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3月, 2009の投稿を表示しています

庶民の花見の原点

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吉宗が将軍であった時代の長保時の絵図面です 桜が開花している様子が描かれています  境内の要所に桜を植えていた様子がわかります   吉宗は何回も長保寺を参拝しています 吉宗がこの桜を眺めたことは間違いありません   将軍になった吉宗は、江戸の庶民が花見をするように桜を植えさせ、茶店を作り、自らも花見をしました 庶民の花見の原点が、この桜かもしれません

大門の桜

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大門の桜の様子 6分咲きくらいでしょうか 今日、テレビNHK和歌山の取材があります 夕方の近畿のニュースで放送されるようです

吉宗桜

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現在の庶民の花見の風習は、吉宗が隅田川堤(向島)や飛鳥山(王子)、御殿山(品川)などに桜を植えさせ、花見客用の飲食店まで造らせ、花見を奨励したのが始まりです。 飛鳥山公園の桜 平成20年 北区飛鳥山博物館 開館10周年記念特別展図録 享保5年に江戸の飛鳥山に、吉宗が桜の植樹をさせた記録が残されています 御場御用一件 坤  18世紀後期 国立公文書館所蔵 飛鳥山では吉宗自身が大規模な花見の酒宴を催し、石碑も建立しています ふるさとの長保寺の桜を偲んで植えさせたのかもしれませんね。 和歌山特報 平成10年3月21日 「吉宗ざくら」の記事     長保寺 吉宗桜

木瓜

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ボケの花が満開です

サクラ

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参道の桜 これは、彼岸桜でしょうか まだ他の桜は5,6輪しか咲いていません それにしても、開花が早いですね

スモモ

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毎年たくさん実が生ります 後ろの建物は、消防ポンプ室です

コブシ

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資料館の庭にあるコブシです 長保有紀さんが平成3年に「雨宿り」10万枚ヒットの記念に、演歌のこぶしがきくようにという願いをこめて植樹された木です 植えた時は1m程の苗木でしたが、大きく育ちました

モクレン

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いろいろな木を植えますが、なかなかうまくはいきません このモクレンは思ったより、うまくいきました

白ボケ

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横のサルスベリを剪定して日当たりが良くなったので、たくさん咲くようになりました

六代さんの梅

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現在、境内の資料館の庭にある紅梅を「六代さんの梅」と言っています 毎年、3月中旬が見頃です 紀州徳川家の歴代藩主には、それぞれお好みの花があったようです 6代藩主の宗直(むねなお)の廟所に植えてあった紅梅を、資料館ができてから移植したのが現在の「六代さんの梅」です 6代藩主は、紀州5代藩主であった吉宗が8代将軍として江戸に行ったため、紀州藩主が空席となったので、四国の西条藩から養子として迎えられました 西条藩からは(初代西条藩主は紀州初代藩主頼宣(よりのぶ)の二男の頼純(よりずみ))、紀州13代家茂(いえもち)が14代将軍となった時にも、茂承(もちつぐ)が来て藩主を引き継いでいます

温かく感じる柱

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御霊屋(おたまや)の柱     ある特殊な木材は、同じ所に置いておいても、それだけが、微妙に温もりがあります 通称、尾州(びしゅう)と言われてる、檜なんですが、木曽の赤沢の檜を特に尾州と呼びます 尾州は、鎌倉時代から日本一の檜として知られていました 江戸時代、尾張の徳川家が独占して管理して、他の者に切らせない、「お留め山」にしていました 江戸時代は、「木一本首一本」と言って、勝手に木を切り出すと死罪でした 尾張の尾をとって尾州と呼ばれています 赤沢自然休養林の歴史 この木は今では林野庁が管理して、やはり切ることはできません唯一切り出すのは、伊勢の遷宮の時の材木用です 江戸時代、尾州は徳川家だけが使う事ができたのです 江戸城、名古屋城、などのお城や、長保寺などの徳川家の寺や、徳川家の武家屋敷だけで使うことができました ですが、徳川家が建てた建物は、火災などでほとんど失われてしまいましたから、実際に尾州で造られた建物はほとんど見ることはできません 長保寺の御霊屋 は、その数少ない尾州で造られた、総檜造の建造物です 床、天井、雨戸などの建具類を含めて、すべて尾州です 柱を、さわってもらうとわかるんですが、横にある桑の木で造った結界と、温度がハッキリ違います 尾州の柱は、いつさわっても、かすかな温もりがあります 同じ所にあって、日も当たりませんから、同じ温度になるはずですが、明らかに違いがあります これは、多分、檜に含まれる油分から遠赤外線が出ていて温かいのだろうと考えています 尾州は特に品質がいいので油分が多いのだろうと思われます この柱は、四面柾(しめんまさ)と言って 、一本の木から、上から見ると田の字に切って、四本の柱を取り出して、四面とも柾目になっている柱です この太さの柱(四面柾六寸角面取柱)だと、最低樹齢800年ないと取り出せません 赤沢には、もうそのような古木はありませんから、あと800年近く待たなければ、この柱を新しく作ることはできないということです まあ、伊勢の御神木に使われるのですから、神の力が加わっているという説明でもいいんですが、遠赤外線の方が科学的な理解に近いと思いますけどね 鎌倉時代から、尾州に触る職人さんは、実際触って仕事するのですから、 「この木は普通の木と違う」

