投稿

12月, 2011の投稿を表示しています

今年一年ありがとうございました

「日本人は、こんな調子で生き残れるのか?」 http://blogs.yahoo.co.jp/terra_free_talk/32802361.html というのが、今年の正月に書いた、ブログのテーマでした 震災を予感していた、というご立派なものではなくて、漠然と、ノーテンキで平和ボケした日本人に、我ながら不安になってきた、なってくるような、新興国の発展ぶりであるというのを実感した、ということです 前年の平成22年にインド、中国と行く機会があったのが大きい そこに来たのが、大震災と津波、原発事故 まさに、泣き面に蜂、踏んだり蹴ったり、 「大丈夫か日本」 という年であります(現在進行中ですね) そこにきて、政治能力の欠如 ただしかし、日本人の底力、日本人にしかない美徳、といったものを感じさせた年でもあります どのみち、このブログをお読みいただいている皆さんも、死ぬまで日本人でいるわけですし、日本人として、どこまでやれるか、やれるだけやってみる以外に選択肢はありません 頑張ろう、と言ったところで、なにをどう頑張ればいいんでしょうね なんの根拠もありませんが、なんとかなる、と思っています それどころか、逆境を全部ひっくり返して、幸運に変えることができると確信してます 生き残るために、できることは全てする 勝ち残るために、すべての準備をする 逆境をひっくり返してやろうと、頑張り続ける 最後まで残るのは、しぶとく、あきらめなかった奴だけなのです まあ、他にすることもないのですから、未来を楽観してスイスイといきましょう

気休めも必要だよね

イメージ
生きがいの創造 IV 福島在住の著者は、自ら被災し、放射能の脅威に晒されながらも、津波で被害を受けた被災地を巡り「魂の救援活動」を続けている。本書は、思いがけず津波の被害にあった魂たちを「光の世界」に送り届けるまでの対話、そして、東日本大震災の意味をスピリチュルな観点から考察し、日本と人類が進むべき「光の方向」について示している。 飯田先生、ほんとに御苦労様です 僕は、書かれていることが本当に有ったことだということに、なんの疑問もありません つまり、霊と対話し、光の世界に送り届け、至高の存在と繋がる、ということに 僕は坊さんの世界で、こういう人と何人もつきあっていますから 一読をお勧めしますよ それで、僕の読後感ですが 一言で言って 「偉大なる、気休めの書」 実は、この手の人は珍しくないのです 霊界の仕組みの説明なら スエデンボルグ、バシャール、出口王仁三郎、エドガーケイシー、シルバー・バーチなどなど、思いつくままに挙げていってもけっこうあります 霊示とか神示、啓示を受けて、それを人々に伝えるということであれば、キリスト教、イスラム教などもそうです 今現在、公表はされていなくても、霊的な救済活動をされている方も多いと拝察いたします 飯田先生のやりかたとは違うと思いますが で、これですね上田紀行先生の「 宗教クライシス 」で 既に指摘されているのですが、変性意識状態の絶対的体験を説明しようとすると、その人の属している文化的背景によって脚色されたコスモロジーに収斂するのです 手に入りにくくなってきてますが、要約なら僕が ここ でしてます 体験<----脳ーーーーイメージ 絶対的体験、まあ、たとえば霊との対話とか、神とのコンタクトを脳機能で翻訳して初めて、その人が属する世界観で説明できるようになるのです ですから、 脳の数だけイメージが成立します たとえば、同じ仏教でも、最澄、空海、法然、親鸞、道元、日蓮と、どなたも、大真面目で真理を説いているのですが、内容はそれぞれ違うのです ということで、飯田先生の世界観も、やはり、飯田先生独自のものになります これは、どうしようもないことです  今回の飯田先生の本では、信じることの大切さが結論部分になるのですが、僕的には、あまりお薦めし

Superpositionの仏教的意味

イメージ
すいません これからの話は、かなり、わかりにくいです  量子論的には、観測されるまでは物質は粒子として場所を特定することができません それをSuperpositionと言って、(最近になってようやくネットなどでこの言葉が見かけられるようになってきました)波動として、あそこと、ここと、重ね合わさって同時に存在している状態としています 仏教で言えば、唯識で言うところの所観で、つまり、感覚器官で感じる前の観察対象のことで たとえて言うと 今、パソコンのモニターを見て、字を読んでますよね ぱっと、眼をつぶります その、眼をつぶっている間に、モニターは月まで飛んでいってます・・・ なわけはないのですが・・見てないんだから、わかりません でも、そこにあったということも、見てないんだから、わかりません で、そのモニターは、どうなっていたか、有るでも無いでもない、ま、見てないんだからわからない それを、「空、くう」と仏教では言うわけです 観察によって、時間や空間が生じるのです つまり、生や死も 考えようによっては、広大な「空」のなかにぽっかりと、あなたの意識が浮かんでいるようなものです あなたは、今、見たり聞いたりして、生きているという素朴な実感を感じていますが、見ていない、聞いていない、広大な未知領域に囲まれているとも言えます 広大と言いましたが、時間も空間も無い(有ると断定できない)領域です 今、ぱっと眼をつぶってしまえば、眼の前のモニターも、あなたの左右の手も、Superpositionになります 記憶を例にとって話をします 印象深い瞬間というものは、昨日のことであっても、一ヶ月前のことであっても、ありありと思い出すことができます 古いことほど曖昧にはなりますが、きっかけさえあれば、ほぼ同時に思いだすことができます これは脳の機能だと言う説明が、一応の科学的な説明なのですが、脳を解剖しても過去がでてくるわけではありません 富士山を思い出しても、解剖したら富士山がでてくるわけではありません 積年の恨みとか、秘めたる決意とか、頭蓋骨を割っても、発掘されることはありません あたりまえですが 「記憶はSuperpositionに蓄積され、脳によって呼び出される」という仮説を立

