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9月, 2014の投稿を表示しています

長保寺 御霊殿(1667) 藩主廟所入口

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藩主廟所の入口の正門です、多宝塔の裏手からも廟所に入れて、現在はそちらが観光客のコースになっています 御霊屋(おたまや 1667)は、350年ほど経った建物で県指定文化財です 奥の建物に歴代紀州藩主と、ご家族様の御位牌をお祀りしています 約1万坪の国史跡の藩主廟所は、全国最大規模です ここが、廟所の一段目です 全部で四段構えになっています 日本庭園の美  重森千靑さんのホームペジ 寂光の庭 工事の様子  長保寺での工事の様子 重森三玲記念館 重森三玲庭園美術館 こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

長保寺 国史跡 土塀

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境内の広さは約15000坪です。 全域が国の史跡に指定されています 江戸時代の寛文6年(1666)に紀州徳川家初代藩主徳川頼宣(よりのぶ)により菩提寺に定められました。 藩主廟所の国史跡では、全国最大規模です 瓦宇の刻印 古代瓦に学ぶ千四百年前の先人の知恵と技術 瓦宇の社長さんは人間国宝です こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

長保寺 国宝 大門 金剛力士(仁王)

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長保寺には、国宝建造物が3棟あります 本堂(1311)   国宝 多宝塔(1357) 国宝 大門(1388)   国宝 本堂、塔、門と3つそろって国宝の寺は、奈良の法隆寺と長保寺だけです こちらのリンクもどうぞ 長保寺の大門について 長保寺木造金剛力士立像像内納入文書断簡 こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

長保寺 毎朝の日課

境内には、国宝建造物3棟、重文建造物1棟、県指定建造物1棟があり、その他にも未指定の建造物が多数ありますが、全域が国の史跡になっているので、境内15000坪全域が指定文化財ということになります 背景の山中に紀州徳川家の廟所があります 藩主廟所としては全国最大規模です こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

国宝 長保寺 本堂内陣

国宝 長保寺 本堂(1311) こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

仏教の普遍性

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般若心経 こちらに解説があります 紙本墨書 縦26.0 横42.2  奈良後期(8世紀) 長保寺蔵 今回、久しぶりに出して撮影してみました 1000年以上前のものですが、墨痕あざやかです この経巻は、奈良時代中ごろの天平時代に書写された隅寺心経と呼ばれる一連の般若心経のうちの一巻です 隅寺心経は現在50枚ほどが確認されていますが、 世界にこれより古い般若心経は現存しません 長保寺の般若心経以外の隅寺心経は、そのほとんどが重要文化財に指定されています 長保寺の般若心経も申請すれば、重要文化財になるかもしれませんが、平成4年に隅寺心経と確認されて、比較的新しいのと、一連の隅寺心経の指定の時期とずれていたので、めんどくさいので、そのまま放置です(^^;; 長保寺のホームページの 表紙 は、この般若心経から「空」の字をキャプチャーして、1996年当時の技術で、かなり苦労して背景画にしています 1996年は、インターネットが民間に開放された年ですから、この年より古いホームページは日本には無いです 般若経典群は、何種類もあって、般若心経は、それらを短くまとめるために必要だった思われます 般若経典群の研究から、般若心経はインドの霊鷲山で説かれたことがわかっています 霊鷲山では法華経も説かれました 霊鷲山香室からの夕日 2010.2.18 最近は、世界中からの参拝者で、たいへん混雑します さて 隅寺心経の所有者として、僕には「色即是空」を説く、いささかの因縁があるわけです 実は、この「色即是空」の基本構造は、仏教だけのものではありません 見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています この基本構造は、仏教だけでなく、ギリシャ哲学や量子論にもあるのです プラトン哲学では、イデア(idea)を「ものごとの真の姿」であり 判子 のようなもの、エイドス(eidos)を「形」とか「図形」であり 押された刻印 のようなもの、と考えています ただ、残念なことに、ギリシャ哲学にはideaを獲得する方法としての瞑想は、ありません 量子(Quantum