仏教の要点の模式図

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仏教の要点の模式図 に加筆しました 見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています 脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません   自分が感じた世界は、自分だけのものです 感じる前からある、ありのままの世界とは違います 自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います 苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です   感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です 今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です 苦しみや悩みを救う力は、感じる前の世界にあります その力に気づくのを、悟り、と言います  

国家の目標

日本がかつての日本と比べて、衰退が始まっているのは事実です。その衰退の根源の原因はたったひとつだけだと考えています。この国には目標がないんです。 日本は王道でいく。中国は覇道の国・・・それでしか日本は中国に対抗できません。 武士道に反する核武装には賛成できません。・・・しかし、核武装を議論する メタンハイドレート・・・日本は資源大国 青山繁晴 やはり、今、日本という国は転機を迎えているのでしょう いろんな方が、国を憂えて発言してらっしゃいます 行き着くところ、結局、日本はなにをしたいのか? けじめの無い、なにを考えているのかわからない、利権だけで動く国、なのか? 目標を定めて、それを達成する、という方法論が一般的でしょうが、ちょっと視点を変えて 道 神道、仏道、武士道、柔道、剣道、茶道、華道・・・そして 王道 王道を進むこと、これを目標にしてもいいかもしれないと、ふと思う 江戸末期までは、国際社会を無視していてもよかったけれど、明治維新から以後、必然的に富国強兵を目指し、大東亜戦争に負けてからは、経済大国が国家の目標になった もう、追いつけ追い越せで、手本にする国は無い で、これからの多極世界をどう生きるのか? スパルタに征服されたギリシャになるのか? 経済大国であり続けてほしい 民主主義は譲れない 平和国家でもありたい 同時に、尊敬される国でなければならない つまり、王道を進む国 美しい国、品格のある国、強く明るい国、など言い方や強調する所は違うが、 「経済的繁栄と民主主義を高度に達成した平和国家」 であることに異論はなかろう 核武装はね、防衛協会でもよく議論しますよ 当然、技術的には可能だから、どのように核武装するか、という手順の検討をする人はいます ただですね、本当に核戦争になった場合、 アメリカ、中国、ロシア、インド、あとブラジルは国土が広いから、逃げも隠れもできるかもしれないけど、日本は無理です 広島型程度の原爆は今時、ごくごく小さい部類です 何十倍という破壊力の弾頭が当たり前なのです 「一矢報いる」ことが、どの程度の核戦力なのか、冷静に考えるしかありません 核戦争になったらどうなるかは、頭の上に2発も原爆を落とされた国でなければわからないよ メタンハイドレートは、当然極めて重要な資源なのですが、いかんせん、まだまだ、取っ掛かり

前世の傷

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上の写真は、一昨年うちに来た猫 ムササビのように、喉をグッグッと鳴らします 木登りが好きで、バッタを捕まえます 今でも、人の指をしゃぶって寝ます 今は、黒猫のクーと仲良しです 名前は、ムー   上の写真は8年前、傷ついたムササビを介抱したときの写真 黒猫のクーにやられたのです 一か月ほど生きましたが、気温の急変で死にました 名前は、ムー    左がチーで、右がクー