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2013/01/05

プラトンは、なぜ瞑想をしなかったのか?



プラトンは、なぜ瞑想をしなかったのか?

プラトンに詳しい人に近くでいろいろ聞ければいちばんいいのですが、僕なりに調べてみると

ネオプラトニズムの創始者とされるプロティノスが瞑想をしていた形跡があるらしいのがわかりました
まあ、でも、廃れてしまっています

で、プロティノスがアウグスティヌスに強い影響を与えたことで、キリスト教ともつながってきます


僕的には


大雑把に、仏教の空観とプラトンのidea論が、極めて似た構造をしていると考えているわけです

仏教的には、「色」は人間的妄想や執着によって脚色された「空」ということになり、迷いや過ちの根本原因になり得ます
で、生きている間には、「空」によってリフレッシュされる、まあ、癒される必要があります
そのために、瞑想、いわゆる禅が必要だという論理です


そこを、プラトンは、ideaを説くのですが、それをいかにして獲得するのか、も一つわからない
プロティノスが瞑想をした、ということで、いいところまで来ているのですが、主知的な、言葉だけによる展開のなかに埋没してしまいます
しかし、アウグスティヌスを通じて、キリスト教神学に影響を与えていくのです

キリスト教のニカイア公会議で三位一体説が正統だということに、議論の末に決着します
ローマ帝国の統一には、神と人間の接点は教会だけだという、教会を中心とした権威を最大化する必要があったからです
実はここにも、仏教と接近遭遇する、きわどい部分があるのです
アウグスティヌスは、その著書である「三位一体論」で「父と子と聖霊が、三つなる神ではなく一つなる神であると聞けば、諸君はこのことに困惑するだろう」と、三位一体説の理論構築に人為的な操作が必要であることを認めています

三位一体説を平たく言うと、キリスト以外に神はいない、人間は皆、迷える子羊でキリストによる救いを必要としている、という論理になります
キリストの復活された精霊に触れることができるのは教会しかない、と言えばカトリックになり
聖書を通して触れる、と言えばプロテスタントになります

人間に仏性があり、人は修行によって仏に近づく、などという発想は、キリスト教にはありません
人は皆、子羊であり、キリストによる救いを必要としていると考えています
(キリストをアラーに読み替えれば、イスラムになってきます。アラーは肉体を持ったことはないので、偶像崇拝を排除します)

ですが、三位一体ではなく、三位がバラバラに成立する、とローマ帝国の政治的都合によりニカイア公会議で異端にされてしまった考え方を採用すれば
父と子と精霊を、父=神、子=イエス、精霊=神性、とまあ、整理させてもらうと、父=仏、子=衆生、精霊=仏性と飛躍するのも紙一重ということになります
キリスト教世界に、お釈迦様が出現しなかったから、飛躍できなかったのでしょうけれど




つまり

視点を変えれば、仏教とプラトンとキリスト教は、共有する接点があると言えるのです(大まかに言えば)

idea論に瞑想を加味すれば、禅になり
キリスト教で三位一体説を拡大解釈すれば、一切衆生悉有仏性になります

宗教や哲学は、基本的に人間の脳内の産物で、「真実の説明」なのですから、真実そのものは一つしかないということを前提にすれば、「説明の改善」によって、一見全く違う立場にあるような主義主張も、近似するものに変わってくると、まあ、考えられるわけです

そうなると、本当に重要なのは、宗派宗旨の教学を学んで脳内に言語を紡ぐことよりも、「真実の体得」あるいは「真実を実感する」ことです

今のところ、その最も身近な方法は瞑想です
瞑想を、最も精緻に壮大に構成しているのは、プラトンでもキリスト教でもなく、仏教です
仏教の場合は、ここに、仏典に説かれる菩薩とか、大師と尊称される高僧方など、この瞑想の階梯を達成した存在が想定されてきます

で、なぜにideaがそこにあるのに、プラトンは瞑想をしなかったのか?
ここに戻ってくるわけです


   
 