化身

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映画 アバター 22世紀、人類は地球から遠く離れたパンドラで<アバター計画>に着手していた。この星の先住民ナヴィと人間のDNAを組み合わせた肉体<アバター>を創ることで、有毒な大気の問題をクリアし、莫大な利益をもたらす鉱物を採掘しようというのだ。この計画に参加した元兵士ジェイクは車椅子の身だったが、<アバター>を得て体の自由を取り戻す。パンドラの地に降り立ち、ナヴィの族長の娘ネイティリと恋に落ちるジェイク。しかし彼はパンドラの生命を脅かす任務に疑問を抱き、この星の運命を決する選択を強いられていく……。   世界興行収入歴代1位 今回は、かなり、わかりにくい話です この、アバターという言葉 実は仏教語です ヒンドゥーでも使いますが、「化身」という意味のサンスクリット語です अवतार avatāra 化身は、神の化身とか言いますけど、姿を変えてこの世に現れた神のことですね 余談ですが、なんでも、インドではシバ神の化身がお生まれになったらしいですよ インド、3つ目の子牛をシヴァの化身として拝む さて 今、自分が生きているという素朴な実感は、実際のところは、脳内に作られた印象にすぎません まあ、昼寝している間は、生きていることを忘れてる、とも言えますね 眼耳鼻舌身の五感を通じて、脳内に印象が形成されるのですが(下の図でいえば、真ん中の 白い矢印 が五感ですね)、自分自身の実体というか、真実の姿は、右側の「真実の世界」にあるわけです ところが、この「真実の世界」は、感じられる前の世界ですから、説明や理解のしようがない 一でも多でもなく、過去でも現在でも未来でもなく、有るでも無いでもなく、変化でも恒常でもなく、なんと言ったらいいかわからないので「空」ということになってます でも、そこにある この 白い矢印 は、人間の精神的成長とともに太くなると考えてます オーラが見える、などは初歩的で 五神通と言われてる、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、神足通などは、感覚器官の受容能力の拡大によるものです 「真実の世界」の「一部」しかわかっていないから、五神通が無い、ということになります 僕は「レイヤー」という概念が一番近いと思

海賊王に俺はなる!!

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モンキー・D・ルフィ 瞑想について、ちょっと深い話をします 前回までは、さわりです 瞑想という言葉自体、それほど昔からあるわけではなく、歴史の浅い言葉といえるでしょう 正確なところはわかりませんが、少なくとも江戸時代以前にはありませんでした 日本の伝統文化の、禅や止観という概念におさまらない何かを表現しようとした言葉ですね ギリシャ哲学には瞑想は無いんですよ だから、西洋哲学の伝統では、瞑想は、方法論として採用されません 聖書にも無いですね 修道院などでは、瞑想は祈りじゃないので、神秘主義に分類されるそうです 昔のカトリックなら、魔女裁判にかけられるかもしれない、きわどい分野です インドのウパニシャッドは瞑想だらけで、古いといえば古い 5000年位の伝統があります インド文化からみれば、仏教は、インド式瞑想の一分野です ヒンドゥーでは、お釈迦様はヴィシュヌ神の7番目の生まれ変わりだそうです ヒンドゥー式瞑想は、神と我との合一が目的で、我はどこまでいってもなくなりません 仏教は、そこが違って、我は脳内世界ですから、我があるという素朴な感覚は顛倒夢想です では、仏教の目的はなにか この目的を、坊さんは毎日唱えています 願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道 がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう 願わくは此の功徳をもって あまねく一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜんことを 「仏道を成就する」というのが、目的で、まあ、決意表明ですね これが無いとですね 茫漠とした精神世界で、迷子になります 感覚器官を通じて脳内に形成される「脳内世界」になる前の世界が「真実の世界」なわけですが、見る、聞く、触る、前の世界ですから、どんなもんだかわかるはずが無いのです 般若心経では「空」のことを 不生不滅不垢不浄不増不減   生ぜず、滅せず、垢つかず、浄ならず、増さず、減らず と、してるわけですが、つまりは、生滅、垢浄、増減は、脳内世界で作られていると 大智度論では 一異同断生滅去来 一でも異でもなく、同じでも断でもなく、生ぜず滅せず、去らず来ず と、これを八不偈といいますが、「空」を定義してます 縮めて

