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令和5年正月 限定御集印

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長保寺受付にて 書き置きをお授けいたします 一部500円  

隅寺と写経

長保寺の心経の経題の下に慈覚大師と書かれています これは、江戸時代の古筆(こひつ)というらしいですが、いわゆる骨董品鑑定家ですね、その見立てが書かれた付箋です この古筆の信頼性は、現代の学問水準からすると100%ではありません 隅寺心経は弘法大師筆という伝承もあります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 30, 2022 隅寺心経を慈覚大師が書写したと言うのは、時代的に言って、ちょっと難しいかなと思います 弘法大師の可能性は、ゼロではないですが、隅寺心経と呼ばれている写経は60巻近く確認されているので、その全てと言うのも無理があります (隅寺というのは奈良の海龍王寺というお寺で、国立の写経所でした) — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 30, 2022   隅寺について

観自在 肝心要

やはり「観自在」なのですよ 心経の最初の一句が、全ての原点なのでしょう そもそも心経の「心」は、肝心要の心です つまり、仏教の肝心要の経典が心経だという立場です その最初の一句こそが始めであり結論でもあると https://t.co/I3vUF9GlGB 隅寺心経 奈良時代 長保寺蔵 pic.twitter.com/7vcbe6HnNo — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 29, 2022

自我の核心

entanglementを(観測)することでquantumが生じるのであって、quantumが独自にあらかじめ存在しているわけではありません この(観測)が自我の核心部分です で、この自我の核心はどこにあるのかというと、quantumは(観測)で生じるのですから、entanglementに自我の核心があることになります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 概念としては、自我の核心がentantanglementにあるわけですが、entanglement は有無どちらでもないわけで、仏教では自我は無いことになっています 死んだら自分のquantumは消滅するのですが、entanglement に自我の核心が存在しているので、(観測)は終わらず、来世はある、でいいのではないですか — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 死は親しい者との別れを強制しますが、お互い時空の無いentanglement に自我の核心が永遠に存在し続けているわけですから、いずれ再会します 結局、ものの見方、考え方でしょうか いかに(観測)し、感じ、どうするのか あなたなら、どうしますか — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022

resonance 意味が通じる

「万物はentanglement」ですから、この文章をお読みになっているあなたと、これを書いている僕は、時空を超えてentanglement な状態であるわけです 理屈では、「空」の中で、あなたと僕は一つでは無いのですが、別々でも無いのです これがね、文章の意味が通じる原理かもしれないと考えています — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 文字に限って考えてみますが、「単なる文字の羅列」の言わんとする所が相手に通じるのは不思議なことです 自分が伝えたい意味が、entanglement な状態で、相手にresonance (共鳴)するのかもしれません これは、全ての種類のコミュニケーションで言えることです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 resonanceは意識を集中していると起こりやすくなります これを、仏教では三昧耶(さんまや)と言います 神仏は、もうすでにentanglement にいると考えられるわけですが、この神仏とのresonanceを試みるのが密教です 最も手っ取り早く叡智を得る方法です — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 すでにsuperpositionに存在している神仏と、行者がコンタクトするわけですが、「万物はentanglement」で同じでも別々でも無いとしても、どのように感化されるのか、仕組みがあるとは思っています それで、resonanceと言っているわけです resonanceを仏教では、瑜伽、繋ぐ、加持と様々に表現しています — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 音叉を考えれば、resonance が起こりやすい環境は思い当たります 互いに固有の波長が近い状態が必要です だから、いきなり神仏とresonanceが生じるのでは無く、自己努力で神仏に心を近づける必要があると思います — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022 resonanceは、波動を連想させる表現ですが、これは、弘法大師の声字実相義からきています 五大にみな響あり、 十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり https://t.co/qr9noMBkqc