2012/12/05

癒される瞑想



=癒される瞑想=

今、パッと目をつぶってみてください
モニターは見えなくなります
見えなくなった間にモニターは月に行っている・・・わけはなく、そこに「ある」のですが、見てないから、わかりません
わからないけれど、「ある」

その、見てないモニターを「感じる」ということですよ


見ていない世界は、自分で今感じている世界より、広いのです
過去も未来も、地球の裏側も、宇宙の果ても、皆、見ていない世界にあります

その、見ていない世界に、あなたを救い導く存在がいます
これから出会う取引先かもしれないし、病気を治してくれるお医者さんかもしれないし、いつか、神仏と出会うかもしれません

敵や、仇もいるでしょう
もちろん、なるべく、出会いたくない


この見ていない世界を「感じる」ために、仏教では伝統的に瞑想をします
いわゆる「禅」です
敷居が高く感じるかもしれません


皆さんは、微笑んで、静かに呼吸に意識を集中してみてください
自分自身の中にある無限の可能性に、出会う方法です


微笑むのは、瞑想中に「善きもの」とだけ出会うために必要です
これ、一番大事なコツです

呼吸に意識を集中するのは、呼吸は、意識して早くも遅くもできますが、普段はまったく呼吸しているのを忘れています
つまり、呼吸は意識と無意識にまたがっているのです
それで、呼吸に意識を集中すると、手軽に無意識の領域に近づけるということになります

ボケーっとなにも考えないのがいいのですが、これが、やろうとすると案外難しい

一番効果があるのは、朝日か夕日を眺めることです
日中は、太陽光線が強くて見つめることができませんから


さて、理屈はこのへんで


一度試してみてください
気持ちいいですよ


詳しくは、こちら
http://www.chohoji.or.jp/shousei/saloon.htm









2012/08/31

多宝塔の避雷針


文化財建造物には、必ず避雷針を取り付けなければなりません
取り付け方は、いろいろありますが、今回の修理では、塔芯の横に付けることになりました
以前は、先端部分につけていたのですが、本体の塔芯を傷つけるので、ちょっとかっこがわるいのですが、横に付けました

朝日で光っていますね


2012/08/09

多宝塔に葺き直された中世瓦



今回の修理で、中世の瓦で使える物は、また屋根に戻され、使われています
多宝塔の、一層目二層目の東面に中世の瓦が集められて葺かれています
一層目と二層目では、瓦の大きさが違います

 
 

2012/08/02

月明かりの多宝塔


月って、写真に撮ると、けっこう明るいんですね

一人で写真を撮っていると、裏の山でいろんな動物の鳴き声がして、ちょっと不気味でした

2012/08/01

雨に洗われた多宝塔



修理の後、足場と覆いを外して初めての雨に洗われて、瓦と相輪が輝いています


2012/07/11

7月11日の多宝塔


7月下旬に文化庁の完成検査があります
修理の説明と報告については、正式な修理報告書が出版され、全国の公立図書館に配布されます

僕からの説明は、その後にさせていただきます(^^)/


 

2012/07/05

多宝塔の工事足場がとれました

長保寺 国宝 多宝塔 (正平十二年 1357)


天候を見ながら、足場が順次片付けられます

解説はこちら


2012/07/04

多宝塔が姿を現し始めました


工事足場の撤去が進み、多宝塔の姿が見えてきました

少しの間、本堂前に工事資材が置かれますので、ご参拝の皆様には、ご不便ご迷惑をおかけいたします



2012/07/02

多宝塔の工事足場の撤去

多宝塔の工事足場の解体が始まりました


去年の4月からの工事が一段落します
7月終わりには大門の工事足場も撤去の予定です

仏道を歩む 多神世界をどう生きるか 動画要約

多神教の世界 : 演者は、すべての人を一つの宗教に改宗させようとするのではなく、多様な宗教や無神論者が共存する多神教の世界でどのように生きるかに焦点を当てるべきです。 仏教とキリスト教 : キリスト教のような「啓示宗教」とは対照的に、仏教は個人的な実践と理解を通じて自身の苦しみを...