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1月, 2009の投稿を表示しています

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  朝青龍のガッツポーズが議論を呼んでいるようですが 「型破り」に対するイジメ、だとしたら、くだらんことです 僕は、そんなに大問題になるのがよくわからない 彼はモンゴル人なんだし、そんなに嫌なら相撲界に外人を入門させなければいい が、しかし 相撲には、伝統に培われた美学があるわけで、そこを理解してもらいたい、とも思う ガッツポーズが美しくないという感性は、武士道から来てるんじゃないでしょうか 武士道は戦国時代から江戸時代にかけて洗練されていった、武士の作法であるわけですが 「敵を人間として辱めない」というのが重要なのです これは、ヨーロッパの騎士道でも同じことです 土俵から出た相手を突き飛ばす、などというのは、美しくないのです 敵に対する道義的扱いには、倫理的、道徳的な、また宗教的な理由を考えることもできるでしょうが、、敵として打ち負かしても、今度は味方となって共に戦うことがあるかもしれないという現実的な側面があります 戦った相手と和睦して、もっと大きな敵と戦う、など、戦国時代ではごく当たり前のことです 大陸では、民族抹殺とか民族浄化などの「共食い」がありますが、日本にはありません 感情にまかせた行いは、敵を増やしこそすれ、減らすことはありません     まあ、型破りは、相撲に限らず日本社会では、基本的に歓迎されないわけですが 日本社会全体に、減点主義がいきわたっているせいもあると思います 教育しかり、マスコミも、産業も、近代化という名のもとに、西欧文明という100点満点のお手本を目標に自分達の達成度を測ろうとしてきた お手本となる、知識あるいは権威があって、それを習得するのが、近代化であり、明治以後の国家の目標だったのです お手本から外れれば、減点されます それが、効率的な近代化の進め方です 明治維新以来140年、追いつけ追い越せでやってきたわけですが、そろそろ、西欧文明と肩を並べることができるようになってきた 近代化は終わろうとしているのです 日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない 野球でいえば、野茂やイチローが、常識からすれば罰点だらけと見えるあの個性的な投げ方や打ち方を、こそはダメ、ここはダメと指摘されながら直されてきたならば、あれだけの世界的なプレイヤーになることはなかっただろう。   近代的な教育は、知識の詰め込みが目的であり、先生は生徒を管理し、

見る見られるの壁

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「 図解 般若心経 」のコーナーに加筆しました 見る・見られるの壁が大問題になってくるわけです 自己が存在する限り、見る・見られるの壁は無くなりません これは、肉眼で見る聞くだけでなく、霊感で感じる見える、瞑想で経験する、自分が神の啓示を受ける、などを含めて、「自分」と「自分意外の存在」の間の壁、すべてにおいて言えることです 自他の分別が壁です 自分と、自分以外を隔てる壁は、自分がいる以上、なくなる事は絶対にありません もっと考えると、世界を存在せしめているのは、 見る見られるの壁 があるからで、この壁がなくなってしまうと、世界も雲散霧消してしまいますですから、死んでも、この壁はなくなりません あなたが生きてきたという、厳然とした事実は、あなたが死んでも、死後の世界に残ります あなたが死んでも、記録や記憶、痕跡が消失するわけではありません 生きた痕跡の消失が無い、ということは、 見る見られるの壁 の消失もありません 仏教でいう輪廻転生は、このあたりが根拠です 仏教では、生まれ変わるのは当然の常識で、 生まれてきて、いかに生きるか が重要なのです そして、仏教の最終的な目標は、色=空、になることです 経典では「仏身を成就する」と表現されます つまり、仏と成る、ことです キリスト教などの一神教と、ここが根本的に違います 仏教は多神教です そして、あなたも、いつか神の仲間入りをすることが求められています 精進努力して、来世の自分に恥じない生き方をしてくださいね 努力は、必ず報われるのですから

エネルギーの安全保障

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ロウバイ 石油は、あと40年位で無くなるそうです まあ、海底油田とか採算の合わない場所がこれからも開発されていくとは思うが、限界があるのは間違いない 30年くらい前、「成長の限界」という本がありました 原子力を始めとし、風力、水力、波力、地熱、太陽光、バイオマス、バイオエタノール、メタンハイドレードとか、燃料電池とか、石油以外の方法は、いろいろ考えられているようです CO2削減は、地球温暖化との関連で注目されているが、メタンハイドレードは、そうした視点からはボツだなぁ 日本の大陸棚に大量にあるらしく、有望らしいので残念だよ CO2削減と温暖化は関係無いとか、温暖化は無いとか、途上国は石炭が必要とか言うけど、地下資源は有限だという基本的事実からすれば、なんらかの自然エネルギー利用が必要ですね 発電コストが一番低く、管理がしっかりしていれば公害も無いのが原子力だけれど、日本の場合、核燃料はほぼ全量、輸入に頼っているのですよ これがストップすれば、原発は止まってしまう それで、再処理という理屈になるのだが、どこでも、いやがるよ、放射能汚染の危険はゼロではありませんからね ロシアがウクライナ向けのガスの供給を止めたけど、 エネルギーの安全保障 は、杞憂では無いということですよ 僕は、最近ウクライナの子のホームステイを世話したことがあるのだけれど、ウクライナでは、西欧につくか、ロシアにつくか、冗談でなく、のるかそるかですよ 歴史的に戦火の絶えない土地ですね ウクライナは民族の十字路で、美人が多いのです、余談ですが     さて、環境に配慮とか、CO2削減とか、言うけれど、それよりも、エネルギー自給率のアップが、安全保障上どうしても必要だということじゃないですか 風力も、太陽光も、発電コストは火力発電や原子力に比べると倍以上高くつくのです で、高コストでも自然エネルギーを導入する理由が、環境やCO2削減なのですが、本当に重要なのは資源枯渇、あるいは争奪戦に備えた、安全保障ではないですか エコとかグリーンとか綺麗ごとではないのです     東シナ海のガス田で中国が横車を押していますが、南沙諸島でも同じことをしていて、中国は絶対に後に引きませんよ 戦争をしてでもエネルギーを確保するという戦略と覚悟ですからね 石油が無くなる残り時間が明白になれば、石油価格暴騰は当然として、戦争もあ