不滅の魂 悟り

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entanglement からquantumを得る、ところまでがわかったら、仏教で言う「悟り」が開けるのかと言うと、そんなに簡単ではありません 要は、その「得る」時にですね「いかなる観測(意志)」であるのか つまり、「観測」の目的と目標が何なのか、が重要になるのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022 基本的には、人は善くも悪くもなれるわけです その、「善い」というのは、一体何を基準にしているのか 「万物はentanglement 」ということで考えれば、「他人の痛みを我が痛みとして感じる」あるいは「他人の喜びを我が喜びとして感じる」ことでしょうか ま、以心伝心 — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022 「以心伝心」は、結局、自発的に自分の意志ですることであって、誰かに命令されたり、強要されたりしては出来ません 「万物はentanglement 」という原則によれば、強要による洗脳とかカルトとかには癒しはありません 本当の癒しは、entanglementによる自発的な「以心伝心」で得られるのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022 「以心伝心」の「心」なのですけれど 他人の痛みや喜びを「感じ」て、「どうする」のか これがね、人生永遠のテーマですよ 「感じ」て「どうする」、の部分こそが、その人の「不滅の魂」の姿なのかなと考えているんですけどね わがこころ、吾、心、すなわち「悟り」の姿なのかなと — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022  イワヒバ

entanglement からquantumを得る例

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河口慧海の西蔵旅行記(明治37年)だったと思うのだけれど チベット探検中に困難に遭った時、断事観三昧と言って、これは河口慧海独自の命名ですが、山中だろうが河原だろうが坐禅をして活路を見出そうとしている これなどentanglement からquantum を得る事例とも言える https://t.co/ELm5RLAlVh — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 25, 2022 三井英光阿闍梨が高野山奥之院の責任者だった時、50年に一度の大法要の当番に当たったが、聖天法を秘修して霊感を得て、法要準備の抜かったところを指摘していたのです これは、ご自身の著作にも書かれているので、ここで書いていいと思います これも、entanglement からquantumを得る例 — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 25, 2022 千両

居眠りと瞑想の違い

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寝て夢を見るのは、entanglement との接触とも思えないこともないのですが、寝てしまうと「観測(意志)」が無い 瞑想との一番のちがいでしょうね ちなみに、仏教の「仏」はサンスクリットで「目覚める」という意味なのです 「寝るのと瞑想」との違いは「観測(意志)」ということですね — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 22, 2022 瞑想には、何のためという目的と、結局どうしたいのかという目標が必要です そうでないと、居眠りとたいして違いません entanglement のプロトコルは「慈悲」ですから、目的と目標に「慈悲」が無いとresonanceが生じにくいということになります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 22, 2022 金剛界大日如来 長保寺国宝多宝塔内

自分の空に触れる

目をつぶれば全ては「万物はentanglement」になっているわけですが、entanglement がなにもかも一気に解決するのではありません entanglement がquantumになるには観測が必要で、つまり、「意志」がどのようなquantumになるかを左右すると言えるのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022   仏教の伝統の話をしますが、拝み始める前に、表白(ひょうびゃく)と言いますが、拝む目的をきちんと神仏に説明しなければなりません 拝んだ後には、回向(えこう)と言いますが、拝んだ功徳をどこに向けるか具体的に指定します たとえば 一切我今皆懺悔(表白) 我等与衆生皆共成仏道(回向) — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022 理屈を言えば entanglementが「意志」によってquantum になる 神仏への祈願が「表白と回向」によって現実世界に投影される という構造に、きちんとなっているわけです これは、キリスト教でもイスラムでも似たようなもんなのだと思いますよ — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022 現実世界(quantum)だけの、勝ち負け、損得、貸し借りなどだけで物事そう上手くはいきません それで人類は、生きる知恵として、神仏への祈りや瞑想をしてきたのでしょう つまり、entanglement を観測してquantum を得る それを「自分の空に触れる」と表現することもできるのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022

今ここ

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神や仏はどこにいるのか 聖地や御堂や教会でもいいのですが、「万物はentanglement 」ですから、時間も空間も無いわけで 神仏は、「今ここにいる」でも正解だと思いますよ 「いつもありがとう」って呼びかけてみてください したことないでしょ 喜びますよ — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 19, 2022

