2022/12/31
隅寺と写経
長保寺の心経の経題の下に慈覚大師と書かれています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 30, 2022
これは、江戸時代の古筆(こひつ)というらしいですが、いわゆる骨董品鑑定家ですね、その見立てが書かれた付箋です
この古筆の信頼性は、現代の学問水準からすると100%ではありません
隅寺心経は弘法大師筆という伝承もあります
隅寺心経を慈覚大師が書写したと言うのは、時代的に言って、ちょっと難しいかなと思います
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 30, 2022
弘法大師の可能性は、ゼロではないですが、隅寺心経と呼ばれている写経は60巻近く確認されているので、その全てと言うのも無理があります
(隅寺というのは奈良の海龍王寺というお寺で、国立の写経所でした)
2022/12/30
観自在 肝心要
やはり「観自在」なのですよ
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 29, 2022
心経の最初の一句が、全ての原点なのでしょう
そもそも心経の「心」は、肝心要の心です
つまり、仏教の肝心要の経典が心経だという立場です
その最初の一句こそが始めであり結論でもあるとhttps://t.co/I3vUF9GlGB
隅寺心経 奈良時代 長保寺蔵 pic.twitter.com/7vcbe6HnNo
2022/12/29
自我の核心
entanglementを(観測)することでquantumが生じるのであって、quantumが独自にあらかじめ存在しているわけではありません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
この(観測)が自我の核心部分です
で、この自我の核心はどこにあるのかというと、quantumは(観測)で生じるのですから、entanglementに自我の核心があることになります
概念としては、自我の核心がentantanglementにあるわけですが、entanglement は有無どちらでもないわけで、仏教では自我は無いことになっています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
死んだら自分のquantumは消滅するのですが、entanglement に自我の核心が存在しているので、(観測)は終わらず、来世はある、でいいのではないですか
死は親しい者との別れを強制しますが、お互い時空の無いentanglement に自我の核心が永遠に存在し続けているわけですから、いずれ再会します
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
結局、ものの見方、考え方でしょうか
いかに(観測)し、感じ、どうするのか
あなたなら、どうしますか
2022/12/28
resonance 意味が通じる
「万物はentanglement」ですから、この文章をお読みになっているあなたと、これを書いている僕は、時空を超えてentanglement な状態であるわけです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
理屈では、「空」の中で、あなたと僕は一つでは無いのですが、別々でも無いのです
これがね、文章の意味が通じる原理かもしれないと考えています
文字に限って考えてみますが、「単なる文字の羅列」の言わんとする所が相手に通じるのは不思議なことです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
自分が伝えたい意味が、entanglement な状態で、相手にresonance (共鳴)するのかもしれません
これは、全ての種類のコミュニケーションで言えることです
resonanceは意識を集中していると起こりやすくなります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
これを、仏教では三昧耶(さんまや)と言います
神仏は、もうすでにentanglement にいると考えられるわけですが、この神仏とのresonanceを試みるのが密教です
最も手っ取り早く叡智を得る方法です
すでにsuperpositionに存在している神仏と、行者がコンタクトするわけですが、「万物はentanglement」で同じでも別々でも無いとしても、どのように感化されるのか、仕組みがあるとは思っています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
それで、resonanceと言っているわけです
resonanceを仏教では、瑜伽、繋ぐ、加持と様々に表現しています
音叉を考えれば、resonance が起こりやすい環境は思い当たります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
互いに固有の波長が近い状態が必要です
だから、いきなり神仏とresonanceが生じるのでは無く、自己努力で神仏に心を近づける必要があると思います
resonanceは、波動を連想させる表現ですが、これは、弘法大師の声字実相義からきています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 28, 2022
五大にみな響あり、 十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なりhttps://t.co/qr9noMBkqc
仏教のテクニカルタームは、便利なのですが、様々な縛りがあるので使い方が難しいのです
2022/12/27
不滅の魂 悟り
entanglement からquantumを得る、ところまでがわかったら、仏教で言う「悟り」が開けるのかと言うと、そんなに簡単ではありません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022