量子論と心

イメージ
量子論をamazonで検索すると1500冊位の本があるのがわかります マンガや絵解きもあって、これはこれで興味深いです で、僕は、量子論と仏教哲学と接点があるんじゃないかと思っているわけですが・・・ 端的に言って、お釈迦様は量子論を研究したから悟りを開いたんじゃありません ま、関係無いと言えばそれでお終いですが、無くても間に合います それでも、量子力学は案外身近なんですよね たとえばパソコンのCPUで使われている半導体 この半導体ですが、電気を通したり通さなかったりするから半、導体ですね なぜそうなるか、きちんと理解するには量子力学で説明しなければなりません たとえば、今でも使われている江崎博士がノーベル賞を取ったトンネルダイオードは、まさに量子の不確定性原理によるトンネル効果(Quantum tunneling)を応用しています トンネルダイオード 平たく考えて、量子レベルで不確定性原理が成り立っているわけですから、結論的に言って、脳も例外では有り得ないわけです これ、文章で書くと 「量子は観測されるまでは、霧状の存在(superposition)であって、観測された瞬間、収束して粒子になる」 つまり、あなたの知り合いのA氏は、面会するまでは、霧であって、面会した瞬間にA氏となる、てことらしいです 変ですが、この理論でダイオードや電子顕微鏡などが実際使われているんだから、しかたありません 現在のコンピュータの原理を発明したノイマンは、「原子の位置は心の中で決まる」と説いていたわけで、それを完全に否定することもなく今も研究は続行しています いずれ、もっと研究が進めば、華厳とか唯識、空、といった仏教理論も理解が深まることでしょう 今のところは、仏教は空理空論ではない、とだけ言っておきます

時空を超えた相関状態

イメージ
僕は Quantum Sense ですでに書いていますが http://www.chohoji.or.jp/archives/quantumsense.htm 量子論の superposition が、仏教で言うところの「空」と非常に近い概念なのです 実はこの superposition が成り立つと、「自分を変えることで世界を変える」という理論も成り立つのです それが entanglementsです 密教的に言えば三平等観ですかね 「我とホトケと平等 ホトケと衆生と平等 故に、我とホトケと衆生と平等平等なり 故に、真言行者座を立たずして一切の仏事を成す」 ま、一気にここまで言うと飛躍しすぎと言われそうですが、 entanglements で量子コンピューターを作るつもりらしいですから、笑っていられませんよ まあ、電波とか電気も、霊的世界と近いと言えば近いしね  Si半導体中で量子もつれの生成と検知に成功  「重ね合わせ( superposition )という概念は、何らかの物体が同時に2つの状態で存在できる現象を意味しています これはとても妙なことで、私たちの日常生活では経験できないことです 当然、量子力学を創り出した物理学者さえも理解に苦しむ大難問でした たとえば私がここに座っている状態と向こうの方に座っている状態は想像できます でも、同時に両方に座っている状態は想像できません しかし、量子力学では、まさに重ね合わせ( superposition )の原理によりこれが可能です このように原子、電子、分子などは同時に2つの状態で存在することができ、この概念が量子技術を強力なものにします 重ね合わせ( superposition )のさらに延長上にエンタングルメント( entanglements )があります これには2つの量子的物体が必要です この2つが絡み合う(エンタングルメント entanglements )と、個々の物体を分けて考えることはできません エンタングル( entanglements )した2つの物体を宇宙の両端まで引き離したとしても、片方の状態はもう片方の状態に影響を及ぼすという時空を超えた相関をもちます」

光の瞑想に新しい画像を追加しました

イメージ
http://www.chohoji.or.jp/shousei/saloon.htm

光の瞑想 バージョンアップ

イメージ
<>光の瞑想を、ちょっと手直ししました 光という表現もどうしようかと思いましたが「慈悲」とか「愛」とかね、今風の表現はどうかととも思案しましたが、ロゴもつくちゃったし、まあ、いいかと 瞑想の方法については、書いていることは原則論であって、個人個人、効果の有る方法は違ってきます 時期もあるし、階梯もあります ま、一般論ということで (なんかGoogleでつくるとhtmlにゴミがつくのよね・・・・アメリカが全て正義でもないよ) 見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています 脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません 生滅も垢浄も増減もない、時間と空間のない完全無欠な世界です 自分が感じた世界は、自分だけのものです 感じる前からある、ありのままの世界とは違います 自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います 苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です 感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です 今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です 苦しみや悩みを 救う力 は、感じる前の世界にあります その力に気づくのを、悟り、と言います わがこころ、吾心ですね 見る側の我々と、見られる側の世界との間には壁があります この壁を超えるのが「慈悲の感触」です ここでは、光と言っておきます 「慈悲の感触」だけが至高の心に繋がっています あなたが、全力で誰かのために働く時、自分自身の中にある、至高の心に出会えます 普段は感覚器官によって切り取られた、自分の脳内世界を自分自身であると思い込んでいるのですが(つまり我執)、実際の自分自身は感じられる前の「至高の心」そのものなのです(これが悟り) 心の重点を、私利私欲に置けば、迷いの世界が深まり 利他公益に置けば、「至高の世界」に直結する、と単純な理屈です 実は、「至高の世界」に気づけば、「死」の意味も変わる、ということですね 光の瞑想の模式図 http://www.chohoji.or.jp/sh