長保寺の伽藍
長保寺絵図面(廟所絵図) 海南市指定文化財 長保寺蔵 |
江戸時代後期刊 版本
各縦26.0cm,横18.2cm
23冊
江戸時代後期に和歌山城下の書肆・帯屋伊兵衛(高市志友)によって企画された紀伊国全体に関する地誌で、紀伊藩領だけでなく高野山寺領についても掲載する。初編と二編(高市志友編)は文化9年(1812)、三編(加納諸平編)は天保9年(1838)、後編(加納諸平・神野易興編)は嘉永4年(1851)に、それぞれ刊行されている。単に名所だけでなく、広範な地名や寺社について掲載しており、『紀伊続風土記』とならび、江戸時代後期の紀州に関する基本的文献の一つに数えられる。http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/23057文化遺産オンライン
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時代とともに、藩主廟所の造営が進み、庫裏が増改築され、かなりの変遷があります
ただ、本堂、多宝塔、大門、鎮守堂、御霊屋の位置が変わっていないことがわかります
本堂の左に庫裏が渡廊下で繋がれていたのがなくなり、護摩堂が多宝塔右から移動しています
参道両側にあった子院は、福蔵院を残し統廃合され、芝生などになりました
全体で約15000坪あります
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出版、パンフレットなど、印刷物等にご利用の場合は長保寺の許可が必要です
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