投稿

2012の投稿を表示しています

資料館解体着手されました

イメージ
  海南市立歴史民俗資料館の解体工事が12月28日に着手されました 工期は来年3月8日まで、です 工事期間中は、なにかとご不便、ご迷惑をおかけいたします お気づきの点があれば、事業主体である海南市教育委員会にお問い合わせ下さい     

鐘の声

イメージ
長保寺 梵鐘 さて、そろそろ除夜の鐘ですね 長保寺でも、12月31日の午後11時45分から、除夜の鐘を撞き始めます どなたでも、おいでいただいたら、撞いていただけます 年をまたいで108回撞きたいところですが、どんどん続いて撞いていただいて、12時までに終わることもあります この鐘の「ゴーン」という音ですけど このような、複雑な波長が混じっている音に風情を感じるのは、どうやら日本人だけのようです 「いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べると、音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本人も西洋人も共通であるが、違いが出るのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音などは、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かった。」 「自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、さらに自然物にはすべて神が宿っているという日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃っているのである。」 「自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。」   http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html   日本人の脳―脳の働きと東西の文化 角田 忠信 Amazon    実は、仏教には単純な音階だけ取り出して鳴らす道具もあります 長保寺内仏堂 磬(けい) 江戸時代 導師の右横に置いて、法要の要所で鳴らします 天台、真言で使います この音が、天台宗では正式には雅楽の音階の宮(D レ)の音になっています 正式というのは、現在では、ただ音が鳴るだけで 音階が無視されている 磬が多い のです しかし、宮の音階で 磬を始めに鳴らすと、その後に続く声明の音階がそろうように法要がつくられています ちなみに、天台では導師のことを調声ともいいますが、このような呼び方をするのは天台だけです 導師は釈尊で、調声は宮の音を唄士に出す、というの

12月25日 朝の境内

イメージ
 

水甕

イメージ
青銅狛犬蓋像耳龍口水甕 高575mm 江戸時代 灌頂の時などに手を洗う水を供給する水甕です 底に蛇口ではなくて、龍口がついています 龍口 拡大 宝珠型のつまみを回すと、水の出止ができます ちょっと上に向けて、蓋もつけて、実用に配慮されています 今は、置いて飾るだけですね    

丁子風炉

イメージ
銅製丁子風炉 昭和初期 高275mm 上下と蓋が分離します 一点ものの鋳造品です 上の釜に水と丁子を入れ、下の風炉に灰を敷き炭を入れて水を沸かし、いちばん上の煙突状の所から丁子の香気を部屋に立ち込めさせます 香炉の一種だろうと思いますが、これは、長保寺の17代住職の定海の肺が弱く(おそらく結核だったと思いますが)、丁子の香煙が効くということで使っていたということです ですから、医療用具として用いられたということになりますが、ごらんのとおり、単なる道具ではなく、美術工芸品として鑑賞に堪えるものになっています    

水瓶(すいびょう)

イメージ
銅製水瓶付綿布袋 高189mm 主に灌頂などで用いられる水瓶です 綿布の古びかたからすると、江戸後期か明治初期のものだと思います 弘法大師画像の右下に描かれる水瓶とよく似ていますね 弘法大師像      絹本著色 縦110.4 横61.1  鎌倉時代 長保寺蔵 跋文後宇多法皇宸筆、開眼国師大僧正禅助 http://chohoji.blogspot.jp/2012/02/blog-post_27.html  

「ちちんぷいぷい」再放送

イメージ
お知らせ 1月2日(水)朝8時~、MBS毎日放送(近畿4ch) 「ちちんぷいぷい」で近畿の国宝めぐりが再放送されます 和歌山編も再放送されます 長保寺も出ます(^^) 先日、再放送予定の電話がテレビ局からありましたが、決定されま した 大変好評で、再放送が決まったそうです  

柄香炉 2

イメージ
法相華唐草文銅製柄香炉 江戸時代 塗金があったのかもしれません 何回も磨いているうちに剥がれてしまったのでしょう 柄香炉は香煙でよごれますから、磨かないわけにいきませんから

散華

イメージ
金銀箔形押三葵紋散華 縦83mm横65mm 片面が金箔で、反対側が銀箔です 形押し仕上げで、葵紋が浮き出しています 昭和初期に使われたものではないかと思います ここまで凝った作りのものは、ちょっと見かけません    

柄香炉

イメージ
法相華唐草文銅製柄香炉 江戸時代 薄い銅版に浅い線彫りをしています 手に持って使うものですから、軽くするために薄い板金が使われています 最近の柄香炉は、なぜか、ずっしりと重いですね

五鈷鈴

イメージ
塗金五鈷鈴  高175mm 発智葉形六器 といっしょに大事にしまわれていたので、長保寺第16代住職尭海(ぎょうかい)の相承品であることはまちがいありません 書付等がないので、それ以上のことはわかりませんが、塗金や細工から普段使うような仏具ではないことが伺われます  

