花の寺の由来
今、長保寺は「花の寺」ということを皆様にご案内しておりますが、これは思いつきとか作った話とかでなく、もともとの由来がある話です。
吉宗の時代の頃に描かれたとされている「長保寺絵図面」に牡丹栽培の様子が描かれています。
吉宗の時代の頃に描かれたとされている「長保寺絵図面」に牡丹栽培の様子が描かれています。
牡丹畑の様子
牡丹は江戸時代から栽培が盛んで、おそらくは藩主の好みの贅沢で豪華な花ということで、境内の畑で栽培されていたようです。
普通の作物が栽培されていた様子はなく、牡丹だけが栽培されていたようです。
それぞれの藩主には好みの花があったようです
牡丹孔雀図 一幅
絹本著色
縦133.2 横56.3
江戸後期
長保寺に伝来し徳川治宝自筆と伝えられる資料である。細密で濃艶な彩色によ
り、岩の周りの孔雀と牡丹の花を描く。
和歌山県立博物館「八代将軍吉宗と紀州徳川家」より
絹本著色
縦133.2 横56.3
江戸後期
長保寺に伝来し徳川治宝自筆と伝えられる資料である。細密で濃艶な彩色によ
り、岩の周りの孔雀と牡丹の花を描く。
和歌山県立博物館「八代将軍吉宗と紀州徳川家」より