要は、その「得る」時にですね「いかなる観測(意志)」であるのか
つまり、「観測」の目的と目標が何なのか、が重要になるのです
基本的には、人は善くも悪くもなれるわけです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022
その、「善い」というのは、一体何を基準にしているのか
「万物はentanglement 」ということで考えれば、「他人の痛みを我が痛みとして感じる」あるいは「他人の喜びを我が喜びとして感じる」ことでしょうか
ま、以心伝心
「以心伝心」は、結局、自発的に自分の意志ですることであって、誰かに命令されたり、強要されたりしては出来ません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022
「万物はentanglement 」という原則によれば、強要による洗脳とかカルトとかには癒しはありません
本当の癒しは、entanglementによる自発的な「以心伝心」で得られるのです
「以心伝心」の「心」なのですけれど
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 27, 2022
他人の痛みや喜びを「感じ」て、「どうする」のか
これがね、人生永遠のテーマですよ
「感じ」て「どうする」、の部分こそが、その人の「不滅の魂」の姿なのかなと考えているんですけどね
わがこころ、吾、心、すなわち「悟り」の姿なのかなと
イワヒバ
2022/12/25
entanglement からquantumを得る例
河口慧海の西蔵旅行記(明治37年)だったと思うのだけれど
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 25, 2022
チベット探検中に困難に遭った時、断事観三昧と言って、これは河口慧海独自の命名ですが、山中だろうが河原だろうが坐禅をして活路を見出そうとしている
これなどentanglement からquantum を得る事例とも言えるhttps://t.co/ELm5RLAlVh
三井英光阿闍梨が高野山奥之院の責任者だった時、50年に一度の大法要の当番に当たったが、聖天法を秘修して霊感を得て、法要準備の抜かったところを指摘していたのです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 25, 2022
これは、ご自身の著作にも書かれているので、ここで書いていいと思います
これも、entanglement からquantumを得る例
2022/12/23
居眠りと瞑想の違い
寝て夢を見るのは、entanglement との接触とも思えないこともないのですが、寝てしまうと「観測(意志)」が無い
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 22, 2022
瞑想との一番のちがいでしょうね
ちなみに、仏教の「仏」はサンスクリットで「目覚める」という意味なのです
「寝るのと瞑想」との違いは「観測(意志)」ということですね
瞑想には、何のためという目的と、結局どうしたいのかという目標が必要です
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 22, 2022
そうでないと、居眠りとたいして違いません
entanglement のプロトコルは「慈悲」ですから、目的と目標に「慈悲」が無いとresonanceが生じにくいということになります
2022/12/22
自分の空に触れる
目をつぶれば全ては「万物はentanglement」になっているわけですが、entanglement がなにもかも一気に解決するのではありません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022
entanglement がquantumになるには観測が必要で、つまり、「意志」がどのようなquantumになるかを左右すると言えるのです
仏教の伝統の話をしますが、拝み始める前に、表白(ひょうびゃく)と言いますが、拝む目的をきちんと神仏に説明しなければなりません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022
拝んだ後には、回向(えこう)と言いますが、拝んだ功徳をどこに向けるか具体的に指定します
たとえば
一切我今皆懺悔(表白)
我等与衆生皆共成仏道(回向)
理屈を言えば
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022
entanglementが「意志」によってquantum になる
神仏への祈願が「表白と回向」によって現実世界に投影される
という構造に、きちんとなっているわけです
これは、キリスト教でもイスラムでも似たようなもんなのだと思いますよ
現実世界(quantum)だけの、勝ち負け、損得、貸し借りなどだけで物事そう上手くはいきません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 21, 2022
それで人類は、生きる知恵として、神仏への祈りや瞑想をしてきたのでしょう
つまり、entanglement を観測してquantum を得る
それを「自分の空に触れる」と表現することもできるのです
今ここ
神や仏はどこにいるのか
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 19, 2022
聖地や御堂や教会でもいいのですが、「万物はentanglement 」ですから、時間も空間も無いわけで
神仏は、「今ここにいる」でも正解だと思いますよ
「いつもありがとう」って呼びかけてみてください
したことないでしょ
喜びますよ
2022/12/16
癒し 共鳴
森羅万象全てが「空」の中にあり、自分自身の「空」も、その中で時間も空間も破綻も無く調和しています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022
