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2018/08/14

御霊屋の歴代藩主御霊供膳

長保寺では、毎年お盆の8月13日に御霊屋(おたまや)(1667)の歴代藩主のために御霊供膳(おりょうぐぜん)を備えて供養しています
お膳は、歴代の藩主の数だけ、真鍮製のものが揃えられています
当然、全て江戸時代のものです

 御霊屋の藩主位牌厨子の前に準備中の初代藩主南龍公の御膳


準備中の歴代藩主の御膳
供養の直前にご飯と野菜を盛りつけます



導師の席から見た歴代藩主の御霊供膳

2012/11/05

ヤマガラ


お堂の中にヤマガラが飛び込んできました

照葉樹林(常緑広葉樹林)でよく見かける小鳥です
昔は、芸を覚えさせて、おみくじ引きなどをやらせたそうです

しばらくお堂の中を飛び回っていましたが、山に帰りました

 

2012/11/03

十夜会(じゅうやえ)が行われました

本日、長保寺御霊屋で、884年続く念仏法要の十夜会がおこなわれました

御霊屋の様子





焼香台 江戸時代から使われています

廊下の様子

廊下から玄関側を見た様子


 

2012/10/17

十夜会のご案内


 いつもお世話になります。皆様お元気でご活躍のことと拝察いたします。 さて、例年のとおり各家精霊をお迎えして十夜会を執り行います。 皆様どうぞお参りください。

日   平成24年11月3日(土)文化の日
時   午後3時 開式
場所  長保寺 御霊屋


御霊屋(寛文7年 1667 和歌山県指定文化財)が内拝できるのは、一年でこの日だけです
この機会に、一般の方もどうぞご参拝ください



長保寺十夜会(じゅうやえ)は大治3年(1128)より始まった不断念仏(ふだんねんぶつ)を連綿と伝えています

不断念仏式 一巻 紙本墨書 縦27.4 横195.8
鎌倉後期(14世紀) 長保寺蔵


長保寺では大治3年(1128)から念仏が唱えられていました
法然さんが1133年生まれ、親鸞さんが1173年生まれですから、これは、かなり古いです
念仏はもともと天台宗でおこなわれていました
中国の五台山の竹林寺というお寺でおこなわれていた方法を、慈覚大師がそっくり比叡山に移したのが念仏の始まりです
長保寺では、その念仏を今に伝えています

 


2012/08/05

御霊屋の畳廊下


寛文2年(1662)9月に工を始め、同6年7月柱立、同7年11月に落成
和歌山県指定文化財


この畳廊下の部分は、古いほぞ穴の痕から類推すると、外廊下から改築された可能性があります


  
 
 

2012/06/29

「御霊殿の調度」のリンクを追加

長保寺ホームページの「長保寺と紀州徳川家」のページに「御霊殿の調度」のリンクを追加しました

http://www.chohoji.or.jp/tokugawa/toku.htm



御霊殿の調度
1234567891011121314


2012/06/25

御霊殿(おたまや)の調度 14


紀伊徳川藩主位牌宮殿の前の仏間にある密壇の灯篭です

黒塗りの密壇は江戸時代のものですが、ごく一般的な形です
その密壇の両脇に一対の灯篭があります



塗金三葵紋六角灯篭 一対
江戸初期  紀伊徳川藩主位牌宮殿前仏間


正面



灯篭の軒下に細かい細工の意匠が施されています 気がつきにくい場所です




長保寺バイパスの灯篭は、この御霊殿の灯篭をモデルにして作られました
平成8年竣工



工事の時に作られた雛形

最初は当時の下津町にありましたが、竣工後に長保寺に奉納されました







2012/06/24

御霊殿(おたまや)の調度 13


徳川頼倫(よりみち)の葬儀の際(大正14年 1925)に奉献されたと考えられる、布製造花です

残念ながら、本体には何も書いてありません
記録もなく、いつの時代に奉献されたか推量するしかありませんが、すでにガラスがあって、紀州徳川家が勢力を保っていた時代というと、まだ農地改革も無く財政も豊かであった、徳川侯爵家の時代のものと考えられます
立派な漆塗りのガラスケースに収められ、今でもよく色が残っています
極めて丁重に扱われていることから、皇室から贈られたものかもしれません




