をどうこうすることなど一介の巡礼にはできません
せいぜい皆さんもルンビニーにお参りして、リキシャーに乗ってあげてください


参道の一角にお土産物屋が連なっています
こういうことは、日本人が教えるらしいです
チベット式の仏具とヒンドゥー式の道具ですね
数珠は、日本に帰ってから作り直さないと、具合がわるいです


ぼろバラックですが、延々と、こんなもんです
これが普通ですよ
廃墟かと思うと、学校だったりします




お参りを終えてホテルに帰ると、野生のクジャクが迎えてくれました
幸先の良い感じです
 
 

2010/03/22

マヤ堂遺跡 ルンビニー



ネパールのルンビニーのマヤ堂遺跡です
たくさんの人がピクニックに来ています

遺跡と言うことにしましたが、つまり、発掘調査した遺構の上に建てられている、鞘堂なのです
覆い屋ですね

お釈迦様の生誕地ですが、発掘調査するまで、インドのピプラワという説もあり、結論が出ていませんでした
ピプラワからは、仏舎利も発見されていて、この仏舎利は、現在デリーのインド博物館にあり、誰でも拝観できます

最近の発掘で、生誕地の印のマークストーンがマヤ堂遺跡で確認され、いちおうの決着となりましたが、このマークストーンも、表面がイスラムに削られてしまっていて字は読めません




お堂の内部はご覧のとおりの遺跡そのものです
渡り廊下が造られて、遺跡を踏まずに見ることができるようになっています


10年前は立派なお堂があって、お寺の風情でしたが、ほんとの学術的遺構にしてしまいましたね

中央部に昔のマヤ堂にあった、お釈迦様の誕生を彫ったレリーフがありますが、昔のマヤ堂の高さに合わせて展示してあるので、見上げるような位置になってしまっています


これも、イスラムに削られています


普通に考えると、まったく、イスラムは仏敵ですね
キリスト教が苦労したのもわかりますよ

なんのこっちゃわからないと思いますので、日本人が大理石で復元したのがこれです
今は、ルンビニー園の中の日本寺にあるそうです
復元品ですから、遺跡には置いてもらえないのでしょう


ま、このように、ただの遺跡になってしまったかのようですが・・・・

圧倒的な、釈尊の存在感があります
ビリビリと痺れるような強烈な霊気が籠もっています

お堂の裏手にアショカ大王の建てた記念碑があります

「神がこの世に生まれた」

思わず口からもれた、感動の言葉が刻まれています


お堂の中では、ローソク線香は使えないので、こちらにお供えするようにしてるみたいです

まあ、お参りはしにくくなりましたね



仏道を歩む 多神世界をどう生きるか 動画要約

多神教の世界 : 演者は、すべての人を一つの宗教に改宗させようとするのではなく、多様な宗教や無神論者が共存する多神教の世界でどのように生きるかに焦点を当てるべきです。 仏教とキリスト教 : キリスト教のような「啓示宗教」とは対照的に、仏教は個人的な実践と理解を通じて自身の苦しみを...