般若心経の模式図


般若心経 一巻
紙本墨書 縦26.0 横42.2  奈良後期(8世紀) 長保寺蔵

この経巻は、奈良時代中ごろの天平時代に書写された隅寺心経と呼ばれる一連の般若心経のうちの一巻です
隅寺心経は現在50枚ほどが確認されていますが、世界にこれより古い般若心経は現存しません
拡大画像はこちら 隅寺心経の詳しい解説もあります



色即是空。空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
色(物質)はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色(物質)

般若心経でいちばん有名なフレーズです

我々は、外界を感覚器官を通じて脳内に再構成して、再構成されたものを世界として感じています



般若心経は短いお経に、仏教の要点を書いています

色と空の関係( 色即是空。空即是 
色(物質)はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色(物質)

空の説明(不生不滅不垢不浄不増不減)
生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず

色の説明(五蘊・十二因縁・四聖諦は無い)
色受想行識も色声香味触法も無い
無明も老死も無い
苦集滅道も無い

般若心経は、要点を書いたお経ですから、結局この三つが仏教の要点だという立場です


「物の形」、「音」、「味」や「老い」や「死」、「苦しさから逃れる方法」などは、我々の脳内現象であって、感じられる前の世界には、そのようなものは無い、ということです

今、自分が死んでいなくなっても、世界が消滅するわけではありません
その消滅しない世界は、我々の脳内にはないのです



色--見る・見られるの壁-->空
空--
見る・見られるの壁-->色
これで、この般若心経の中に、自分自身が入り込みます

目の前のモニターを、今、見てますが
パッと目をつぶってください

目をつぶった、その間にモニターが月に飛んでいった、などと考えてる人はいないと思います
見て無くても、モニターはそこにあります
ですが
見てないんだから、どうなっているかは、本当のところ、わかりません


見てないんです
それを「わかる」なんて言ったら、嘘です
でも、そこに有るんです

どうしても「わからない」、でも、そこに有る
それが空です






赤枠が効能書き
緑枠が空と色の説明
青枠は呪です

般若心経で、呪は2種類説かれています
般若波羅蜜多(向こう岸に至る智慧)の(精神統一の意味)、と
呪を説いていわく、の(呪文の意味)

向こう岸に至る智慧(呪)は、よく一切の苦を除く(説明です)

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
ギャーテーギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソウギャーテー、ボージソワカ
(呪をとなえる、実践方法です)


これは、お経によって定義されたルールですから、茫漠とした空の中から「向こう岸に至る智慧」が呪によって選択されて現前します



自分の眼でとらえた影像としてのモニターは「顛倒した夢想」です
本当のモニターは「空の中」にあります

壁は無くなりませんが、実は、「影像」と「本当の姿」は繋がっています
なぜなら、「影像」も「本当の姿」の一部だからです
「空の中」に住む観自在菩薩によって説かれる呪によって「影像」と「本当の姿」は繋がっています
呪が見る見られるを繋いでいます
繋がっていますから、一気に、スッキリ、全てが解決します



参考リンク
般若心経は、空について説かれています
哲学的な空についての説明もありますが、実際は、哲学が知りたくて般若心経を読む人はほとんどいないでしょう
読誦して功徳がある、霊験がある、ということを目的に唱えられています

なんにもなければ、とっくに廃れてます
その霊験の引き金が呪です
空ということを言えば、たとえば、地球の裏側の人たちから見れば、我々の存在は空の中です

見る、聞こえる以前の世界の総称が空ですから、漠然と、広すぎる概念です
で、その空には整然とした秩序があり、ルールに従えば、空の中から実際的な力を取り出せる、というのが密教です

主たる方法が、呪です
般若心経によれば、呪には2種類あり、それは「精神集中」と「呪文」です
それで、般若心経を読誦すれば、「精神集中」と「呪文」により、霊験がある、と
呪が仏によって定義され示されたから、間違いなく空の中から約束された力を取り出すことができます
それで、もう2500年にわたって読誦され続けているということですね
 









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