あまりにナイーブな


これはタイのスワンナブーム国際空港です
旅客ターミナルビルの総床面積は世界一の広さです
約50mの幅で長さが1km位のアーケードが3本あります
24時間空港で、ヨーロッパからアジア、オーストラリア、日本、アメリカへの乗り継ぎ、中東からの乗り継ぎ、アメリカから中東、ヨーロッパへの乗り継ぎに、ちょうどいい位置で、フル稼働しています
アーケードの中は、たとえて言えば、阪急百貨店がそっくりあるようなクオリティーの店が連なっています

 こんな調子で延々と続きます


インドからの利用者が目立ちます
インドから太平洋方面に行くなら、便利な立地ですね


この黒装束、日本では全く見かけませんねぇ
中東からきた女性でしょうか
スーッと泳ぐように歩いていきます
これが、朝の10時位の写真ですよ
ここからどんどん人が増えます

人種構成が、日本の空港より多彩です
スターウォーズの宇宙空港のような感じです
まさに、アジアのハブですね

日本でこのような空港を作る土地は、もう無いです
総合的に見れば、日本は世界でも抜きんでた存在ですが、仔細に検討すると、取り残されつつある分野もあるのです
謙虚に自分を見つめる必要があります

この先、新興国が経済的に急速に発展します
携帯電話やパソコンがすでに世界中にあるのですから、変化のスピードはどんどん加速します
その時、この空港に集まる人々の国籍や人種は、より多彩になります
世界はもっともっと近くなります

流れは変わらず、よりスピードを増していきます



今、日本のネットに、たいへんにナイーブな議論をする人たちがいます
特亜、支那、バ韓国などなど、そんな表現を使ったところで、自分が偉くなるわけではありません

津波のように、世界の人々は発展をめがけて殺到しています
弱者を置き去りにし、人の痛みを知らず、平気でダマシ、嘘をつき、それでも前へ進もうとする人も多いのです

そんなの間違っている、そんな奴らは嫌いだ、と、それはそうなのですが、もう何を言っても止まらないのです




これは、中国の地方都市の市場の肉屋さんです
中国では、まだまだ電気が安定的に供給されていません
冷蔵庫は普及していません
ですから、肉を食べたければ、数日中に殺したものを食べるしかありません

ここは、商店街の肉屋さん
後ろの籠にはいろんな種類の鳥が入れられています
小鳥屋さんじゃないのです、食べるための鳥です
このように飼っておいて、食べる時に殺します

やさしそうな顔の御夫婦です
御主人さんが棒を持っていますが、なにをする為のものかわかりますか?
僕は、後で地元の人に教えてもらうまでわかりませんでした

この棒で、犬をたたき殺すのです
市場を一周して回ってきたら、喉を掻き切られた犬が店先の血の海の中に転がっていました
犬も、肉ですしね
あまりに衝撃的なので写真は載せません

ひどい、残酷、野蛮、なんとでも言ってください
では、僕らはどうなんですか?
まあ、商店街の店先で棍棒を振り回す人はいませんがね


ちなみに、こちらは商店街の並びにある、美容院


牛や豚をスライスにする過程を見たことがありますか
クジラ漁がこんなふうに見える人達もいるのだろうし、ドイツの肉屋の店先にはウサギがぶら下がっているし、ノルウェーではトナカイは牛と同じ食用です

食文化と一口でいいますが
世界の食文化は、日本人のナイーブな感性をはるかに超えて、多彩です
否定したことろで、それが文化なのです

じゃあ肉を食べるのをやめましょう、と、それが未来の姿なのかもしれませんが、サッカーで当たり負けする、相撲で勝てない、バレーボールやバスケットボールで差をつけられる、など、体格差が出てきます
勝負で勝てなくなる可能性は高いですね
それで、文明や人種として生き残れるのか
非肉食文化を維持しようとして、ついに滅亡するかもしれません

精進料理を食べるなら個人で勝手にどうぞなのであって、全世界の人々に号令して従わせることなどできないのです

文化の違いは違いとして、付き合っていくしかない

インド人はベジタリアンが普通です、そのせいかな、覇気があまり無いのだよね
やはり、肉を食べるには、電気が不足しているので冷蔵庫がなく、近くで殺してすぐに食べなければなりませんから、残酷な光景が身近にあることになり、いやだと言えばいやな感じではあります
でも、カーストの階級差別はあるのです、平気じゃないようですが、どうしようもありません

そういえば、インドのコルカタのマザーテレサの教会を訪問したことがありますが、近くの広場がヒンドゥーの生贄を捧げる場所で、黒ヤギのひずめやら、尻尾や耳の切れ端が血の海の中に散らかっていました
あれは、神聖に感じるんでしょうねぇ


日本人は動物の血を見る機会があまりまりませんから、肉食が平気でいられるんじゃないですかね
動物を殺して肉にする過程などには残酷観を感じるんじゃないですか


さて

食文化という狭いジャンルに限定しても、その違いに感情を乱されたところで、粛々と世界はより近くなります
変化のスピードは加速し、知らないうちに取り残されていたりします

文化の品格や美しさを自慢しても、聞いてくれるかどうかわかりません
力づくで文化を押しつけることもできません

国柄の違いは、その国の都合に任せるしかありません
馬鹿にしたり嫌悪したりしても、なにかが変わるわけではありません
情緒的な反応は、無駄とまで言いませんが、無力ですね

じゃどうするのか
結局は、自分自身と、自分の国を大事にするしかない
こうだと思うことを、自分の所で実現させるしかない

これからの日本は、アメリカ様の都合(TPP)、中国様の都合(尖閣)、ロシア様の都合(北方領土)に振り回され、北朝鮮の核開発は止まらず、パチンコマネーがのさばり、スパイ防止法もなく、自衛隊は削減されつづけ、緊縮財政が継続し、仕事より手当を先に求め、国債の買取消去を断行する決意もなく、住宅は供給過剰で空き家が目立ち、自殺者はいっこうに減らず、新卒が就職難でも暴動が起きず、困難と難問が山積しています

自虐や縮小均衡など、してたら、中国や韓国に感謝されますね
いつまでも幼稚でいたら、アメリカやロシアにも感謝されます

先ずは、自分がしっかりすることです
ありきたりな結論ですが
ここだけ書けば、一行でBlogが終わってしまいます
でも、それが、一番大事な原点ではないですか
 

 

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