2026/09/08

瑜伽師地論考察 四瑜伽と三密加持

 


羅漢図 長保寺蔵

「瑜伽」はサンスクリット yoga の音写で、語根 yuj(くびきでつなぐ、結びつける)から来ます。仏教では「相応」(ぴったり対応すること)と訳されます。では、何と何を結びつけるのか。

瑜伽師地論の瑜伽行(修行)と理(正しい道理)を相応させることです。さらに広く言えば、
  • 境(観察の対象・教えの内容)
  • 行(実践)
  • 果(悟りの結果)
この三つが、正理・正教と食い違わずに結びつくことを瑜伽と呼びます。『瑜伽師地論釈』は「一切乗の境・行・果等の諸法は、みな瑜伽と名づく。すべて方便善巧の相応の義があるから」と定義します。 つまり「身体と神を合一する」というバラモン的ヨーガではなく、正しい対象・正しい実践・正しい結果が、互いにずれないことです。


『瑜伽師地論』が挙げる四瑜伽

同論は具体的に四つの要素を瑜伽とします。
  1. 信 … 解脱や正理を信解する
  2. 欲 … 証得したい、聞きたい、資糧を集めたいという願求
  3. 精進 … 聞・思・修、障を浄める勤行
  4. 方便 … 戒を守り、念を守り、止(奢摩他)と観(毘鉢舎那)を修する手段
信があるから欲が起き、欲があるから精進し、精進して方便を摂受する。この連鎖全体が瑜伽です。

場面によって「何と何」が変わります。

結びつくもの
 意味
止と観
心を一つに止めることと、ありのままに観察することが平等に運ぶ
境と智
観察対象と、それを見る無分別智が離れない(境智無差別。真諦の阿摩羅識もここ)
教と行
聖教の内容と実際の修行が一致する
行と果

修行が正しい果(転依・涅槃)へ向かう

密教の
加と持   仏日が行者の心水に影ずるを加 行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく

密教の加持はバラモン的ヨーガに近いのですが
加持の前に、瑜伽師地論の説く信・欲・精進・方便の瑜伽が前提にあって初めて修行が始まるのであって

信無し… 解脱や正理を信解せず
欲無し … 証得したい、聞きたい、資糧を集めたいという気持ちがなく
精進無し… 聞かず・思わず・修めず、障を浄める勤行もしない
方便… 戒を守らず、念を守らず、修行しない
 
これでは、三密加持しているつもりなっても、全く話になりません
こういう詳しい前提条件が論じられることがほとんどなくなってしまったことが、はっきりした加持感応が廃れてきている原因の一つでしょう
こういうことは、表面的には見えないことですから、評価のしようがなく、誤魔化しがききます
ただ、真面目に成果を出したいなら、留意する必要があります

「解脱や正理を信解する」というのは、つまり仏教を真剣に学ぶ必要があるということで、この文脈で言えば、「摂大乗論」「成唯識論」を基本とした仏教の基本的仕組みを知る必要があるということになります
これは、今の日本では奈良の法相宗として整理され、密教から見れば過去の遺物の如き扱いを受けているのですが、三密加持を成就するには避けて通ることはできないと考えるべきでしょう





中有(ちゅうう)

  不断念仏式 長保寺 大治三年(1128)に念仏法要をしていた  法然上人の生年(1133)、親鸞上人の生年(1173 ) 瑜伽師地論が説く、生と死のはざま 諸説あり、というのが正直なところです。 生と死のはざまである中有は、説一切有部が「死有と生有のあいだに実在する身」として...