緑の縦線

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ご存知の方は少ないと思いますが、最近はカトリックでも瞑想が重視されて、禅僧の方たちといっしょに瞑想する(つまり坐禅ですが)試みも真剣に行われるようになってきてます しかし、この瞑想の、理論的な骨格は仏教、ということになります 東西霊性交流@円覚寺 仏教的な説明はこちらに書いています 般若心経の模式図 ホームページにも書いてますから重複しますが 見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています 脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります(脳内世界) しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません 生滅も垢浄も増減もない、時間と空間のない完全無欠な世界です(真実の世界) 自分が感じた世界は、自分だけのものです 感じる前からある、ありのままの世界とは違います 自分の作り出したイメージに執着するのが「我執」です 苦しみや悩みは、「我執」が根本原因です 感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です 今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です 苦しみや悩みを 救う力 は、感じる前の世界にあります その力に気づくのを、悟り、と言います わがこころ、吾心ですね 見る側の我々と、見られる側の世界との間には壁があります この壁を超えるのが「慈悲の感触」です ここでは、光と言っておきます 「慈悲の感触」だけが至高の心に繋がっています あなたが、全力で誰かのために働く時、自分自身の中にある、至高の心に出会えます 「見られる」がわには「我執」は全く無いわけですから、機械や化学反応のような無機質な世界なのですが・・・ そこには、生きて活動している心があるわけです その心を、「無償の愛」とか「慈悲」とか「慈愛」とか「己を忘れて他を利する心」などと名付けることができます 脳内に感覚器官を通じて投影された「脳内世界」に執着するのを、ほどほどにすれば、「真実の世界」が感じられます その執着の程度、というか、濃さというか、まあ、上の図でいえば「見る」と「見られる」を隔てる 緑の縦線 ですが、生き様の程度を決めて

瞑想の理論的根拠

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こうやって瞑想について、あれこれ書いていると、思わぬ質問があります まあ、ご興味持たない方がほとんどでしょうから、極めて前向きでありがたいことですが 「自分を信じる」のは、如来蔵思想なのか、即身成仏なのか、悪人正機なのか こういう言葉を知ってる事自体すごいです 僕的には天台本覚思想なのですが、これは、天台宗の坊さんでも詳しい人は、まず、いないというレアな分野です 天台本覚思想という概念を、普通の人が知っているわけもないのです 理屈を言えば、実際、仏教の長い伝統の中で議論され続けてきた、難解精緻な言葉の羅列があるわけですが・・・・ とどのつまりこれらの議論は、脳内世界の自己満足です 瞑想の目的は、真実の世界に触れて、本当の自分を取り戻すことですから、理屈は、捨てろとまでは申しませんが、関係ないのです 微笑んで   リラックスして 呼吸に意識を集中して  イメージしてください  息を吸うとき「だいじょうぶ」  息を吐くとき「うまくいくよ」 1,2分続けてみてください できれば、もうすこし長く  息を吸うとき あなたを守る力が体に入ってきます(ありったけのイメージで思ってください)  息を吐くとき その力を、あなたの好きな人にあげましょう(ありったけのイメージで) 疲れたらやめて あなたを守る力に感謝します 夕刻の畑 里芋の葉 息を吸うとき「だいじょうぶ」  息を吐くとき「うまくいくよ」  とりあえず、こんなこと、したことないわけでしょ 1,2分やってみてください もちろん、これは瞑想の階梯では、初歩的で、まだまだ入門レベルです ですが、この道が、終点の目的地まで続いている道です 慈悲の感触が大事なのですよ これは、自分でわかるしかないですが、わかってしまえば、自転車に始めて乗れた時のように、考えなくてもできるようになるのです こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

