型
朝青龍のガッツポーズが議論を呼んでいるようですが 「型破り」に対するイジメ、だとしたら、くだらんことです 僕は、そんなに大問題になるのがよくわからない 彼はモンゴル人なんだし、そんなに嫌なら相撲界に外人を入門させなければいい が、しかし 相撲には、伝統に培われた美学があるわけで、そこを理解してもらいたい、とも思う ガッツポーズが美しくないという感性は、武士道から来てるんじゃないでしょうか 武士道は戦国時代から江戸時代にかけて洗練されていった、武士の作法であるわけですが 「敵を人間として辱めない」というのが重要なのです これは、ヨーロッパの騎士道でも同じことです 土俵から出た相手を突き飛ばす、などというのは、美しくないのです 敵に対する道義的扱いには、倫理的、道徳的な、また宗教的な理由を考えることもできるでしょうが、、敵として打ち負かしても、今度は味方となって共に戦うことがあるかもしれないという現実的な側面があります 戦った相手と和睦して、もっと大きな敵と戦う、など、戦国時代ではごく当たり前のことです 大陸では、民族抹殺とか民族浄化などの「共食い」がありますが、日本にはありません 感情にまかせた行いは、敵を増やしこそすれ、減らすことはありません まあ、型破りは、相撲に限らず日本社会では、基本的に歓迎されないわけですが 日本社会全体に、減点主義がいきわたっているせいもあると思います 教育しかり、マスコミも、産業も、近代化という名のもとに、西欧文明という100点満点のお手本を目標に自分達の達成度を測ろうとしてきた お手本となる、知識あるいは権威があって、それを習得するのが、近代化であり、明治以後の国家の目標だったのです お手本から外れれば、減点されます それが、効率的な近代化の進め方です 明治維新以来140年、追いつけ追い越せでやってきたわけですが、そろそろ、西欧文明と肩を並べることができるようになってきた 近代化は終わろうとしているのです 日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない 野球でいえば、野茂やイチローが、常識からすれば罰点だらけと見えるあの個性的な投げ方や打ち方を、こそはダメ、ここはダメと指摘されながら直されてきたならば、あれだけの世界的なプレイヤーになることはなかっただろう。 近代的な教育は、知識の詰め込みが目的であり、先生は生徒を管理し、