2012/05/31

ほんとうの世界


ブッダガヤ大塔 釈尊 降魔成道像
(1991年撮影 現在は撮影できません)







ほんとうの世界

見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、すべて脳の中のイメージ

各人各様、脳内イメージは必ず別々のものになる

別々だから、完全に自由で平等

記憶、信念、知識、自分という意識、など全部、脳内イメージ

国家、社会、宗教、人種、民族、習慣、家族、などは共同幻想

脳内にイメージされる前の世界が、ほんとうの世界

脳内イメージにしがみつくのをやめれば、ほんとうの世界が見える

「心」だけが、ほんとうの世界を感じることが出来る

ほんとうの世界では、全ての「心」は繋がっている

繋がっているから、自分のしたことは自分に返ってくる

喜びを与えれば喜びが返り、苦しみを与えれば苦しみが返る

ほんとうの世界にある、苦しみに至らない道筋を「慈悲」という

「慈悲」は
喜びを与え、苦しみを除き
喜びを与えてくれるものに感謝し、苦しみを与えるものを赦す

「慈悲」だけが、全ての「心」の共通の価値

イメージを棄て、「慈悲」を感じれば
なにをすればいいかわかる「智慧」を見つける事ができる

「智慧」に導かれて「今できること」を行えば、「心」が広がっていく

ほんとうの世界には「広々とした心」の先輩が沢山いる

「広々とした心」の先輩達は、未熟な「心」に「智慧」を授け、導いてくれる

死んでも「心」は無くならない

「心」は広がり続ける

そして「心」は、ほんとうの世界そのものになる







ソウルミラーネットワーク 
我々は
  • ソウルミラーネットワークに繋がっている
  • 他の鏡を傷つけたつもりが、実は自分の鏡がそれを写し取り傷ついている
  • 他の鏡を喜ばせると、それを写し取り、自分もうれしい
  • 五感から取り入れた情報を高度に発達した脳が「自由」に解釈し、イメージを作っている
  • イメージには間違いや妄想が含まれるので執着するべきではない
  • イメージが作り出した世界の価値観だけで生活すると、苦痛が生じる
  • イメージと鏡を調和させることを学んで、世界を豊饒にしている
  • 今の人生で鏡の歴史をつくり、それぞれ永遠に続く個性ある鏡となる
  • 「学びを終えた光」にいつも助けられている
  • いつか「学びを終えた光」になる
  • 自分の中にあるソウルミラーネットワークを感じることが大事です






Life of quantum sense

僕らの心は
感じあい、影響しあい
時空の無い世界の中で繋がっている

鏡のように照らしあい
他の心を傷つけると、それを写し取り、自分の心が傷つく
他の心を喜ばせると、それを写し取り、自分もうれしい

自由な心は、妄想と執着をつくり
救いの可能性もつくりだす

延々と終わりのない応酬が続く

かすかな「慈愛の感触」に導かれながら、長い長い旅を続け
喜びや多くの困難を通じて「慈愛の心」を学ぶ

そして、「次元の違う感触」に出会ったとき
全てを理解し、全てが赦される

いつの日か、学びを終えた光になって、光の中で生きる






心を開いて

目に見える前の光を見てごらん 
耳に聞こえる前の音を聞いてごらん
皮膚に感じる前の感触を感じてごらん


そこにあるのは

時間も空間もない

完全な自由



そこにあるのは

全てを受け入れ

全てを許し

全てを理解する
広大な心



そこに行けば

全てが見え

全てが聞こえ

全てが感じられる



そこに行けば

全ての苦しみ

全ての嘆き

全ての喜び
全ての至福
全ての想いが感じられる



そこには

輝く者達がいる

あなたを見守る者達がいる



あなたを待っている者達がいる












人は過去世の業を背負い生まれてくる
過去の全ての結果が、「今」に凝縮している
過去の全ての責任を、今とらされている
今ある絶望と苦悩は、過去の集大成だ
「今」は過去の結末なのだ 
だけど
「今」は未来の始まりだ
「今」心を変えれば、「今」から未来は変わり始める
過去は過ぎ去ってしまい、未来はまだ来ていない
あるのは「今」だけだ
変えることができるのは「今」だけだ
生きることができるのは「今」だけなんだ
今、絶望・恨み・怒り・愚痴・無力感にひたるのか
今、感謝・希望・夢・目標を持つのか
今を大切にしよう
今を真剣に生きよう