その、自分自身の調和した「空」で癒されるのです
それを、心経では、「一切の転倒した夢想を遠く離れる」と説いています pic.twitter.com/Ar94jFBvpa
大雑把に言えば、事実の解釈(つまり観測)は常に事実そのものではありません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022
ですからquantumをいくら調べても、superposition の全てを理解出来るわけではありません
キリスト教で言うところの「原罪」、仏教で言えば「無明」でしょうか
「万物はentanglement」しているわけですから、神々や諸仏もsuperposition すなわち「空」の中にいることになります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 16, 2022
神々や諸仏の「空」と、自分の「空」は、ともにentanglement ですから、別々でも同一でもなく、一でも多でもありません
同じと言えば違うし、別物だと言うのも違うのです
Superposition で「万物はentanglement 」しているのですから、同じでも別々でも無く一でも多でもありません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 16, 2022
だから、こちらの世界(quantum)で神仏を祈るよりも、superposition で神仏とresonance (共鳴)するほうが簡単だということになります
束縛からの解放
Superpositionにおいて「万物はentanglement」な状態ですから、観測しなければquantumにはなりません
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 14, 2022
観測(つまり意志)が無ければ、この世界はありません
この「意志」が、ひん曲がって、汚れて、自分勝手で、嘘っぱちだったら世界はどうなりますか? pic.twitter.com/duZPLdMiQH
仏教的なロジックで言えば、自分自身の「空」で癒される必要があります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 15, 2022
quantumの側の発想にこだわるならば、問題の本質的解決には至らないのです
だから「観自在」で、過去のしがらみや、固定観念、嘘、間違いを、「自在に観て」、束縛から解放される必要があります
本質的自由 幸福になれる可能性
Quantumは観測されなければSuperposition(entanglement な状態)です
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
しかし
**そこに「意志」が働くことで(観測)、この世の現実になる**
という言い方もできます
つまり
「意志」が現実を作っている
生死も苦厄も「意志」が作り出している
という言い方もできます pic.twitter.com/ob3DQicbE1
「万物はentanglement 」ですから
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
そこに「意志」が働けば、より望ましい現実をもたらす可能性があります
「人間の本質的自由」と、「誰でも幸福になれる可能性」の、これが根拠です
可能性 意志の働き
「万物はentanglement」であることは、実は生活の隅々に行き渡っています
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
例えば、今日の夕御飯は何にするか決まっていない(entanglement)、だから夕御飯は「無い」にはならず
これから計画して決めれば済む事です
少子高齢化はもう避けられないに「決まっている」
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
ではなくて(entanglement)、どうにかすることは出来る
貧乏は不幸に「決まっている」
ではなくて(entanglement )、他では味わえない幸福もある
人は死んだら終わりに「決まっている」
本当にそうなのか
川に橋が架かっていないから渡れないに「決まっている」
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
ではなくて(entanglement )
橋を架けようと思いつき、設計図を書いて、材料と人手を集めて
橋を架ける工事をする
冗長な話ですが、「万物はentanglement 」な訳ですから、そこに「意志」が働けば、固定された状態を変える可能性が生じます
観自在 洗脳
これが,「万物はentanglement 」ですか、わかりました、これで生も死も苦しみも災いも無くなりました・・・とならないのは
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022
心経の1番最初に書いてある「観自在」、観ること自在なるというところがなかなか難しいからです
我々は、ありとあらゆる固定観念、思い込み、誤謬に囚われているからです
「万物はentanglement」だから苦しみや災いから逃れるのは、たとえば
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022
今日は雨で濡れるから「嫌だなぁ」となる事が確定してるわけではなく、考え方によっては、空気が湿って新鮮な感じで「嬉しい」にもなるわけです
原因と結果が、動かし難く決定してるわけではないのです
つまりentanglement
「雨は人を不幸にするに決まっている」と決めつければ、entanglement を否定することになります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
なにごとも、考え方次第、感じ方次第であり、善悪、好悪などの評価が機械的に決定されるわけではないのです
