今、仏像はどのように作られているか 3

ここは、新しく出来た工房です
三階建てのビルのようです

実は、中はだたっぴろい空間で、片隅で作業をしています
まあ、日本人的には見慣れぬ光景ではあります


一人でコツコツと
ま、わかります


おんや、二人がかりで彫ってますね
まあ、納期は半減しますけど
 

なんと、四人がかり
これは、これからも、日本では無いでしょうね

 


大きな仏像を彫るのにこの高さが必要だと言うんですが、ちょっと、大きすぎないか・・・
まあ、日本人的な感覚ですが

これを、バイタリティーと言うのでしょうか
エネルギーと言うのでしょうか
  

こうして、中国の仏像制作の現場を見てみると、物へのこだわり、とか、技術への誇りとか、出来上がった作品への感情移入とかは、あまり感じられません
物を人格の一部とみなす文化がないんでしょうね

さて、そうした文化から、はたしてこれから、より高度な物作りが生み出されるのか?
中国で、物作りが、ドイツや日本のようにお家芸になるのか?

食べる時、箸を使う国では、手先が器用で、ひととおりの物は作れます
ただ、物作りに魂を込めるかどうか、というのは文化や歴史が必要ではないですか
文革で、ためらいもなく、すべてのお寺と歴史を破壊しつくした民族が、物にこだわるとは考えづらい
中国では、似たものは作れても、本当に創造的なものは、当分生み出すことは無いんじゃなかろうか、というのが僕の感想ですね



皆さんは、中国共産党のチベット弾圧のイメージが強く、実際に中国大陸で仏教がどうなっているか御存じ無いかもしれませんが、この工房では中国向けの仏像も沢山作られていて、むしろ出荷は増えています

中国では、憲法で信教の自由が認められています
ですが、お寺の中での布教はいいのですが、外に出ての活動は禁止されています
まあ、実際のところは、どんどんと変化していて、おそらくは、あと50年もしたら、明治維新前と後位違っているのかもしれません

福建省は台湾に地理的にも文化的にも近く、僧侶は台湾と同様、非常に尊敬されています
肉食妻帯はせず、葬式もしません
日本の坊さんで、中国でも通用する人はわずかでしょうね
チベットでは、弾圧に屈せずに信仰を守っている坊さんが多いのですから、そもそも根性が違います

ただ、「精進だから優れてる」と一口に言っていいのか、というと、違うだろうというのが正直なところです

日本は大乗仏教として、結婚して肉を食べていても「立派な人は立派」という健全な価値観を持っているわけで、僕は、これこそが未来世界の標準になる価値観だと信じてます

嘘をつかない、約束を守る、人の物を横取りしない、などの価値観は、肉食妻帯しないという戒律よりも、よほど重要です
肉食妻帯したくなければ勝手にしていればいいのであって、正直や誠実、思いやりといった価値の方が重要です
 
 
まあ、ともかくも

日本仏教は、中国文化との競合にさらされているのを自覚するしかありません
うすらぼんやりと、檀家さんのご機嫌とりをしていれば住職が務まっていた時代は、終わりつつあるのです

世界は、加速度的に狭くなってきています

日本仏教は、より洗練されて、世界をよりよくするために必要不可欠になるのか
あるいは、世界中からバカにされて、自閉症になるのか

それは、今、なにをするかにかかっています
  
  
 

このブログの人気の投稿

お堂の前で拝む時のコツ

六器

多神世界 仏教の世界観