今だけでいい
出来る限りのことをしよう



2012/05/25

般若心経の模式図


般若心経 一巻
紙本墨書 縦26.0 横42.2  奈良後期(8世紀) 長保寺蔵

この経巻は、奈良時代中ごろの天平時代に書写された隅寺心経と呼ばれる一連の般若心経のうちの一巻です
隅寺心経は現在50枚ほどが確認されていますが、世界にこれより古い般若心経は現存しません
拡大画像はこちら 隅寺心経の詳しい解説もあります



色即是空。空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
色(物質)はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色(物質)

般若心経でいちばん有名なフレーズです

我々は、外界を感覚器官を通じて脳内に再構成して、再構成されたものを世界として感じています



般若心経は短いお経に、仏教の要点を書いています

色と空の関係( 色即是空。空即是 
色(物質)はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色(物質)

空の説明(不生不滅不垢不浄不増不減)
生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず

色の説明(五蘊・十二因縁・四聖諦は無い)
色受想行識も色声香味触法も無い
無明も老死も無い
苦集滅道も無い

般若心経は、要点を書いたお経ですから、結局この三つが仏教の要点だという立場です


「物の形」、「音」、「味」や「老い」や「死」、「苦しさから逃れる方法」などは、我々の脳内現象であって、感じられる前の世界には、そのようなものは無い、ということです

今、自分が死んでいなくなっても、世界が消滅するわけではありません
その消滅しない世界は、我々の脳内にはないのです



色--見る・見られるの壁-->空
空--
見る・見られるの壁-->色
これで、この般若心経の中に、自分自身が入り込みます

目の前のモニターを、今、見てますが
パッと目をつぶってください

目をつぶった、その間にモニターが月に飛んでいった、などと考えてる人はいないと思います
見て無くても、モニターはそこにあります
ですが
見てないんだから、どうなっているかは、本当のところ、わかりません


見てないんです
それを「わかる」なんて言ったら、嘘です
でも、そこに有るんです

どうしても「わからない」、でも、そこに有る
それが空です






赤枠が効能書き
緑枠が空と色の説明
青枠は呪です

般若心経で、呪は2種類説かれています
般若波羅蜜多(向こう岸に至る智慧)の(精神統一の意味)、と
呪を説いていわく、の(呪文の意味)

向こう岸に至る智慧(呪)は、よく一切の苦を除く(説明です)

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
ギャーテーギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソウギャーテー、ボージソワカ
(呪をとなえる、実践方法です)


これは、お経によって定義されたルールですから、茫漠とした空の中から「向こう岸に至る智慧」が呪によって選択されて現前します



自分の眼でとらえた影像としてのモニターは「顛倒した夢想」です
本当のモニターは「空の中」にあります

壁は無くなりませんが、実は、「影像」と「本当の姿」は繋がっています
なぜなら、「影像」も「本当の姿」の一部だからです
「空の中」に住む観自在菩薩によって説かれる呪によって「影像」と「本当の姿」は繋がっています
呪が見る見られるを繋いでいます
繋がっていますから、一気に、スッキリ、全てが解決します



参考リンク
般若心経は、空について説かれています
哲学的な空についての説明もありますが、実際は、哲学が知りたくて般若心経を読む人はほとんどいないでしょう
読誦して功徳がある、霊験がある、ということを目的に唱えられています

なんにもなければ、とっくに廃れてます
その霊験の引き金が呪です
空ということを言えば、たとえば、地球の裏側の人たちから見れば、我々の存在は空の中です

見る、聞こえる以前の世界の総称が空ですから、漠然と、広すぎる概念です
で、その空には整然とした秩序があり、ルールに従えば、空の中から実際的な力を取り出せる、というのが密教です

