複雑系としての幸福度
やはり誰もが、日本のこれからの進路について考えるようになってきたようだ
大きな政府と小さな政府の分かれ道 山崎 元
元旦の新聞各社の社説を比較しているが、各社明確な分析には至らないものの(まあ、すぐに結論の出る問題でもないし)、アメリカ型グロバリゼーション批判は共通しているようだ
それで、高福祉、高負担の福祉国家を提案する社説もあるのだが、東京新聞は東大の神野直彦教授に注目している
実は神野教授は民主党の理論リーダーで、民主党の経済政策立案に大きな影響力のある方です
「20世紀から21世紀にかけての世紀転換期は、重化学工業を機軸とする産業構造を基盤とした福祉国家が終わろうとしている時代」という立場です
産業をスムーズに成り立たせるための所得再配分が福祉政策の基本であった、という考え方のようです
新自由主義の「小さな政府」でも、福祉国家の「大きな政府」でもない、新しい価値を探さなければならないという考えのようですが、これはすでにイギリスで挫折しているのです
サッチャーの「小さな政府」と「管理と競争原理を取り入れた教育」は、批判にさらされている
それで、福祉国家へと舵を切りたいのだが、「高い税金」のことは言いたくない
それで「第三の道」という標語を言い出したのだが、あいまいで、わかりにくく、結局立ち消えになった
神野直彦における「福祉国家」の表象操作 - 「第三の道」の黄昏
このBlogでは、結局、二者択一で、新自由主義と福祉国家の二つしかないと主張しているのだが、まあ、これも大まかな議論で、やはり、より繊細で高度な社会科学的知性が必要になると思う
もはや、問題は複雑系なのです
スカンジナビアモデルを社会民主主義とするらしいですが、これも一言で簡単に言えないのです
僕としては、価値観の基準を、経済活動に求めるのではなく、幸福度に求めるように方向転換するべきだと考えているのですが、これなど、もっとわかりにくく、とらえどことろがない(汗)
今回の世界同時不況は、国家の基本デザインに思いを至らしめた、という大きな功績があるわけで、どのみち、いままで見たことも聞いたこともないような道筋を見出すしかない
そして、それは、金融資本主義とグロバリゼーションの修正・改善によってなされることだけは間違いがない
で、福祉という言葉が、重化学工業を中心とした産業社会の歪を是正する概念をさしていて、情報や知識といった新たな産業モデルに対応できない、というなら、幸福度という概念を提唱したい、ということです
早い話、もう正真正銘の貧乏人など、いないのです
分配方法が間違っているから、手元にお金が無いだけで、あるところにはあるのです
お金の適正配分を福祉とする、という方法論は、どうもしっくりしないというのも事実です
弱者が止めどもなく再生産されて、だから、止めどもなくお金を分け与えればそれでいい、というのでは問題解決ではありません
金勘定の視点しかなければ、「弱者には、お金持ちの善意で金を配っておけ」、で福祉をやっていることになってしまいます
社会は、食うか食われるかの生存競争から、お互いの立場を認める共存、そして相互依存を深める共生へと進化していかざるを得ないわけで、全てを包摂した複雑系としての幸福度を、やはり、考えてみたいのです