知識の探し方

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本堂前の石畳       「弱者を助ける社会」ではなく「弱者が生まれない社会」を目標にしなければなりません 重化学工業社会が作り出してきた、格差や失業といった歪を修正する、セーフティーネットとしての福祉は、これからの高度に情報化されたクリエイティブ産業社会ではうまく機能しません クリエイティブ産業社会が作る歪は、生産手段の有る無しや、就業機会の差から生じるのではなく、知識の差から生じることになります ですから、年金、保険、といった富の再配分だけでは歪はなくなりません 教育と職業知識をいきわたらせる必要があります これは、産業の競争力の源泉にもなり、国力という意味で安全保障の基礎にもなります それで、僕はフィンランド式教育を参考にしなければならない、と思っているのです オッリペッカ・ヘイノネン「学力世界一」がもたらすもの  amazon 今の日本式は、指導要綱で国が教育目標を決めて、どこまで達成できたかを点数で評価し、達成度を競わせる、という仕組みを基本にしてるわけです 答えを知っている先生が、知らない生徒を教える 正解は一つしかありません 生徒は100%理解しても先生が知っている以上のことは知りません 間違いを、減点して評価します だからこの教育法の優等生は、すでに知られている画一的知識しか知らず、失敗を常に恐れています 仕組み上、相手の成功よりも失敗のほうが、自分にメリットがあります 追いつけ、追い越せ、でやってきた過去の日本では、意味のある方法でした しかし、減点法による教育では、今以上の世界を作れません 出来た所を評価する、加点法による教育が必要です    じつは、イギリスでは、管理教育、競争原理、全国学力テストなど様々な努力にかかわらず、学力は向上していません 成績が上がらずムキなればなるほど、管理は強化され、落ちこぼれが増えます 日本でも、学級崩壊、不登校、生徒や教師のひきこもり、自殺など、管理教育は不適応者を大量に出しているのです 競争しても学力行き止まり  amazon 「 知識の習得 」が教育の最終的な目標であるなら、管理し強制し競わせ点数で評価するのは、合理性のある方法です しかし、実社会では、「 知識の探し方 」が必要とされるのです 既にわかっていることなら、本を読めば書いてあります 実際は既にあるものではなく、新しい製品、よりよい性能、新規の

複雑系としての幸福度

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本堂前の石畳 紀州青石(緑泥片岩)の違った色目のものを組み合わせている        やはり誰もが、日本のこれからの進路について考えるようになってきたようだ 大きな政府と小さな政府の分かれ道  山崎 元 元旦の新聞各社の社説を比較しているが、各社明確な分析には至らないものの(まあ、すぐに結論の出る問題でもないし)、アメリカ型グロバリゼーション批判は共通しているようだ それで、高福祉、高負担の福祉国家を提案する社説もあるのだが、東京新聞は東大の神野直彦教授に注目している 実は神野教授は民主党の理論リーダーで、民主党の経済政策立案に大きな影響力のある方です 「20世紀から21世紀にかけての世紀転換期は、 重化学工業を機軸とする産業構造を基盤とした福祉国家が終わろうとしている時代 」という立場です 産業をスムーズに成り立たせるための所得再配分が福祉政策の基本であった、という考え方のようです 新自由主義の「小さな政府」でも、福祉国家の「大きな政府」でもない、新しい価値を探さなければならないという考えのようですが、これはすでにイギリスで挫折しているのです サッチャーの「小さな政府」と「管理と競争原理を取り入れた教育」は、批判にさらされている それで、福祉国家へと舵を切りたいのだが、「高い税金」のことは言いたくない それで「第三の道」という標語を言い出したのだが、あいまいで、わかりにくく、結局立ち消えになった 神野直彦における「福祉国家」の表象操作 - 「第三の道」の黄昏 このBlogでは、結局、二者択一で、新自由主義と福祉国家の二つしかないと主張しているのだが、まあ、これも大まかな議論で、やはり、より繊細で高度な社会科学的知性が必要になると思う もはや、問題は複雑系なのです スカンジナビアモデルを社会民主主義とするらしいですが、これも一言で簡単に言えないのです 社会民主主義 僕としては、価値観の基準を、経済活動に求めるのではなく、幸福度に求めるように方向転換するべきだと考えているのですが、これなど、もっとわかりにくく、とらえどことろがない(汗)   今回の世界同時不況は、国家の基本デザインに思いを至らしめた、という大きな功績があるわけで、どのみち、いままで見たことも聞いたこともないような道筋を見出すしかない そして、それは、金融資本主義とグロバリゼーションの修正・改善によっ

長保有紀さん

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先日、長保有紀さんがご家族と初詣にいらっしゃいました ちょうど20年前に「雨やどり」という曲が10万枚をこえるセールスを記録して、その時に境内に記念植樹をして以来のお付き合いです 当時は、シングルレコードでした シングルレコードの時代に10万枚というのは、なかなか無かったのです 思えば、長いこと歌ってらっしゃいます 長保という芸名は自分で考えたというのですが(偶然うちの寺と同じ名前だった)長く歌えるようにという願いを込めたそうです

謹賀新年

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長保寺蔵 阿弥陀如来     あけましておめでとうございます   皆様のご多幸をお祈り申し上げます