主たる方法が、呪です
般若心経によれば、呪には2種類あり、それは「精神集中」と「呪文」です
それで、般若心経を読誦すれば、「精神集中」と「呪文」により、霊験がある、と
呪が仏によって定義され示されたから、間違いなく空の中から約束された力を取り出すことができます
それで、もう2500年にわたって読誦され続けているということですね
 









2012/05/22

癒される瞑想の模式図



癒される瞑想の仕方 

あなたが一番信頼する光に意識を集中します
リラックスして
目をつぶって
ほほえんで(大事なコツです)
無条件に全てを赦し救う心を感じながら
静かに息を吸って
無条件に全てを赦し救う気持ちで
体の力を抜きながら 息をゆったり吐きます
それを繰り返して
光だけになります
疲れてきたらやめて
光に感謝を伝えます


かすかに微笑む  とても大事です
インドに残されている仏像はどれもかすかに微笑んでいます。仏頂面という言葉がありますが、口をへの字に曲げてしかめ面をするのは瞑想の時の面構えではありません。奈良の大仏さんの顔は、威厳のあるちょっと怖い顔ですが、あれは国家の威信を示すためあんな顔をつくったのだと思います。
皆さんは、安らかな微笑みを浮かべて瞑想してください。



初転法輪の釈尊 サールナート博物館

姿勢
仏教では一般的には座って瞑想することになっていますが、これは釈尊が悟りを開いた姿が源泉になっています。しかしながら、仏教の長い歴史をひもとくと、行住座臥いろいろな姿で過去の高僧方は悟りを開いています。
阿難尊者は仏滅後の第一結集の時にまだ悟りが開けず、仲間に入れてもらえそうになっかたので、もうだめだとガックリとうなだれたところで忽然と悟りを開いたといいます。弘法大師は求聞持法を修行したとき明星が口に入ったといいますから、おそらく首を明星を見る角度まで上げています。白隠禅師は托鉢をして門前に立っていた時、無信心な婆さんに水をぶっ掛けられて、悟りを開きました。この白隠禅師の「軟蘇の法」は寝てします。キリストは荒野をさ迷い歩いて、これは座ったというのはないらしい。
悟りがひらける瞬間は、あまり姿勢とは関係ないと思いますが、長いこと瞑想しつづけるには、やはり負担の少ない方法ということで有史以前から、座って瞑想という姿に自然となったのでしょう。これが、だから、背筋を伸ばした優雅な姿勢であることが望ましいですが、姿勢が悟らせてくれるのではありません。
座る場合、右が上か左が上かで諸説あります。どうもインドの仏像、ビルマ、タイなども右が上のようです。左が上は中国に来てからかもしれません。宗派の伝統に従えばいいとしておきます。
ただこの瞑想は座るのなら加持を得るため密教式に右を上にしてください。



見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています


脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります



しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません

滅も垢浄も増減もない、時間と空間のない完全無欠な世界です




感じる前の世界には、生じることも滅することも、垢つき汚れることも清浄なることも、増すことも減ることも無く、一でも異でも常でも断でも去でも来でも無く、「完全な秩序」があります


