2014/10/31

長保寺 癒される瞑想 009 大事なこと



微笑むこと==慈悲==
自分を信じること==涅槃経==
最高の自分になると決意すること==梵網経==



==慈悲==
サールナート博物館  初転法輪の釈尊
(現在、博物館は撮影禁止です)




==涅槃経==クシナガラで説かれました
 クシナガラ 2010/02/15 釈尊涅槃の日の荼毘塚

クシナガラ 涅槃堂内部 グプタ朝時代の涅槃像


自灯明 法灯明 じとうみょう ほうとうみょう

お釈迦様の遺言です
最後の言葉とされています

自らを灯明(暗闇を照らす明かり)とし、法(自然の法則など)を灯明とせよ


涅槃経


==梵網経==
 「汝是當成佛。我是已成佛。 常作如是信。戒品已具足。」
汝は、まさにこれから仏となる
我(お釈迦様は)はすでに仏となれり
常にかくのごとき信をなせば
戒はすでに具足している

最も基本的な戒律です


梵網経 

梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品
http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/2data/01/29.txt



癒される瞑想
http://www.chohoji.or.jp/shousei/saloon.htm

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2014/10/29

長保寺 癒される瞑想 008 初秋の夕暮れ

訂正:高野山は、大学4年と本山職員1年です


「癒される瞑想」で、仏典に根拠のあるのは、「呼吸に意識を集中する」ことくらいです

単純な瞑想なので、いろいろアレンジできるのです

めんどくさい話を端折りますが、慈悲が体にはいって来て、その慈悲を人にあげる、というのは、密教の考えかたに基いています

仏教の修行があるわけですから、「仏教の修行をして悟りを開いた存在」がいるわけです
その人達の真似をする、ということです
たとえば、お釈迦様とか十大弟子の皆様とか、各宗派の開祖とか

一口に言えば
悟りを開いた存在は、慈悲の活動をしてるのです
それと同じことをすればいい、という考え方です

試行錯誤しながら、だんだんと賢くなる、のもいいですが
そんなことをしていたら、人生が終わってしまいます

悟りを開いた人たちは何をしているのか
それを、イメージして、同じことをすればいい、と
考え方は、単純です



癒される瞑想
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2014/10/28

長保寺 癒される瞑想 007 姿勢


「癒される瞑想」には、姿勢は関係ありません
それよりも、心からなる「微笑み」が大切です


ビデオの中で八葉窟と言ってますが誤りです、正しくは七葉窟(しちようくつ)です
ここで、仏典の第一結集がおこなわれました
聞法第一の阿難尊者も、最初は、悟りを開いていないという理由で呼ばれませんでしたが、そこから必死に修行して悟りを開き、結集に呼ばれました




弘法大師の神秘体験の原点になったのが「求聞持法(ぐもんじほう)」です
明けの明星が口に入った、かのような感覚を得た、ということだと思います
頭の中にフラッシュを焚かれるような感覚ですかね

虚空蔵菩薩求聞持法
http://www.chohoji.or.jp/archives/199810.htm



白隠禅師は、托鉢中に水をぶっかけられて悟りを開いたのですから、歩くか立つかですね
軟蘇の法(なんそのほう)は、一種の自己催眠で、寝ている状態で、つま先に蘇(いわゆるバター)があって、それが溶けて、全身を潤す、という観相をします

キリストは荒野を40日さまよって、悪魔の誘惑を断ち切ったのですから、座ったというより、歩いていたのでしょうか

比叡山の好相行(こうそうぎょう)は、阿弥陀如来が出現するまで、五体投地の礼拝を一日千回します
三ヶ月くらいは続けるようです
ですから、修行の内容は坐禅ではないです
阿弥陀如来を感得したら、どのように出現したか、先達に報告して、まちがいなければ、そのまま比叡山の浄土院に12年間籠山し、伝教大師のお給仕をします
現在は、渡辺さんという方が籠山中です
長男が親しくさせていただいているので、こんど機会があれば、どんな感じで阿弥陀様を感得したか聞いてみます
後ろから出てくるのはだめだ、とか、いろいろあるようです





瞑想のやりかたそのものは単純です
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Quail egg roll


Quail egg roll
Kyoimo
Kidney beans


鶉巻、京芋、いんげん、がんもどきの炊合せ



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2014/10/27

長保寺 癒される瞑想 006 微笑んで


先ず、微笑んで
呼吸に意識を集中します

呼吸に意識を集中することで、自分の中にある、無意識に近づくことができます
ただ、無意識であればそれでいい、というわけにはいきません

微笑むことで、自分自身の中の「善き心」にふれることができます

「作り笑い」はダメですよ
心から、微笑んでください


難しく考えれば、難しくなりますが、やっていることは単純です
微笑んで、呼吸に意識を集中するだけですから


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2014/10/26

長保寺 寂光の庭 七五三の石組み

 

