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百日紅
「良心」とは、つまり、目に見えないし、もちろん触ることもできません
有るといえば有り、ではどこにあるのかと言えば、さて、どこにあるのでしょうか
大事にするべきとは思っても、具体的に、なにをどうすればいいのでしょうか
お地蔵さんが、あなたを拝んでいます (長保寺西地蔵)
では、あなたに問います
「本当は、こうするべきだと思っていた」
「正直いって、こちらのほうが良い」
「間違っていると、うすうす感じていた」
「今は、これが私にできるかぎりのことだ」
「至らないかもしれないが、誠心誠意、精一杯のことをしよう」
「こうしたら、皆のためになる」
「これ以上、皆に迷惑はかけられない」
そのように、思った経験があることと思います
では、なぜ、そのような思いが浮かぶのでしょうか
その理由は様々だと思いますが、これを仏教の立場でとことん考えたのが、「天台本覚思想」です
細かい説明は省略します、ご興味あれば、ググってみてください
天台宗のみならず、日本の特に、禅・浄土など鎌倉仏教の思想的淵源です
つまり、「人は本来覚っている」という思想です
だから、人は、悔み、反省し、向上心を持つ、と
本覚讃は、典型的な本覚思想のお経です
古来、短い偈文にして唱えられてきました
三十七尊が心の城に住んでいる(本覚讃)と説かれています
金剛界三十七尊曼荼羅 長保寺
つまり、仏教で「良心」とはどのようなものかと図示すると、こうなるわけです
キリスト教やイスラムでも、もちろん、「良心」の奥深い研究がなされていることと思いますが、仏教に匹敵するかどうか・・
というのは、仏教では、この「良心」に到達するために、座禅であるとか念仏であるとかの修行法を編み出してきたのです
つまり、理論と実践が、仏教には、あります
いかがでしょう
あなたの心の中に、この、曼荼羅があるのですが
ご存知でしたか