投稿

1月, 2010の投稿を表示しています

寒肥

イメージ
牡丹の寒肥をやりました つぶつぶの鶏糞です この時期の施肥がメインで、あともう一回花が終わったらやります 七月になったらすぐカミキリ虫の防除をします 牡丹の花は100株位ありますからたいへんです

新年会

先日、天台宗和歌山部の新年会が和歌山市内のホテルであった 毎年、和歌山のどこかで泊まりがけでしているのですが、もう県内を一週回ったので和歌山市になった 家から40分位のところなので、こんな機会でもないと宿泊することもないですね ちょうど共通一次試験の時で、受験生の宿泊が目につきました 昨日は、防衛協会の新年会 自衛隊の志願者は、優秀な人が多く集まって、今、高卒で倍率7倍位かな 自衛隊で採用されて、ちゃんと勤まれば、どこに行っても生きていけるよ 人並み以上の職業訓練を国費でしてくれるし、平和に貢献できるし、いい職場です 戦争が起こったら怖いと心配する人もいますが 今時の戦争は、ゲリラ戦やミサイル戦ですから、前線も銃後もないので、戦争が起こったら自衛隊だけが特別危険ということでもないと思いますよ それで、宴会の席で隣に座った方が、84歳の方で 年をとるほど血圧が低くなって、風邪もひかなくなったというんです 13年前に脳溢血になってから、自分で研究して、ある健康法を実践しているそうです それは、朝食に茶碗いっぱいの大豆を、ごはん代わりに食べるんだそうです どうも、大豆に血圧を下げる効果があるらしい 自分で自動車を運転していらっしゃって、元気そのものです 息子さんはお医者さんなんですが、顔色は息子さんより若々しいかなぁ もちろん、うちでもやってみます

ロウバイ

イメージ
ロウバイの花が盛りです 今年は例年より咲きはじめるのが遅くなりました

スイセンが満開です

イメージ

釣鐘の鎖

イメージ
釣鐘の撞木の鎖の調節をしました 除夜の鐘に合わせて、近所の大工さんの奉仕で新しいものに変えて頂いたのですが、どうも鐘の真ん中にあたっておらず音が響かないので、ちょっと調節しました 響くようになった感じです

橙取り

イメージ
天気がいいので、橙(だいだい)取りをしました 畑で、ミカン、レモン、柚子、橙を作っています 橙でポン酢をつくります 自家製のポン酢は新鮮でおいしいですよ

お日待ち

イメージ
今日は、紀州初代藩主の命日で、有田市の矢櫃というところで「お日待ち」と呼ばれる行事がありました 矢櫃は紀伊半島の西の突端で、江戸時代の初めに初代藩主が岬の守りのため二組の夫婦を住まわせ警戒に当たらせました その子孫が今の矢櫃の人達で、初代藩主の命日に、もう350年近く連綿と法事を続けています 初代藩主は南龍公と呼ばれ、神様として奉られていますが、お墓が長保寺にあって、明日の朝に墓参りに来ます この時、好物だった小豆をお供えするのが習わしで、これも350年近く続いています 矢櫃には江戸時代に、のろし場があり和歌山城に急を知らせることができるようにしてありましたが、また綺麗に整備して復活させるそうです