当たり前と言えば当たり前で、「万物はentanglement 」だからです
「観る事自在」であることが大事なのですが、この「自在」ができそうでできない
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
知らず知らず「こうに決まっている」と決めつけているのです
洗脳状態と言ってもいい
たとえば、目の前のモニターは、ぱっと目をつぶった瞬間にentanglementになる、わけなのですが、そんなこと考えてもいません
2022/12/13
「万物はentanglement 」 「観る事自在」
ノーベル賞で「万物はentanglement 」だというところから始めればいいことになりました
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 11, 2022
「万物はentanglement 」だから、心経の「度一切苦厄」が可能になり
「万物はentanglement 」だと認識することが、つまり、「遠離一切転倒夢想」だというわけです
長保寺蔵 隅寺心経 pic.twitter.com/xEHJXYHQdj
これが,「万物はentanglement 」ですか、わかりました、これで生も死も苦しみも災いも無くなりました・・・とならないのは
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022
心経の1番最初に書いてある「観自在」、観ること自在なるというところがなかなか難しいからです
我々は、ありとあらゆる固定観念、思い込み、誤謬に囚われているからです
「万物はentanglement」だから苦しみや災いから逃れるのは、たとえば
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 12, 2022
今日は雨で濡れるから「嫌だなぁ」となる事が確定してるわけではなく、考え方によっては、空気が湿って新鮮な感じで「嬉しい」にもなるわけです
原因と結果が、動かし難く決定してるわけではないのです
つまりentanglement
「雨は人を不幸にするに決まっている」と決めつければ、entanglement を否定することになります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
なにごとも、考え方次第、感じ方次第であり、善悪、好悪などの評価が機械的に決定されるわけではないのです
当たり前と言えば当たり前で、「万物はentanglement 」だからです
「観る事自在」であることが大事なのですが、この「自在」ができそうでできない
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 13, 2022
知らず知らず「こうに決まっている」と決めつけているのです
洗脳状態と言ってもいい
たとえば、目の前のモニターは、ぱっと目をつぶった瞬間にentanglementになる、わけなのですが、そんなこと考えてもいません
2022/12/11
輪廻 臨死体験
仏教では「空」の中で、我々の個性はmix(つまり、混ぜ合わさって一つ)にはならないと考えている
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022
我々は、どこまでも転生を続けていって、いつか仏菩薩と等しい存在になることになっている
神仏の助け、護りはあっても、「空」の中でmixされ、合一するとは考えていない
ただその、転生するのが、無条件に楽しいとは思っていなくて、むしろ、極楽世界から追い出されるくらいに思っている
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022
天人五衰という言葉があるが、天界の快楽は人間界の快楽よりも大きいのだが、いずれ天人としての因縁が尽きれば、どこかへ転生しなければならない
転生必ずしも楽しくはないのです
仏教では
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 5, 2022
あの世はあるか?とか
死後の世界、とか
臨死体験、とか
初歩的な諸問題であって、いつまでも転生が続くのを苦痛と感じて、いかに輪廻転生を終わらせるかが重要な問題なのです
仏教の始まった2500年前は生きていくのが今よりずっと辛かった、というのはあると思う
臨死体験した人から直接話を聞いたことがあります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 6, 2022
高速でオートバイ事故を起こし、花園に行ったが、後ろに吸い込まれて帰ってきた
死んだら、あそこに行くのがわかっているので怖くないそうです
実は、この方、NHKの番組にも出たhttps://t.co/YBWqT5O1ej
臨死体験については、もう7年前に動画を出していますが、これ結局、死んではいないのです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 6, 2022
あくまでも「臨死」
ただし、いまだ合理的な説明ができない
盛りに盛った話や、長大な尾ひれのついた話が多い
EPRパラドックスが否定されたんで、少しは話が進むかもhttps://t.co/SdSELsFWKK
2022/12/04
神仏の助け 「慈悲のかけら」
「空」の中でプロトコルが成立するには、resonance(共鳴)する必要がある
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022
神仏の「慈悲」と共鳴したいなら、自分にも「慈悲のかけら」が無いと共鳴はしない
だから「誰かを救おうとするものが、救われる」のです
「己界、仏界、衆生界」がそれぞれentanglement だから共鳴し、癒しが可能なのです
仏教はもう2500年やっているわけですから、「空」に多数の先達がいらっしゃることが想定されるわけです
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022
