瞑想の理論的根拠


こうやって瞑想について、あれこれ書いていると、思わぬ質問があります
まあ、ご興味持たない方がほとんどでしょうから、極めて前向きでありがたいことですが


「自分を信じる」のは、如来蔵思想なのか、即身成仏なのか、悪人正機なのか


こういう言葉を知ってる事自体すごいです

僕的には天台本覚思想なのですが、これは、天台宗の坊さんでも詳しい人は、まず、いないというレアな分野です
天台本覚思想という概念を、普通の人が知っているわけもないのです

理屈を言えば、実際、仏教の長い伝統の中で議論され続けてきた、難解精緻な言葉の羅列があるわけですが・・・・

とどのつまりこれらの議論は、脳内世界の自己満足です


瞑想の目的は、真実の世界に触れて、本当の自分を取り戻すことですから、理屈は、捨てろとまでは申しませんが、関係ないのです


微笑んで 
リラックスして
呼吸に意識を集中して 
イメージしてください 
息を吸うとき「だいじょうぶ」 
息を吐くとき「うまくいくよ」
1,2分続けてみてください
できれば、もうすこし長く 
息を吸うとき
あなたを守る力が体に入ってきます(ありったけのイメージで思ってください) 
息を吐くとき
その力を、あなたの好きな人にあげましょう(ありったけのイメージで)

疲れたらやめて
あなたを守る力に感謝します

夕刻の畑 里芋の葉



息を吸うとき「だいじょうぶ」 
息を吐くとき「うまくいくよ」

 とりあえず、こんなこと、したことないわけでしょ

1,2分やってみてください



もちろん、これは瞑想の階梯では、初歩的で、まだまだ入門レベルです
ですが、この道が、終点の目的地まで続いている道です

慈悲の感触が大事なのですよ

これは、自分でわかるしかないですが、わかってしまえば、自転車に始めて乗れた時のように、考えなくてもできるようになるのです




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