紀州徳川侯爵家霊前奉献布花 一対 右側 
大正末期~昭和初期





紀州徳川侯爵家霊前奉献布花 一対 左側 
大正末期~昭和初期



江戸時代は、紀州(約30万石)と伊勢(約20万石)をあわせた領地の藩主が紀伊徳川家でした
明治になり、廃藩置県で和歌山県と三重県になりましたので、それより後は紀州徳川家となります














2012/06/23

御霊殿(おたまや)の調度 12


この華瓶は藩主宮殿の前ではなく、隣の部屋の奥方様の宮殿の前にあるものです

奥方様の宮殿の前に置かれることを意識して、文様が女性的です
藩主宮殿の前にあるものを模して、別の時期に作られたものと考えられます


像耳塗金散流水文様青銅華瓶

江戸時代 紀伊徳川藩主御霊殿奥方様位牌宮殿前





狭間(さま)に流水と紅葉でしょうか、線描されています






2012/06/22

御霊殿(おたまや)の調度 11


紀伊徳川藩主御霊殿の藩主宮殿前にある、華瓶(けびょう)です

青銅の地金の上に塗金を散らしています
似たものに金箔押がありますが、金の付着が塗金のほうが強固で、摺れてもとれず、近くで見ればわかります
塗金は水銀を蒸発させる工程があり、日本では危険ということで、もう作る人はありません



像耳塗金散鬼面地紋青銅華瓶
江戸初期 紀伊徳川藩主御霊殿位牌宮殿前



地紋が顔になっているため、鬼面と呼ばれます


塗金が摺れていますが、これが340年位時代を経た塗金の様子です




2012/06/21

御霊殿(おたまや)の調度 10

長保寺の御霊殿の紀伊徳川藩主位牌宮殿前に奉納されている吊灯篭です


紀伊徳川初代藩主頼宣(よりのぶ)の次男、西条藩主の頼純(よりずみ、頼宣の長男は二代藩主光貞)が寄進しました


四国の西条藩主の頼純は、元禄8年に、領内の立川銅山で産出された銅で吊灯篭を作り、父である初代藩主頼宣の霊前に奉納しました
立川銅山の銅を徳川家が独占するために、頼純が西条藩主になったと考えられます
元禄3年には、同じ鉱脈の別子銅山が発見されましたが、これは天領となり、やはり、徳川家の銅独占体制が維持されました


純銅吊灯篭一対
元禄8年(1695) 紀伊徳川藩主御霊殿位牌宮殿前

320年間の灯明の煤で、古色蒼然となっています
現在は、電球を入れています



左側の吊灯篭の銘盤
元禄乙亥(元禄8年、1695)


右側吊灯篭の銘板





2012/06/19

御霊殿(おたまや)の調度 9

以前もご紹介したことのある、金華鬘です


御霊殿では、北、東、南の三方にそれぞれ3枚づつ、全部で9枚懸けられています

本堂にも、中心の家紋の部分が輪宝で、瓔珞の意匠の違うものが、東に3枚、南に4枚、西に3枚、全部で10枚懸けられています




法相華三葵紋切金梵字五色宝玉水晶瓔珞金華鬘
江戸初期 
紀伊徳川御霊殿藩主前仏間



表側

右の梵字は「バク」、釈迦如来の種字(しゅじ)です
左の梵字は「バイ」、薬師如来の種字です


裏側

三葵紋はきちんと彫金されています
右の梵字は「キリク」、阿弥陀如来の種字
左の梵字は「ア」、ここでは多宝如来の種字です


おそらく、この四仏で東西南北を表していると思われます
バク、釈迦如来(北)
バイ、薬師如来(東)