お釈迦様以外にも、過去現在未来で3000仏、数限りない菩薩・護法善神・聖僧・神僧など
この存在達に、「空」の中で応援され手助けされているのです
そもそもですが
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 3, 2022
神仏の加護を得るには、resonance (共鳴)が必要なわけで、様々な作法や修行法など形だけまねても、自分自身に「慈悲のかけら」がないと神仏の「慈悲」と共鳴はしないのです
ノーベル賞でEPRパラドックスは正式に否定される形になったわけで、つまり、万物はentanglementな状態で「空」に存在してる
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 4, 2022
だから、あなたの行い善悪正邪全ては永遠に時空の無い「空」に刻まれていますが、resonance の助けがあれば、永遠のループから救われる可能性がある
因果応報、カルマ、業から自助努力で抜け出すことは、もちろん可能ですが、病気の時、家で一人で寝てるより医者に行った方がいいのと同じで、誰かの助けを得たほうがいいにきまっている
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 4, 2022
加持とか念仏は、そこが原点なわけですが、自分に「慈悲のかけら」があったほうがうまくいくということになります
2022/12/02
自分自身の「空」に触れる 癒し
プラトン哲学や量子論と違って、仏教には生老病死の巷で生きている自分自身の奥底にある「空」にアクセスする方法があります
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 1, 2022
そして、自分自身の「空」に触れなければ、苦厄から逃れることは難しいのです
大まかに言うと、そのやり方は「止観」です
今の自分から離れて、「空」に触れます pic.twitter.com/SzXcRdiYTi
「空」は、つまり、ゼロポイントフィールドですから、秩序が破綻していない
— 瑞樹正哲 (@chohoji) December 1, 2022
完全な秩序と言うこともできる
「空」に触れることで、我々は深く癒されるのです pic.twitter.com/cvj3SowyaH
無意識の観察 呼吸
瞑想の時の呼吸法は、4つ吸って8つ吐く、とか色々言うのだけれど
— 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022
これは、仏教で言う数息観(すそくかん)と本質的に違います
普通呼吸は無意識にしていますが、その無意識の呼吸の数を数えるのが数息観
つまり無意識を観察している
テクニカルな呼吸は、意識した呼吸法
呼吸は、意識的に吸って吐いてとできるし、普段は無意識にしている
— 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022
つまり、意識と無意識にまたがっている
無意識にしている呼吸の数を、ただリラックスして数えるのは、自分の無意識を観察していることになる
何回吸って、何回吐くというのは、意識的呼吸法であり、無意識の観察では無い
数息観は、「ひとーつ」「ふたーつ」と10まで数えて、それを繰り返すのが一般的ですが、100とか50とかやれと言う人もいる
— 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022
やればわかるけど、100までなんて集中力が続かんよ
数えることじゃなくて、普段無意識にしている呼吸を観察するのが大事です
プロトコル 大好き
瞑想の大事なコツに、一番最初に「微笑む」というのがあるのだけれど、これ、今までほんとに誰も言わなかった
— 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022
「無ーーっと」とか、ただ半眼にしろ、とかしかなかった
やってみたらわかるけど、入り方が違うよ
理屈は、プロトコルが「慈悲」だからです
瞑想や坐禅や念誦、などなかなか成果が出ない人は、一番最初に「微笑んで」、神仏に向かって「大好き、いつもありがとう」って念じてから初めてみてください
— 瑞樹正哲 (@chohoji) November 30, 2022
今まで、そんなことしたことありますか
神や仏も、「うれしい」と思うんじゃないでしょうか
第12回御霊屋コンサート
毎年文化の日に十夜会(大治3年(1128))から続く、念仏法要が勤修されます 法要の後に、ささやかな奉納コンサートを行ってきました 今年でもう12回目です 1128年というと、法然さんや親鸞さんがお生まれになる前です 念仏そのものは、慈覚大師が五台山から招来したものですから、...
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長保寺国宝本堂 お寺とか神社にお参りに行って、お堂の前で拝む時のコツです 先ず 微笑んで 自分を信じて 最高の自分になると決意してください (リラックスして、呼吸に意識を集中します) 次に そのお堂の、本尊様の名前を呼んでください 南無観世音菩...
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正月に神社に初詣に行き、盆には寺に墓参り、クリスマスにはツリーを飾る 日本社会では、ごく普通のことですけれど、これは、無宗教などではなく、仏教的な世界観が土台にあるからできることです まあ、無宗教なら寺社参りなどしませんから いまさら、世界中に仏教徒になれとは申...
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奈良の老舗の瓦会社が、去年の11月に倒産していました 瓦宇工業所:老舗瓦業者が破産 負債1.5億円 重文修復の実績 /奈良 http://mainichi.jp/area/nara/news/20141120ddlk29020534000c.html 先代の社長は人間...