しかし、自分の感覚器官を通じて、脳内にイメージを構成する時、「歪み」が生じます

妄想、誤解、間違い、思い込み、見落とし、などが生まれます




瞑想によって、歪みのない世界に触れ、バランスを取り戻し、素直で冷静な気持ちになります

悩みを解決し、窮地を救い、行き詰まりを打開する「慈悲と智恵」が自分の中から生まれます


自分が感じた世界は、自分だけのものです


じる前からある、ありのままの世界とは違います



自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います



苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です






感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です


自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です



苦しみや悩みを救う力は、感じる前の世界にあります



の力に気づくのを、悟り、と言います

わがこころ、吾心ですね





見る側の我々と、見られる側の世界との間には壁があります


この壁を超えるのが「慈悲の感触」です

ここでは、光と言っておきます



慈悲の感触」だけが至高の心に繋がっていま



あなたが、全力で誰かのために働く時、自分自身の中にある、至高の心に出会えます




身近な表現で言えば、理想だけ追求してもダメで、現実だけ重視してもダメなんです

理想と現実、両方あるのが人生です




理想だけ求めて他人を非難し、欠点を探しても、なにも解決しません

現実の利害得失だけ求めても、出口のない堂々巡りが続くだけです



理想でもない、現実でもない、なにが重要なのかというと、慈悲ではないです



誰かのために働く時、本当の力が湧き上がります



それを仏教では「慈悲」と言っていま




作務


今日も剪定作業
ツツジの剪定もしました

2012/05/21

金環日食の動画

金環日食を観測しました















美里天文台で、以前もらった太陽観察用に加工されたフィルムを使って観測してみました



光のリングがゆっくりと動いているのがわかります

下記のリンクで拡大してご覧いただけます

金環日食の時にちょうど7時半の時報が鳴りました




2012/05/20

Quantum Sense


仏教的な生活の図解です
自分を信じて、生きる道です



我々は、世界を感覚器官を通じて感じて(学習や経験)、脳内に自分の世界を作って生きています
時間や空間や自分がいるという意識は、脳内に作られたものです

目をつぶっても世界は無くなりません
感じる前の世界が、本当の世界です
本当の世界は、一つしかありません


般若心経では、感じる前の世界を「不生不滅不垢不浄不増不減」
「生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず」と説いています


西洋哲学では、イデアを「ものごとの真の姿」であり判子のようなもの、エイドスを「形」とか「図形」であり押された刻印のようなもの、と考えています


量子(Quantum)は、観察される前の状態では「ここである状態と、あそこである状態」が共存して重なりあっているSuperpositionであることが実験で確認されています
観察して始めて、位置と速度を決めることができます


仏教、西洋哲学、量子論、それぞれの基本構造を図示すると、極めて似通った構造であることがわかります


一つの物事であっても、感じる人の立場が違えば、違って見えます
地球の北側から見ている人は、南側から見ている人とは見えるものが違うのです
しかし、地球は一つしかありません


我々は、自分にとって安全で利益のある物事に、特に関心をもちます
自分の生存に関わるからです
もともと一つの世界を、それぞれ自分なりに解釈して生きているのです


自己中心の感じ方をすることで、様々な問題が派生することになります


しかし、人間は、そうやって生きていくしかないのです


感じる前の世界を「感じる」ことができれば、癒しがもたらされます

瞑想の仕方 

あなたが一番信頼する光に意識を集中します
リラックスして
目をつぶって
ほほえんで(大事なコツです)
無条件に全てを赦し救う心を感じながら
静かに息を吸って
無条件に全てを赦し救う気持ちで
体の力を抜きながら 息をゆったり吐きます
それを繰り返して
光だけになります
疲れてきたらやめて
光に感謝を伝えます




理想を語ることも大事です
現実を無視することもできません

理想や空理空論を追うのでもなく、利害得失だけを考えるのでもありません
誰かのために働く時、本当の力が湧き上がります

それを仏教では「慈悲」と言っています

2012/05/19

アナグマを捕獲しました


アナグマを捕獲しました
工事現場や受付の周囲で頻繁に目撃されていました
植木鉢を掘り返したり、畑に穴を掘ったりしているのが確認されています
暗渠にかくれていたのを追い出されて、カゴで捕獲されました


とりあえず、ご近所さんに公開



アナグマは人の声がしても怖がりません
ネコと歩く道が似ているらしく、飼いネコと喧嘩をしているのが目撃されています

あちこち掘り返すのは、ミミズをさがしているらしいのですが、作物などに悪影響を与えます
保健所では引き取ってくれませんので、どこかの山奥に放すことになります







飛行機雲


久々の快晴ですね


 

2012/05/18

畑に苗を植えました

海南の南方という苗屋で買ってきた苗
ナス、きゅうり、甘長トウガラシ、ピーマン、マッカ、ミニトマト2種類



こんな感じで植えていきます
奥に立ててあるのは、キュウリの支柱

ここに、あと、インゲン、オクラ、小芋、枝豆、カボチャ、トウモロコシを作ります


これはマッカ(マクワウリ)
ウリバエを避ける囲いを被せます
これは、必ずウリバエ対策をしないとマッカは作れません
やりかたは、いろいろありますが、今年はプラ製のフードを試してみます