癒し 共鳴

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森羅万象全てが「空」の中にあり、自分自身の「空」も、その中で時間も空間も破綻も無く調和しています その、自分自身の調和した「空」で癒されるのです それを、心経では、「一切の転倒した夢想を遠く離れる」と説いています pic.twitter.com/Ar94jFBvpa — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022 大雑把に言えば、事実の解釈(つまり観測)は常に事実そのものではありません ですからquantumをいくら調べても、superposition の全てを理解出来るわけではありません キリスト教で言うところの「原罪」、仏教で言えば「無明」でしょうか — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022 「万物はentanglement」しているわけですから、神々や諸仏もsuperposition すなわち「空」の中にいることになります 神々や諸仏の「空」と、自分の「空」は、ともにentanglement ですから、別々でも同一でもなく、一でも多でもありません 同じと言えば違うし、別物だと言うのも違うのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 16, 2022 Superposition で「万物はentanglement 」しているのですから、同じでも別々でも無く一でも多でもありません だから、こちらの世界(quantum)で神仏を祈るよりも、superposition で神仏とresonance (共鳴)するほうが簡単だということになります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 16, 2022

束縛からの解放

Superpositionにおいて「万物はentanglement」な状態ですから、観測しなければquantumにはなりません 観測(つまり意志)が無ければ、この世界はありません この「意志」が、ひん曲がって、汚れて、自分勝手で、嘘っぱちだったら世界はどうなりますか? pic.twitter.com/duZPLdMiQH — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 14, 2022 仏教的なロジックで言えば、自分自身の「空」で癒される必要があります quantumの側の発想にこだわるならば、問題の本質的解決には至らないのです だから「観自在」で、過去のしがらみや、固定観念、嘘、間違いを、「自在に観て」、束縛から解放される必要があります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022

本質的自由 幸福になれる可能性

Quantumは観測されなければSuperposition(entanglement な状態)です しかし **そこに「意志」が働くことで(観測)、この世の現実になる** という言い方もできます つまり 「意志」が現実を作っている 生死も苦厄も「意志」が作り出している という言い方もできます pic.twitter.com/ob3DQicbE1 — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022 「万物はentanglement 」ですから そこに「意志」が働けば、より望ましい現実をもたらす可能性があります 「人間の本質的自由」と、「誰でも幸福になれる可能性」の、これが根拠です — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022

可能性 意志の働き

「万物はentanglement」であることは、実は生活の隅々に行き渡っています 例えば、今日の夕御飯は何にするか決まっていない(entanglement)、だから夕御飯は「無い」にはならず これから計画して決めれば済む事です — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022 少子高齢化はもう避けられないに「決まっている」 ではなくて(entanglement)、どうにかすることは出来る 貧乏は不幸に「決まっている」 ではなくて(entanglement )、他では味わえない幸福もある 人は死んだら終わりに「決まっている」 本当にそうなのか — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022 川に橋が架かっていないから渡れないに「決まっている」 ではなくて(entanglement ) 橋を架けようと思いつき、設計図を書いて、材料と人手を集めて 橋を架ける工事をする 冗長な話ですが、「万物はentanglement 」な訳ですから、そこに「意志」が働けば、固定された状態を変える可能性が生じます — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022

観自在 洗脳

これが,「万物はentanglement 」ですか、わかりました、これで生も死も苦しみも災いも無くなりました・・・とならないのは 心経の1番最初に書いてある「観自在」、観ること自在なるというところがなかなか難しいからです 我々は、ありとあらゆる固定観念、思い込み、誤謬に囚われているからです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022 「万物はentanglement」だから苦しみや災いから逃れるのは、たとえば 今日は雨で濡れるから「嫌だなぁ」となる事が確定してるわけではなく、考え方によっては、空気が湿って新鮮な感じで「嬉しい」にもなるわけです 原因と結果が、動かし難く決定してるわけではないのです つまりentanglement — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022 「雨は人を不幸にするに決まっている」と決めつければ、entanglement を否定することになります なにごとも、考え方次第、感じ方次第であり、善悪、好悪などの評価が機械的に決定されるわけではないのです 当たり前と言えば当たり前で、「万物はentanglement 」だからです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022 「観る事自在」であることが大事なのですが、この「自在」ができそうでできない 知らず知らず「こうに決まっている」と決めつけているのです 洗脳状態と言ってもいい たとえば、目の前のモニターは、ぱっと目をつぶった瞬間にentanglementになる、わけなのですが、そんなこと考えてもいません — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022

