2026/05/17

AIが要約した、癒される瞑想

 


Xをあちこちクリックしていたら、意図せずAIが要約を作ってくれた
こんなこと書いてたのか、と自分でも忘れていたことまで見事に要約してくれてます
オレンジ色の字は、今回付けた注釈です

 

瞑想の具体的な手法について

(長保寺の瑞樹正哲住職)が発信されている「癒される瞑想(瞑想のコツ)」を中心に、初心者向けにまとめます。 


基本の「癒される瞑想」(お堂の前や日常で実践しやすい方法)
これはお寺参拝時や日常の短時間瞑想にぴったりで、呼吸とイメージを組み合わせたシンプルな手法です。

手順:

微笑む(一番大事なコツ)
モナリザのように優しく微笑み、自分を信じて「最高の自分になる」または「人を助ける」と決意します
微笑むことで心がリラックスし、緊張が解けます。

本尊様の名前を呼ぶ(または心の中で唱える)

例: 「南無観世音菩薩」など。信仰がない場合でも「佛」や安心できる存在をイメージ。
自分のイメージと、無上の心は、境界線が無く接しています
無上の心は自分の中にあります
神社、仏閣、仏像、経典などは、自分のイメージを強化するためにあります

息を吸う

「あなたを守る力が体に入る」「だいじょうぶ」とイメージしながら、深く息を吸います。自利(自分を癒す)。

息を吐く

「その力を分けてあげる」「うまくいくよ」とイメージしながら、ゆっくり吐きます。利他(周りにも良い影響を)。
自分にとって良いものを他人に分けてあげるのですから、他人の悪しきものを引き受けるのとは違います

これを繰り返し、1〜2分から始め、慣れたら長く続けます。疲れたら止め、本尊様に感謝を伝えて終了。 


ポイント:  呼吸に意識を集中。雑念が浮かんだら、優しく呼吸に戻します。  
雑念を吐く息と共に吐き出します

場所はどこでもOK(椅子に座る、あぐら、立ったままでも)。
慣れれば、満員電車の中でもできます


なぜ呼吸が大事か

呼吸は意識と無意識の橋です。
意識的にコントロールできるのに、普段は忘れています。だから、呼吸に集中すると、無意識の領域(深い心)に自然に近づけます。
呼吸は、意識と無意識、両方にまたがっています。呼吸は無意識に近づく最も身近で簡単な方法です

息を吐くときに力を抜くと、深くリラックスでき、体の感覚が薄れて「光」や「大きな力」とつながる感覚が生まれやすい。
肩の力を抜きます

瞑想が深まると、呼吸自体を意識しなくなるほど自然体になります。 
こだわらないで


実践のポイント

どこでもOK(お風呂、トイレ、ベッドの上など)。
寝ても出来ます(入眠時など)

朝日や夕日を眺めながらやると効果的。
太陽は絶対的な存在です

「光になる」「最高の自分になる」「人を助ける」と強く決意する。
瞑想がうまくいかないのは決意がないからです
ボンヤリとあてもなく瞑想しても、やはり、あてはないのです

微笑み+無条件の慈悲(全てを赦し救う心)を忘れずに。
自分の心を自分で建立することができるのです




2026/05/16

コンサート

 



紀州徳川家から寄贈された漢籍が、東京大学図書館の漢籍の質量ともに根幹をなしています。






2026/05/06

{微笑む} 大事なコツです

 


インド サールナート博物館 初転法輪の釈尊

お堂の前で拝む時のコツ

1 {微笑む} 大事なコツです
2 本尊様の名前を呼ぶ
3 息を吸う あなたを守る力が体に入る  と思う
4 息を吐く その力を分けてあげる  と思う
それを繰り返します

疲れたら止めて、本尊様に感謝を伝えます


{微笑む}ことがなければ、瞑想は単なる呼吸体操になりかねません

{微笑む}ことで、瞑想によって自分自身の心の本質に触れることができるようになります
威圧するような、咎めるような、諦め憂えるような表情では、本当の自分自身には到達しません
瞑想には目的があり、それが表情に現れるのは自然なことことです
ここのところが、瞑想の権威主義的伝統の中で軽視され続けてきました