長保寺の御霊屋の玄関前にある「寂光の庭」のご紹介です

①から⑦まである石のうち、⑤が、レッカーで長保寺の山の下から引き出されて立てられた石です
あとは、全部、御霊屋のこの場所にあった植木の縁石などで、もともとあった石です

行事などで大勢の人が歩くことを想定して、通路の近くの石は低く据えられています


オーソドックスな七五三の石組みです
左右に一組づつある、三つ並んで立てられている石が三尊石(さんぞんせき)です


詳しい石庭の見方は、重森千靑さんのホームページをごらんください


http://www.ifnet.or.jp/~chisao/


「私(チサヲ)の作品」のコーナーでも長保寺の「寂光の庭」が紹介されています




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2014/10/25

長保寺 仏像搬出



平成26年10月25日 長保寺の僧形文殊を修理するため、搬出しました 

その様子を御覧ください



長保寺には仏像が沢山ありますので、少しずつ修理をしています
今回修理する仏像は、鎌倉時代の物ではないかとされている仏像です
解体して修理すれば、いろいろなことが、はっきりわかると思います


僧形文殊は、食堂(じきどう)の最上座に置かれます
鎌倉時代の食堂は、竈を使いますから、この仏像は煤で真っ黒けです
相当の長期間(おそらく数百年間)、食堂に置かれていたと思われますが、明治以降はしばらく阿弥陀堂に置かれ、現在は本堂に安置されています






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2014/10/24

癒される瞑想 005 あなたを拝むお地蔵様


24日はお地蔵様の縁日なので、長保寺の西のお地蔵様に登場していただきました

呼吸に意識を集中することで、自分の無意識に触れることができます
理屈でない無意識が、直感につづいています

とりあえず、仏教の2500年の伝統の、呼吸に意識を集中する瞑想をやってみてください

そして、直感力を生活に取り入れてみてください

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2014/10/23

多宝塔 秋空

長保寺 国宝多宝塔(1357) 

木造建造物は、文化庁の基準で50年に一度程度の頻度で補修の必要性が検討されることになっています
今回は平成24年(2012)に修理されましたが、前回修理の記録は昭和3年(1928)ですから84年ぶりの修理をしたことになります
かなり、持ちがいいです

この多宝塔の場合、瓦と垂木の一部と野地板は補修で取り替えられていますが、あとは、ほぼ完全に創建当時の木材が使われています

野ざらしで657年です
きちんと造られた木造建造物の耐久性の凄さがわかります



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特別展 熊野 聖地への旅



2014年10月18日~12月7日

和歌山県立博物館で世界遺産登録10周年記念特別展が開催されます



長保寺からは「細字法華経」が出陳されます



応仁2年(1468)に那智で書写され、長保寺に奉納されたものです



奉納されたいきさつは、今ではもうわかりませんが、このような奉納物が多数長保寺にあります



江戸時代には、紀伊徳川家によって、武器・甲冑の類は紀州東照宮、書画の類は長保寺に奉納されています











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2014/10/22

Boiled Whitebait and Komatsuna


シラスと小松菜のお浸し

醤油をかけていただきます




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癒される瞑想 004 数息観




微笑んで
呼吸に意識を集中します

その息を数えます

静かに息を吸って、吐くときに、ひとーつ
また吸って、吐くときに、ふたーつ、という具合に

10まで数えたら、また、1から数えます

ただそれだけです
それが、数息観です

ただそれだけ、というのが、実は難しいのです

つまり、考えちゃいけません
それを、禅宗では、不立文字(ふりゅうもんじ)と言います

密教は、果分可説(かぶんかせつ)と言って、修行の結果(果分)がどうなるか、について説くことが可能(可説)という立場です

いずれにしても、仏教では、無意識の領域が大切なのです

ただ、無意識が大事なだけなら、昼寝で間に合います
そこはやはり、数息観は昼寝とは違います
覚醒した状態で、無意識にアクセスしたいわけです

なんでもない呼吸なのですが、その呼吸に意識を集中することが、深い意味を持っているのです


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仏道を歩む 多神世界をどう生きるか 動画要約

多神教の世界 : 演者は、すべての人を一つの宗教に改宗させようとするのではなく、多様な宗教や無神論者が共存する多神教の世界でどのように生きるかに焦点を当てるべきです。 仏教とキリスト教 : キリスト教のような「啓示宗教」とは対照的に、仏教は個人的な実践と理解を通じて自身の苦しみを...