「万物はentanglement 」 「観る事自在」

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長保寺蔵 隅寺心経      ノーベル賞で「万物はentanglement 」だというところから始めればいいことになりました 「万物はentanglement 」だから、心経の「度一切苦厄」が可能になり 「万物はentanglement 」だと認識することが、つまり、「遠離一切転倒夢想」だというわけです 長保寺蔵 隅寺心経 pic.twitter.com/xEHJXYHQdj — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 11, 2022 これが,「万物はentanglement 」ですか、わかりました、これで生も死も苦しみも災いも無くなりました・・・とならないのは 心経の1番最初に書いてある「観自在」、観ること自在なるというところがなかなか難しいからです 我々は、ありとあらゆる固定観念、思い込み、誤謬に囚われているからです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022 「万物はentanglement」だから苦しみや災いから逃れるのは、たとえば 今日は雨で濡れるから「嫌だなぁ」となる事が確定してるわけではなく、考え方によっては、空気が湿って新鮮な感じで「嬉しい」にもなるわけです 原因と結果が、動かし難く決定してるわけではないのです つまりentanglement — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022 「雨は人を不幸にするに決まっている」と決めつければ、entanglement を否定することになります なにごとも、考え方次第、感じ方次第であり、善悪、好悪などの評価が機械的に決定されるわけではないのです 当たり前と言えば当たり前で、「万物はentanglement 」だからです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022 「観る事自在」であることが大事なのですが、この「自在」ができそうでできない 知らず知らず「こうに決まっている」と決めつけているのです 洗脳状態と言ってもいい たとえば、目の前のモニターは、ぱっと目をつぶった瞬間にentanglementになる、わけなのですが、そんなこと考えてもいません — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022

冬の朝

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輪廻 臨死体験

仏教では「空」の中で、我々の個性はmix(つまり、混ぜ合わさって一つ)にはならないと考えている 我々は、どこまでも転生を続けていって、いつか仏菩薩と等しい存在になることになっている 神仏の助け、護りはあっても、「空」の中でmixされ、合一するとは考えていない — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022 ただその、転生するのが、無条件に楽しいとは思っていなくて、むしろ、極楽世界から追い出されるくらいに思っている 天人五衰という言葉があるが、天界の快楽は人間界の快楽よりも大きいのだが、いずれ天人としての因縁が尽きれば、どこかへ転生しなければならない 転生必ずしも楽しくはないのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022 仏教では あの世はあるか?とか 死後の世界、とか 臨死体験、とか 初歩的な諸問題であって、いつまでも転生が続くのを苦痛と感じて、いかに輪廻転生を終わらせるかが重要な問題なのです 仏教の始まった2500年前は生きていくのが今よりずっと辛かった、というのはあると思う — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022 臨死体験した人から直接話を聞いたことがあります 高速でオートバイ事故を起こし、花園に行ったが、後ろに吸い込まれて帰ってきた 死んだら、あそこに行くのがわかっているので怖くないそうです 実は、この方、NHKの番組にも出た https://t.co/YBWqT5O1ej — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 6, 2022 臨死体験については、もう7年前に動画を出していますが、これ結局、死んではいないのです あくまでも「臨死」 ただし、いまだ合理的な説明ができない 盛りに盛った話や、長大な尾ひれのついた話が多い EPRパラドックスが否定されたんで、少しは話が進むかも https://t.co/SdSELsFWKK — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 6, 2022

