心を生きる

般若心経に書かれている、不生不滅 不垢不浄 不増不減、なのですけれど
生滅 垢浄 増減、が無いという意味ですよね


ありのままの世界(ここでは空)を感覚器官を通じて感じて、脳内に自分なりの世界をつくり出しているのです(五薀、十二因縁など)
その、生滅 垢浄 増減、といったことは、脳内で作り出された、「顛倒した夢想」であると、般若心経には書かれているわけです

生滅が無いということは、時間が無いということになるわけです
時間も脳内の産物だと

垢浄が無いということは、まあ、美醜とか、要は形が無い

増減が無いということは、得るものも失うものも無いということになります
と同時に、質量も無い

時間、空間、質量が無いのが、ありのままの世界であると
でも、それを、感覚器官で感じると、時間と空間と質量になる
そして、時間、空間、質量は顛倒夢想でしかない
ま、理屈では、そういうことです

それでは、その「ありのままの世界」である「空」とはいったいどのようなものであるのか
これ、説明したら、それは「空」ではないわけなので、厄介です

ヒントは、六神通ではないかと思います
天耳通 天界の声を聞く 動物と話す など
天眼通 天界を見る 他人の過去世を見る など
他心通 他人の心の動きを知る など
宿命通 自分の過去世を知る など
神足通 遠隔地にあるものに触る など
漏尽通 自分の煩悩が尽きたのを知る など

つまり、時間、空間に妨げられずに物事を感じることができたり、人や動物の心の垣根にも妨げられずに、相手の思いを感じることができる能力です

これをお読みのあなたも、はっきり自覚していないかもしれませんが、多かれ少なかれ、この能力を持っています


さて、「空」とは絶妙な言葉で、垣根や制限、区別が一切無い心の状態ということです

で、我々は、この「空」を常に感覚器官で感じて生きています
逆に言うと「生きる」という言葉の定義は、「空を感覚器官で感じる」ということになります

では、死とは

感覚器官の活動が止まりますね
肉体は失われます
ですが
心は時間、空間、質量の無い世界で「空」のままです

心を澄ますと「空」が感じられます

そんなの無理だ、などど決め付けないでください
簡単なことです
あなたが眼をつぶっても、世界はなくなりません
感覚器官を閉ざしても、世界はそこにあります



あなたは、感覚器官ではなくて、心を生きているのです
それに、目覚めるだけです

心の重点が「空」に置かれていれば、生も死も無い、ということです











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