釈尊のように、光り輝く神々のように、{微笑んで}みてください
あなたの中に、その{微笑み}を生み出す力があるのです

この瞑想は、あなたの心の中に「無上の心」があることを自覚するためのものです

最初のうちは、あなたと「無上の心」は別々のもであると感じられますが、だんだんと、同じものであるとに気づきます

いずれ、わかります




2026/04/30

仏教概念の平明な言語化



 いい歳になったので、いつ退場しなければならなくなるかわからない が、実は、僕は、もうやり残したことは、ほとんどないと思っている

もっとも重要な仕事は、仏教概念の平明な言語化だった

学者向けの高価な専門書はいくらでもあるのだが、普通の人向けに取りつきやすく仏教概念を解説した本はほとんどない

僕は、なんでもかんでもできるわけではないので、これからのネット世代向けに、本を書くのではなくネットを選んだ

ネットは、ほぼ無料で閲覧できる

重箱の隅をつつく様な、今風の論文は書かない

大掴みな、あらすじが把握できるような話をしてきたつもりだ

僕の日本語で書いた仏教ブログは年間に世界中から数万件のアクセスがあるが、反論といったものは全くない

今の仏教学で主流でない概念も話しているのだが、そんなことは自分でもわかっている

でも、いずれ、僕の言っていることが主流になると本気で思っている

なぜなら、本当のことを言っているから

まだ時間が与えられるなら、いままでネットでやってきたことを、もっとわかりやすく、もっとアクセスしやすく、できることならしてみたい

体力も衰えてきたし、才能もないが、やれるうちはやるつもりでいる



図解したらこういうことです




2026/04/29

長保寺勤行次第更新



https://chohoji.or.jp/%e9%95%b7%e4%bf%9d%e5%af%ba%e5%8b%a4%e8%a1%8c%e6%ac%a1%e7%ac%ac/

ページの内容を更新しました


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咒の部分だけ繰り返します

そもそも「空」の中には仏、我、衆生の別は無いのです

自分の心が作ってきた顛倒夢想から離れてください

「空」の中にある仏の大慈悲に触れてください


ーーーーーー


本尊の心の中に自分と衆生がいるから加持があります。

これは金輪が本尊の場合です。本尊がどなたかによって(無上の神力、無上の威徳力の)の部分は「本尊の請願の加持によって」などと変わってきます。

時間と空間のない世界のことですけれど「今ここで」を入れないでやってみれば違いがわかります。

加持によって本尊の力を、本尊の心の中にいる自分が使う、という組み立てです。

 

無上の神力、無上の威徳力というと、なにかの物理的な力を連想しますが

端的に言えば、大慈悲の力です

勝敗、損得、高低、遅速、美醜などどといった相対的な尺度を超越した「大慈悲」を念じてください

広大で絶対的な慈悲の力には、誰も抗うことは出来ないのです

2026/04/05

花は誰のために咲くのか

 


いったい、花は誰のために咲くのかという問いがある

花は花だから咲くのだと思う

人にも、誰のために生きるのかという問いがある

人が人だから生きるのだと思う

2026/04/04

4月4日の桜の様子

 長保寺は現在、災害復旧工事中で拝観できません

この写真は、拝観停止部分とは違う大門と道路の桜の様子です
石段から上は、拝観できません



大門の桜



道路の桜



石段の下から望んだ桜と緋木瓜

2026/03/30

乳粥 ちちがゆ

 

乳粥(ちちがゆ) おいしいよ

お釈迦様が、菩提樹の下で瞑想しているときに、スジャータが供養した食べ物

作り方
米 1
牛乳 1
水 3
米はしばらく水だけで浸水してから、ほぼ出来上がりの、クツクツ泡立つくらいまで、水だけで煮込んでしまう
仕上げに牛乳を入れて、かきまわしつつ煮立てて、好みの固さで火を止めて蒸らす
{コツ}
牛乳は仕上げに入れる 
インドでは牛乳は水牛の乳で、ホルスタインの乳を等量の水で薄めたくらいの濃さだ
牛乳100%で作ると濃厚すぎる
これでも、出来上がりは、かなり濃厚で、好みで水を多くしてもいい