唯脳から唯識へ

政治の話なのですが、政治手法をザックリ、利権保護(保守)と理想追求(革新)に分けてみる つまり「保守」は既得権を守り育てれば務まるわけだが、「革新」は単なる「もんくたれ」でも務まるのは在野にいる間だけで、立場が変われば、それなりの道筋を示す必要はある で、既得権を守るだけなら理想も夢も無くてすむれど、未知の道筋を示すには、今は無いものを説明するわけだから、脳内でイメージを作っておく必要に迫られる だから脳内で自分勝手なイメージに浸ることも有り得るわけで、「革新」は現実から乖離する傾向を持ちやすいと言える 脳の力があるから、現実を変えることができるわけだが、独りよがりと紙一重でもあるということ 脳の意識作用だけに限定すれば、とりあえずは常識の範囲の話になるわけだけれど、脳はつまり死んでしまえば終わってしまうわけで、責任範囲は個人に限定される そこで、意識作用を脳の力に限定する概念を「唯脳」とすれば、もうひとつ「唯識」という概念がある 特定の脳が無くなっても、世界は無くならないわけで、しかし、意識されなければ世界は存在しないのも事実で、「唯脳」では説明が不十分で「唯識」という概念が必要とされてくる 識こそ全てで、識は五感によって脳にイメージを投影し、脳内に外界を作り出している 識は、無限大で一つしかなく、全てが繋がっているのだが、脳に投影された外界は、分断され、有限で、死によって失われる つまり、「唯脳」から「唯識」へ概念を進化させれば、独りよがりや現実乖離と、死による無意味化は、かなり改善される(理論的には) 実は、慈悲は「唯識」から導き出される概念で、識のなかで人が繋がっているから、思いやりも同情も勝手な妄想でなく成り立つと言える 無限の繋がりから、脳がイメージを切り出しているという自覚を持てば、余計な執着は否定され、ありのままの世界を生き続けることが出来るという話 「保守」や「革新」を超えた立場もあるだろうと思うよ

日本の活路

リーマンショックがあって、アメリカが世界経済を牽引する構造はあてにならなくなった 日本の特に製造業は、アメリカが一番のお得意様で、自動車でも家電でも、どんどん買ってくれたので、今まではそれで大もうけできた 結局、アメリカは借金で買い物をしていたわけで、来るべきものが来た それで、日本の製造業が、輸出でもうける図式は成り立たなくなってしまった 特に、今は、新興国の低賃金労働との競争にまともにさらされていて、派遣村の人たちは、つまり、バングラディシュの日当240円の人たちと競っていることになり、勝ち目は無い イギリス式に製造業を捨てて金融立国を目指そうという考えかたもあったが、そもそも金融システムの信用が、「借金の証券化」などというとんでもない仕掛けのおかげで失われてしまったおかげで、つぶれてしまった 日本の製造業は、高コスト コストを減らすには、賃金を下げるか、人を減らすか、機械による省力化か、いずれにしても、人件費の削減は避けて通れない ここで、選択肢は3つあり 1、アメリカ式に、貧富の差を作り、金持ちは徹底して金持ち、貧乏人はほったらかし、金持ちになりたければ自己責任で勝手にどうぞの国 2、日本式の、大企業が生き残り、中小企業は淘汰、あぶれた人は派遣村、という国 3、北欧式の、高福祉高負担 1、中国などがどうも目指しているようですが、もともと奴隷制のあった国だからできることで、スラム街があっても平気でないと無理、日本人のような家族主義の国には無理 2、派遣村や格差社会など、やさしい日本人には耐えられない、格差はいずれ固定化してコジキ階級が生まれるが、とてもじゃないが無理です 3、これは、人口が少なくて管理が徹底できる国でないと無理、国を信用して税金50%とられ、国を信用してそれを分配してもらうことになるけど、国民年金の迷走をみれば、日本のスケールでは無理なのがわかる ということで、人件費を削減して製造業が生き残るのは、無理ではないかという結論 ドイツの製造業は、なんとかやれてますが、あれは東ドイツという低賃金地帯と合併したからで、まあ、今のところはやれている 金融立国で成功した国はない アメリカ、イギリス、アイルランドは破綻 ベルギー、ルクセンブルグは小国なので参考にならず 製造業の生き残りも、金融立国も無理 という結論 じゃ、どうするの、ということなのですが 海

あけましておめでとうございます

イメージ
本年もよろしくお願いします 今年はなるべく頻繁に更新しようと考えています 寅年なので、猫のムーがご挨拶します 「腹へった、なんかくれ」