六器

イメージ
  発智葉形六器一面(明治5年) これは、六器といって仏前で使う仏具です (例)机の上で、白い花がお供えしてあるのが六器です 長保寺第16代住職尭海(ぎょうかい)が相承したものです  覚大師というのは、第235代天台座主覚宝のことであると思われます http://www5b.biglobe.ne.jp/~jurinji/10manmaigoma.html 松本華明様による解説 「十萬枚護摩供とは 忠実によると、十萬枚護摩供法要を千日回峰行者・大行満阿闍梨として最初に始められたのは、三十一代・大椙覚宝阿闍梨であり、今をさかのぼること238年前・元治元年(1868)延暦寺大講堂において行われたという。また今日のように明王堂・護摩堂においての法要は、三十六代・奥野玄順阿闍梨(大正七年・1918年満行)が始まりという。十萬枚護摩供は千日回峰行を満行した大阿闍梨の中でも、無動寺谷明王堂・輪番となったものだけに許される未曾有の厳行なのだ。 一日八座の護摩行を七泊八日の間、断食・断水・不眠・不臥で成し遂げる正行に至るまでに、特筆すべき前行がある。それは、正行のちょうど百日前にあたる七月二十五日より開始された。五穀(米・大豆・小豆・大麦・小麦)と塩分を絶ち、一日三座の行をこなすのだ。一年で最も汗をかく真夏の時期より、塩分をまったく取らないで、一日三座も火炎を眼前に護摩を焚けば、体内にあった塩分は汗と共にすっかり絞り出てしまうはずだ。じっとして過ごしても大変辛い真夏に、なぜこのようなことをするのか。強靭な精神力をつけるのみならず、この前行には正行に向けての、肉体大改造の秘法が組み込まれているようだ。」  

小五鈷

イメージ
小五鈷杵(こごこしょ) 小ぶりの五鈷杵です 細工は、仏具としては上等品ですが普通に見かける程度の物です 長保寺では、今は使われていません こういう小さい五鈷は、灌頂で用います 灌頂で用いる仏具と仏画は、一式全てそろっています 長保寺で比叡山と同等の法要が行われていたことがわかります    

紅葉

イメージ
12月14日の紅葉  

小襖引手 2

イメージ
長保寺客殿床の間(和歌山県指定文化財)  打出 兎小襖引手 江戸後期 襖の絵は、岩瀬廣隆です(1808~1877) ぼんやりとした絵に見えますが、写真のせいではなく、こういう画風なのです 小襖のある床の間は、客殿(安永8年(1779)) にありますから、絵よりも引手は古いかもしれません 兎の意匠は、徳川家では、様々な場所でよく用いられます 徳川家康が大国主命を厚く信仰し、因幡の白兎の神話から、「優しさと恩返し」の象徴として兎を大事にするようになりました     

本堂裏の土手、修復工事着手

イメージ
今年の10月17日の豪雨で崩落した本堂(国宝)裏の土手の修復工事にやっと着手できました この部分は国指定史跡になっているため、勝手な修理はできません 海南市教育委員会、和歌山県文化遺産課、文化庁の指導を仰ぎます 補助金は、簡単には出ません 今回は県から、なんとか出していただきました 自己負担は7割程の予定です 先ず、史跡の毀損届けを出します それから、史跡の現状変更申請書、補助金交付申請書を提出して、交付決定通知を待ちます 今回は、災害復旧ということで、交付決定前着手届を出して、速やかに工事着手ができるよう計らっていただきました  

釘隠

イメージ
長保寺客殿座敷(和歌山県指定文化財) 打出桃果釘隠 安永8年(1779) 部屋のぐるりに使われています 桃には魔よけの意味があり、部屋を結界する意図で桃の意匠を使ったようです 桃の葉を煎じた煮汁は汗疹に効果がありますが、強い殺菌力が魔よけを連想したのかもしれません 御霊殿には、これとは違った意匠の釘隠が使われています http://www.chohoji.or.jp/tokugawa/tyoudo01.htm

透彫軸端

イメージ
塗金透彫三葵紋軸端  寛政9(1797)年 直径 35mm横37mm 不動愛染二幅対の仏画の軸端です 極めて精緻な造作です 江戸時代、刀の鍔(つば)を飾る技術が発達し、高度な彫金技術が駆使されました 二幅ある掛け軸の軸端は、四つあるうち、この一つだけ外れるようになっています 外して、鑑賞できるようにしたのでしょう 不動明王と二大童子 愛染明王 この仏画は、十代藩主治宝の時代に和歌山城内で使われていたものが、長保寺に寄進されたもののようです 治宝侯の時代が、紀州徳川家の文化芸術がもっとも栄えた時代です 治宝侯自筆の書画が数点、長保寺にも残されています 表千家では一位様と尊称して、現在でも治宝侯の書画をことさら珍重します    

吊金具

イメージ
 塗金三葵紋彫金御簾吊金具 江戸時代 縦133mm横145mm厚3mm 部分 御簾を吊る金具です 御霊屋藩主位牌宮殿の前の御簾で使われていたのでしょう 厚くて、ずっしりと重く、しっかりした造り込みです 現在、御霊殿で使われている吊金具 御簾を修理した時に、全て薄くて軽いものに取り替えています これは既製品で、紋はありません    

閂(かんぬき)

イメージ
塗金三葵紋閂金具 江戸時代 横90mm たぶん、カンヌキでいいだろうと思います 鍵として使うにも、横棒は、単純に抜き差しするだけですから 念持仏の厨子の扉にでも使っていたのでしょうか 三葵紋がついていますので、藩主か御簾中様かの調度品で使われていたのでしょうね 鍵にならず、使い勝手が悪いので、仕舞い込んで、そのままになったのでしょう

軸端(じくばな)

イメージ
塗金三葵紋軸端 江戸時代 直径25mm 掛け軸を巻く軸木の端につける金具です 古来、趣向をこらした材料で作られてきました これは、一つしかないので、取れてしまった物を、とりあえず保管していたもののようです 葵紋をつけた軸端は、多くはないです 藩主の最も身近で使われた調度品で使用されたと考えられます 余談ですが こうして古びていますが、これを「古色、こしょく」と言って、本物だけが持つ時代を経た証(あかし)です ピカピカに磨いてしまったら、歴史性が失われ、ほとんど値打ちが無くなってしまうかもしれません 偽作は、こうした古色も模倣しますが、真似しきれるものではありません 本物を間近で見たことがある人なら、すぐ見分けがつきます