不思議
我々、お互いが、実はSuperpositionの中の存在なんですよね
こうして文章を読んでいただいていますが、書いてる僕は、あなたにとってSuperpositonの中にいます
僕にとっては、読んでいただいている方々がSuperpositionの中にいます
だから、理論的には、時空を超えて繋がっています
くどい事を書きますが、Superpositionは物理的に観測される現象で、この理論をもとに走査型電子顕微鏡など実用化されているわけで、無視できない事実なんです
自分が今生きているという感覚も、厳密に言うと、そう思った瞬間に過去になっているわけです
いったいいつ生きているのかというと、未来はまだ来ていませんし、生きているなと思った刹那は過ぎ去ってしまっていますから、生きる暇がない、と言うのも変ですが、考えてみると不思議です
唯物論的な理屈をつけても、仏教的な理屈をつけても、しょせん、よくわからないことへの屁理屈なんですから、ムキになってもしょうがないと思いますよ
まあ、僕がこうして、かなりアバウトな話をつづけているのは、几帳面につじつま合わせをしても、実際のところを説明しきれるものでもないからです
あまりに綺麗に理論を作りすぎると、そうですね、たとえて言えば、sudokuが、あと最後のひとマスで出来あがるのに、どうしても埋まらず、結局最初から全部間違いだったようなことにもなりかねません
数独
・・・いいんです、わかりにくくて (^^;)
心の「ある」ことを否定する人は無いと思いますが、どこにあるのかということになったら、脳でもいいですが、パカッと二つに割っても心が出てくるわけでもなく、理解しずらい対象ですね
と言って、全く不可知かというとそうでもなく、中途半端にわかっているというか、理解途上にあるというか、あてになるようなならないような、よくこれで平気で暮らせますよね
「ある」という概念がそもそも間違っているのかもですね
この瞬間が、与えられているというか
生きてるだけで丸もうけ、ですよ、ほんと