キリク、阿弥陀如来(西)
ア、多宝如来(南)
仏殿の周囲に懸ける金華鬘ですから、方位を意識したのかもしれません


五色宝玉水晶瓔珞は西暦2000年に長保寺1000年(長保寺は西暦1000年創建)の記念に新調しました
もともとあった瓔珞は、さすがに350年の時間に耐えられず、失われてしまっていました
それで、和歌浦の雲蓋院(同じ天台宗。紀伊徳川家の法事の奉行所。また、和歌浦東照宮の別当寺だった。)にある、赤瑪瑙の瓔珞を参考にして新調しました



吊金具も手の込んだ細工です


北側の金華鬘の様子



   

御霊殿(おたまや)の調度 8


長保寺の紀伊藩主御霊殿の障子です

腰板の部分に襖紙が張ってあります
この御霊殿だけに使用されている意匠です
現在の腰張は、平成四年の修理の時に江戸初期と同柄のものを再現しました

地味な柄ですが、薄暗いお堂でみると、柄の部分が浮き立って見えます
堂内で使用することを計算した意匠です



双葉葵型押本鳥子障子腰張  平成四年修復


双葉葵型押本鳥子障子腰張 拡大




 

2012/06/18

御霊殿(おたまや)の調度 7

長保寺御霊殿の紀伊徳川藩主位牌宮殿の前にある三具足のうちの香炉です

三方に六牙の像面があります


紀伊徳川御霊殿藩主宮殿前三具足のうち、三方六牙像面卍透真鍮香炉

江戸初期 長保寺御霊殿








2012/06/17

御霊殿(おたまや)の調度 6

欄間障子の格子です

「地獄組」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか

格子の桟が、全面にわたって、上下上下、下上下上と交互に編んであります
さらに、編みこんだ後で微かに面取りしています
交差するところは面取りがありません

一見なんの変哲もない障子ですが、これ以上無い技巧を凝らしています

もう345年たつ障子ですが、全く狂いがありません


紀伊徳川藩主御霊殿地獄組欄間障子

クリックして拡大してご覧になると、よくわかります



紀伊徳川藩主御霊殿地獄組欄間障子




2012/06/16

御霊殿(おたまや)の調度 5

長保寺の御霊殿の紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋に懸かっている幡です

御霊殿創建の時(1667)のものと考えられますから、もう345年前のものになります
若干の痛みがみられますが、紫外線が当たらない堂内のため、大変良好な保存状態です


紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋  織出三葵紋金襴 彫金装飾懸金具



紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋 織出三葵紋金襴




紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋  織出三葵紋金襴  裏面
裏面も同じ金襴織の、手の込んだ仕上げです







紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋





2012/06/15

御霊殿(おたまや)の調度 4




薄暗いお堂の導師の席の上に天蓋があります
もともとは、インドで仏様の日傘でしたが、仏に日傘をさすと絶大な功徳があることから仏堂の中でも用いられるようになりました


紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋
江戸初期 長保寺御霊殿


暗くて、装飾はよく見えません


しかし、中にライトを当ててみると
真っ暗な天蓋の内側に・・・












紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋彫金 鳳笙を奏でる天女 藩主側(西)内部



紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋彫金 天華を散らす天女 北側内部



紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋彫金 竜笛を奏でる天女 東側内部



紀伊徳川藩主霊前仏間人天蓋彫金 鞨鼓を打つ天女 南側内部









仏道を歩む 多神世界をどう生きるか 動画要約

多神教の世界 : 演者は、すべての人を一つの宗教に改宗させようとするのではなく、多様な宗教や無神論者が共存する多神教の世界でどのように生きるかに焦点を当てるべきです。 仏教とキリスト教 : キリスト教のような「啓示宗教」とは対照的に、仏教は個人的な実践と理解を通じて自身の苦しみを...