心経玄談 14


我々は、隣に座ってる人であっても、今考えていることが、さっぱりわかりません
憶測や、推測はいちおうできますし、教えてもらう、という手もありますが、ほんとのところはわからないのです
また、きちんとした信頼関係がなければ、なにを考えているか教えてもらったとしても、無意味です

別々の人間なんだから、当然といえば当然です

同じ一つの地球に住んでいても、住む場所が違えば、当然、見えるものも違うし、考えることも違います
同じ物を見ても、見る角度が違えば、見えるものが違います
でも、地球は一つです

地球上には、ありとあらゆることが、日々途切れることなく起こっています
その、なにもかもを知るのは、かぎりなく困難ですけれど
目の前のことなら、見てわかります

地球そのものが何を考えているか
こりゃわかりません
自分が見た範囲で考えるわけです



これは、すべてのことに、あてはまります

退屈な話だと思いますが、実はここから興味深いことが導き出されます

たとえば

地球上の日本に住んでいると、日本のことは、比較的よく知っています
では
アメリカのことを、詳しく知りたいとしたら、どうしますか
てっとり早いのは、アメリカに行くことです
詳しく知りたいと思った国に、自由に行ければ、その国のことを知ることができます

となると

人の一生を考えた時
「栄枯盛衰、老病死」は避けがたいなぁ、と感じているとします
ところが
その、同じ人の一生を、別の角度から考えてみると
「楽しい冒険に満ちた、興味が尽きない旅」に感じるかもしれません
自分の望む考え方を、自由にすることができれば、全く別の世界観で物事を感じることができるようになります

いやいや、屁理屈ではありません
憂鬱国に住むと(憂鬱な世界観でみれば)すべては憂鬱になり
喜楽国に住むと(前向きな世界観でみれば)すべては前向きに見えます
立場を変え、視点を変えれば、解決不能にみえる問題も、解決の可能性が発見されます

これを心経では
「度一切苦厄」
すべての苦と厄難を解決した
と言います


心経の最初の二行ですが
「観自在菩薩」というのが、のっけに書いてあります
ふつうに読めば
観自在菩薩が、深く智慧の方便(般若波羅蜜)を行う
ということになるのですが
ここを

観自在菩薩のように、深く智慧の方便(般若波羅蜜)を行う

と、自分のこととして読んでみると

自在に観(観自在)ると、脳が作り出すイメージ(五蘊)は「空」だと照らし見て、すべての苦と厄難を解決できる


見方を変えさえすれば、「空」から自分の望むものをなんでも、取り出すことができるのです










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