長保寺の垂木

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長保寺 多宝塔、本堂の垂木(屋根を下から支える木材) 飛燕(ひえん)、二軒(ふたのき)、繁(しげ)、平行、飾り、垂木(たるき)です 飛燕 は、垂木が真っ直ぐでなく、反り返っているのが、ツバメが飛ぶラインのようなところから 二軒 は、垂木が二重になっているから 繁 は、垂木と垂木の間隔がちょうど垂木の幅位に狭くなっているから 平行 は、屋根の四角の垂木が扇状でなく、平行に並べられているから 飾り は、垂木が直接屋根をささえておらず、飾りで作りこまれているから それぞれ名づけられた建築用語です 極めて、手の込んだ造りです みなさんも、文化財の寺に行かれた時、垂木を注意してご覧になってみてください 国宝になっている建造物でも、ここまでしているところは、なかなかありません 一条天皇勅願の寺院の格式を感じる造作です こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

瞑想の勧め

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大事なのは 微笑むこと 自分を信じること 「最高の自分になる」と決意すること 瞑想の勧め 微笑んで、静かに呼吸に意識を集中してみてください 自分自身の中にある無限の可能性に、出会う方法です 微笑むのは、瞑想中に「善きもの」とだけ出会うために必要です これ、一番大事なコツです 呼吸に意識を集中するのは、呼吸は、意識して早くも遅くもできますが、普段はまったく呼吸しているのを忘れています つまり、呼吸は意識と無意識にまたがっているのです それで、呼吸に意識を集中すると、手軽に無意識の領域に近づけるということになります 瞑想の成果が乏しいのは、「最高の自分になる」という決意が十分でないからです 的の真ん中をはっきり意識してください 夕刻の長保寺御霊屋 ボーっとしてる時間がありますよね その時 「微笑んで」みてください モナリザのように お風呂場でも、トイレでも、どこでも リラックスして 呼吸に意識を集中して イメージしてください 息を吸うとき「だいじょうぶ」  息を吐くとき「うまくいくよ」  1,2分続けてみてください できれば、もう少し長く 息を吸うとき あなたを守る力が体に入ってきます(ありったけのイメージで思ってください) 息を吐くとき その力を、あなたの好きな人にあげましょう(ありったけのイメージで) 疲れたらやめて あなたを守る力に感謝します こちらどうぞ Facebookページ Twitterページ

過去を書き換える

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大事なのは 微笑むこと 自分を信じること 「最高の自分になる」と決意すること 「最高の自分になる」と決意すること これですね、実は、大乗仏教の最も本質的な戒律なんです 鑑真和上が日本に伝えた戒律です 2009年のポスター 梵網経  http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/2data/01/29.txt 「汝是當成佛。我是已成佛。 常作如是信。戒品已具足。」  汝は、まさにこれから仏となる 我(お釈迦様は)はすでに仏となれり 常にかくのごとき信をなせば 戒はすでに具足している いつか仏となる、と信じていれば、全ての行いは自ずと身に備わります 誰も見ていないところでも、いいことをするようになります 「仏になる」と決意することが、一番重要です 一度決めたら、絶対に後に引いてはいけません 何回、何十回生まれ変わってでも「仏になる」と決めれば、必ずなれます 僕らは、過去を書き換えるために生まれてきたからです 細々したことは、後から整っていきます 仏となる、というと遠い別世界ですが、つまり「最高の自分になる」ということですね 実際のところ「最高の自分になる」のは、かなり大変です いつまでも、行き着くことがありません 失敗、挫折、敗北、冤罪、破滅、大病、そして死、なども、「最高の自分になる」過程の一つのエピソードで、学びの機会にすぎません 生まれ変わって、また始めるだけのことです 時間は永遠にあるのです 過去を書き換えましょう こちらどうぞ Facebookページ

長保寺のトップページ変更

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長保寺のお寺のホームページのトップページのデザインを一部変更いたしました 癒される寺 長保寺 長保寺 本尊釈迦如来 お寺のキャッチフレーズは20年間「花の寺」でしたが 「癒される寺」に変更いたしました 今後ともよろしくお願いいたします こちらどうぞ Facebookページ

秋空ですね 長保寺国宝多宝塔(1357)

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国宝 長保寺本堂(1311)

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香合(こうごう)

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天台宗紋木象嵌香合 普段持ち歩いている香合です こちらどうぞ Facebookページ