2012/05/17

和歌山城天守閣の設計図面

長保寺に寄進されている非常に貴重な資料のうちの一つがやっと公開されました

和歌山城天守閣の設計図面です
存在そのものは知られていましたが、内容の仔細な検討がなされていませんでした

松岡利郎さんは、もう3年くらい前だったと思いますけれど、お尋ねくださり、資料をご自身でデジカメに撮り、ほんの数ページの論文のために、渾身のご研究をしてくださいました

資料そのものも貴重ですが、公開された論文も極めて貴重なものです

ここに、記して、感謝のしるしといたします

ありがとうございました





再建和歌山城天守の建築構成 松岡利郎

 和歌山城郭研究第11号掲載 2012/04/01



リンクはこのページからもたどれます



 頼貞隨想
和歌山城の記述があります 
私は東京目黒の邸で城楼炎上を聞いて暗然とした。戦後高垣和歌山市長等心ある人々によって城楼再建の計画があることを聞かされて大いによろこんだものの、私の今の境遇ではどうともできないのが何よりも悲しかった。しかし何んとか協力する術がないものかと、いろいろ思案したあげく、先祖代々の菩提所、和歌山県海草郡下津町の長保寺に寺内山林から伐りだした多量の戦時献木が未進のままに積まれているのを知り、これに不足分を伐りたして、城楼再建の用材にしたらと思いつき、早速市県に寄附を申し込んだ、これが私のなしうるせめてもの心づくしであった。




2012/05/16

畑に堆肥を入れました

バークミンを25袋入れます


一面に撒きます


半分ほど耕したところ こちら側が耕し終えた部分です


終了 
クボタの耕運機は途中で止まったりしないので仕事が速い 
実働40分くらいです


土がホクホクになります
これを、畝立して夏野菜の苗を植えます

2012/05/15

「保元、平治の乱」の時代の念仏法要

不断念仏式(ふだんねんぶつしき)

「保元、平治の乱」の時代に長保寺で行われていた念仏法要の記録です

最初にこの法要が行われたのは大治三年(1128)ですが、これは、法然上人がお生まれ(1133)になる5年前です
法然上人、親鸞聖人がお生まれになる前から、長保寺では念仏が唱えられていました

貴族社会が終わりを迎え、武士の武力衝突が社会を動かしていく時代になっていくわけですが、長保寺のような地方寺院は、平穏な宗教活動をしていたことが伺えます


「保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期の保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変である。wiki




不断念仏式       一巻
紙本墨書 縦27.4 横195.8
鎌倉後期(14世紀)


 長保寺における不断念仏の式次第を記したものである。
 不断念仏とは円仁(慈覚大師)が五台山から比叡山にもたらしたもので、一定の期間中、僧侶が絶えることなく、阿弥陀仏を念ずる修法である。敬白文によると、長保寺においては大治3年(1128)に不断念仏が始まり延慶2年(1309)まで毎年10月に行われていたことが判明する。また、それ以降もこの修法を再整備して継続していくことが述べられている。その中で、道俗を限らず阿弥陀仏と慈覚大師に結縁して往生極楽を願っている点は、この時期の長保寺とその周辺地域における信仰を物語っており、貴重な史料と言うことができる。
 なお、巻末の部分には長保寺においてこの不断念仏が大治3年に10月1日一夜の形で始まり、保元3年(1158)には10月16日からの七日七夜に改められ、さらに正応2年(1289)には10月11日からの七日七夜、五昼夜に改められたことが記されている。



和歌山県立博物館「長保寺の仏画と経典」より

室井滋さんからお歳暮

  山中塗のお盆 調べたら2003年のNHKドラマ「新しい朝が来た」で長保寺でロケして以来、かかさず毎年お歳暮を頂戴しています 全く、恐縮しています