インドに、僕は7回行っているが、スジャータの住んでいた村には2回行った
お釈迦様はガンジス河の支流の尼連禅河のほとりの木の下にいたのだが、スジャータの村は、川幅200mはある対岸である(乾季には歩いて渡れる時期がある)
この河には20世紀になるまで橋は無く、つまり、「橋の無い河」である
現在でも、スジャータの村は低カーストの被差別部落である
学校だという所も見たが、河原の砂利の上の地べたに、そのまま座り、ノートは無く、小さな黒板にチョークで字を書いていた
想像するに、お釈迦様の時代、先ず、米が限りなく貴重だ
そして乳はもっと貴重だっただろう
乳がゆにはスパイスや砂糖を入れるのがインド風という説もあるが、当時の人々の貧しさへの想像力が足りないと思う
砂糖は日本でも、庶民の口に入るのは近世からだし、インドで2500年前、スジャータの手に入ったとは思えない
貧しい被差別部落から、少女が、極めて貴重な米と乳で作った粥をもって、200mの河を歩いて渡り、樹下のお釈迦様の元に届けた
それが乳粥の供養だ





2026/03/27

シャガ

 


シャガ

元々、畑の片隅に数株自生していた
箕面の勝尾寺にお参りしたとき、群生しているのを見かけて、うちの寺でも真似してあちこち植えてみたのが始まり
草木は植えてみないと、その土地にあうかどうかわからないが、シャガは、どうやらあっているようで、どんどん増えている

僕が高野山にいたとき、最後は奥之院で行法師(祈祷をする職員)をしたが、そのとき奥之院の維那(ゆいな 総責任者)だったのが勝尾寺の貫主だった
維那さんから弘法大師法の伝授を受けたのだが、同行の行法師でも伝授を受けられない者もいて、先輩から、伝授を受けたことは秘密にするよう言われた(もう40年以上前だから時効     この伝授が「お堂の前で拝む時のコツ」に取り入れられている)
維那さんに口うるさく言われたのは「拝んでいる時だけでいいから、ちゃんとしろ」
これは、適当な発言にも聞こえるが、奥の深い言葉で、ちゃんとするには、周到にコンディションを整えねばならず、ちゃんとちゃんとするのは、なかなかに大変なことだと思い知らされている





2026/03/04

しばらく拝観できません

2026年3月4日現在の様子です




令和5年6月2日の集中豪雨で土砂崩れがあって、修復工事を続けています
現在は、工事準備中で、現場の整理と片付けが行われています

第一期 流木と崩落した斜面に残された立木の撤去 直径40㎝位の、流木と崩壊した斜面の立木を40本程撤去しました

第二期 崩落した本堂裏斜面の修復と法面工事 崩れ落ちた土砂を撤去し、法面工事は国史跡の景観を損ねないように植生を使ったものになりました

第三期 国宝本堂の避雷針、軒瓦、裏堂縁側の修復をしました

第四期 今ここ 火災警報等の復旧と流失した消火栓の再設置

第五期 暗渠排水の設置と本堂周辺地盤整備と仮設道路撤去

これと別に、本堂裏堂漆喰壁復旧(災害認定されませんでした)
本堂下に流入堆積した土砂から水が上がり、本堂内部の漆喰壁が崩落しました


相談無しに自分で指定文化財を修理したら、刑事罰があります
ざっくり言って、現地確認して、調査検討の後に概算要求して、文化庁がとりまとめ、内示があって、工事許可申請書を出して、決定通知が来てから、設計などの事業着手ができます
文化庁からは、国会の予算審議を経なければ金が出ませんから、最短であと2年は修理に時間がかかる見込みです
災害復旧ですから、途中で放り出される心配がないでしょうから、まだいいほうです

あと2,3年は拝観停止ですね











 

AIが要約した、癒される瞑想

  Xをあちこちクリックしていたら、意図せずAIが要約を作ってくれた こんなこと書いてたのか、と自分でも忘れていたことまで見事に要約してくれてます オレンジ色の字は、今回付けた注釈です   瞑想の具体的な手法について (長保寺の瑞樹正哲住職)が発信されている「癒される瞑想(瞑想の...