神仏の助け 「慈悲のかけら」

「空」の中でプロトコルが成立するには、resonance(共鳴)する必要がある 神仏の「慈悲」と共鳴したいなら、自分にも「慈悲のかけら」が無いと共鳴はしない だから「誰かを救おうとするものが、救われる」のです 「己界、仏界、衆生界」がそれぞれentanglement だから共鳴し、癒しが可能なのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022 仏教はもう2500年やっているわけですから、「空」に多数の先達がいらっしゃることが想定されるわけです お釈迦様以外にも、過去現在未来で3000仏、数限りない菩薩・護法善神・聖僧・神僧など この存在達に、「空」の中で応援され手助けされているのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022 そもそもですが 神仏の加護を得るには、resonance (共鳴)が必要なわけで、様々な作法や修行法など形だけまねても、自分自身に「慈悲のかけら」がないと神仏の「慈悲」と共鳴はしないのです — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022 ノーベル賞でEPRパラドックスは正式に否定される形になったわけで、つまり、万物はentanglementな状態で「空」に存在してる だから、あなたの行い善悪正邪全ては永遠に時空の無い「空」に刻まれていますが、resonance の助けがあれば、永遠のループから救われる可能性がある — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 4, 2022 因果応報、カルマ、業から自助努力で抜け出すことは、もちろん可能ですが、病気の時、家で一人で寝てるより医者に行った方がいいのと同じで、誰かの助けを得たほうがいいにきまっている 加持とか念仏は、そこが原点なわけですが、自分に「慈悲のかけら」があったほうがうまくいくということになります — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 4, 2022

自分自身の「空」に触れる 癒し

プラトン哲学や量子論と違って、仏教には生老病死の巷で生きている自分自身の奥底にある「空」にアクセスする方法があります そして、自分自身の「空」に触れなければ、苦厄から逃れることは難しいのです 大まかに言うと、そのやり方は「止観」です 今の自分から離れて、「空」に触れます pic.twitter.com/SzXcRdiYTi — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 1, 2022 「空」は、つまり、ゼロポイントフィールドですから、秩序が破綻していない 完全な秩序と言うこともできる 「空」に触れることで、我々は深く癒されるのです pic.twitter.com/cvj3SowyaH — 瑞樹正哲 (@chohoji) December 1, 2022

無意識の観察 呼吸

瞑想の時の呼吸法は、4つ吸って8つ吐く、とか色々言うのだけれど これは、仏教で言う数息観(すそくかん)と本質的に違います 普通呼吸は無意識にしていますが、その無意識の呼吸の数を数えるのが数息観 つまり無意識を観察している テクニカルな呼吸は、意識した呼吸法 — 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022 呼吸は、意識的に吸って吐いてとできるし、普段は無意識にしている つまり、意識と無意識にまたがっている 無意識にしている呼吸の数を、ただリラックスして数えるのは、自分の無意識を観察していることになる 何回吸って、何回吐くというのは、意識的呼吸法であり、無意識の観察では無い — 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022 数息観は、「ひとーつ」「ふたーつ」と10まで数えて、それを繰り返すのが一般的ですが、100とか50とかやれと言う人もいる やればわかるけど、100までなんて集中力が続かんよ 数えることじゃなくて、普段無意識にしている呼吸を観察するのが大事です — 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022

プロトコル 大好き

瞑想の大事なコツに、一番最初に「微笑む」というのがあるのだけれど、これ、今までほんとに誰も言わなかった 「無ーーっと」とか、ただ半眼にしろ、とかしかなかった やってみたらわかるけど、入り方が違うよ 理屈は、プロトコルが「慈悲」だからです — 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022 瞑想や坐禅や念誦、などなかなか成果が出ない人は、一番最初に「微笑んで」、神仏に向かって「大好き、いつもありがとう」って念じてから初めてみてください 今まで、そんなことしたことありますか 神や仏も、「うれしい」と思うんじゃないでしょうか — 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022