気休めも必要だよね

福島在住の著者は、自ら被災し、放射能の脅威に晒されながらも、津波で被害を受けた被災地を巡り「魂の救援活動」を続けている。本書は、思いがけず津波の被害にあった魂たちを「光の世界」に送り届けるまでの対話、そして、東日本大震災の意味をスピリチュルな観点から考察し、日本と人類が進むべき「光の方向」について示している。



飯田先生、ほんとに御苦労様です

僕は、書かれていることが本当に有ったことだということに、なんの疑問もありません
つまり、霊と対話し、光の世界に送り届け、至高の存在と繋がる、ということに
僕は坊さんの世界で、こういう人と何人もつきあっていますから

一読をお勧めしますよ

それで、僕の読後感ですが
一言で言って
「偉大なる、気休めの書」


実は、この手の人は珍しくないのです
霊界の仕組みの説明なら
スエデンボルグ、バシャール、出口王仁三郎、エドガーケイシー、シルバー・バーチなどなど、思いつくままに挙げていってもけっこうあります

霊示とか神示、啓示を受けて、それを人々に伝えるということであれば、キリスト教、イスラム教などもそうです

今現在、公表はされていなくても、霊的な救済活動をされている方も多いと拝察いたします
飯田先生のやりかたとは違うと思いますが


で、これですね上田紀行先生の「宗教クライシス」で
既に指摘されているのですが、変性意識状態の絶対的体験を説明しようとすると、その人の属している文化的背景によって脚色されたコスモロジーに収斂するのです
手に入りにくくなってきてますが、要約なら僕がここでしてます

体験<----脳ーーーーイメージ

絶対的体験、まあ、たとえば霊との対話とか、神とのコンタクトを脳機能で翻訳して初めて、その人が属する世界観で説明できるようになるのです


ですから、脳の数だけイメージが成立します

たとえば、同じ仏教でも、最澄、空海、法然、親鸞、道元、日蓮と、どなたも、大真面目で真理を説いているのですが、内容はそれぞれ違うのです

ということで、飯田先生の世界観も、やはり、飯田先生独自のものになります
これは、どうしようもないことです

 今回の飯田先生の本では、信じることの大切さが結論部分になるのですが、僕的には、あまりお薦めしません
自分以外の「なにか」や「誰か」を信じるのは、おすがりであって、自立と自尊ではありません
まあ、それと、言葉尻をとらえるようですが、「人民」という言葉が多用されますが、政治的にはコミンテルンの用語なのよね「人民」という言葉は
信じるのは、飯田先生の個人的課題であって、人民という言葉は、飯田先生が、日教組による戦後教育の優等生だからでしょう
経営学上の課題は、うーん、「原発減らそう」なんてことは特に霊に教えられなくてもわかると思うが

仏教では「自灯明、法灯明」と言って、これがお釈迦様の遺言です
自分と自然界の法則を拠り所にして欲しいんだな
日本をどうにかしたいなら、「国民」と呼びかけて欲しい

僕は、仏跡地を巡って霊達を救っている人や、比叡山で修行中命を落とした霊達を救っている人などと、直接のお付き合いがあります
まあ、他にもいろいろ、いまだに日露戦争とかそれより以前の霊とか、一見精神疾患に見える人を助けるとか
わかる人はわかっていますからね


それで、ここまで読んでいただいた、あなたに、お話しておきたいのですが

霊とか、神仏の導きとか、あるのですが、それでも、たとえば、拉致被害者はすぐに帰ってくるかといえば、そうではなく
アフガンでは戦闘が続き、どこぞの大陸の奥では大弾圧があり、日本でも年間3万人の自殺者があり、5000人近くの方が交通事故で死んでいるのです

簡単に、世の中どうこうなるわけではありません

見える聞こえる人には、降りかかる火の粉を払うなり、使命として自覚するなり、それなりの仕事があり
見えない聞こえない我々には、また、別の仕事があるのではないですか

地道ににね、生きるだけです
ぶっ飛んだ生き方が、いきなりできるわけではないのです







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