見る見られるの壁
「図解 般若心経」のコーナーに加筆しました
見る・見られるの壁が大問題になってくるわけです
自己が存在する限り、見る・見られるの壁は無くなりません
これは、肉眼で見る聞くだけでなく、霊感で感じる見える、瞑想で経験する、自分が神の啓示を受ける、などを含めて、「自分」と「自分意外の存在」の間の壁、すべてにおいて言えることです
自他の分別が壁です
自分と、自分以外を隔てる壁は、自分がいる以上、なくなる事は絶対にありません
もっと考えると、世界を存在せしめているのは、見る見られるの壁があるからで、この壁がなくなってしまうと、世界も雲散霧消してしまいますですから、死んでも、この壁はなくなりません
あなたが生きてきたという、厳然とした事実は、あなたが死んでも、死後の世界に残ります
あなたが死んでも、記録や記憶、痕跡が消失するわけではありません
生きた痕跡の消失が無い、ということは、見る見られるの壁の消失もありません
仏教でいう輪廻転生は、このあたりが根拠です
仏教では、生まれ変わるのは当然の常識で、生まれてきて、いかに生きるかが重要なのです
そして、仏教の最終的な目標は、色=空、になることです
経典では「仏身を成就する」と表現されます
つまり、仏と成る、ことです
キリスト教などの一神教と、ここが根本的に違います
仏教は多神教です
そして、あなたも、いつか神の仲間入りをすることが求められています
精進努力して、来世の自分に恥じない生き方をしてくださいね
努力は、必ず報われるのですから