金剛界曼荼羅図

長保寺は、西暦ちょうど1000年(長保2年)に始まりましたから、今年で1012年目の寺ということになります 
それだけ長く継続していますので、仏像・仏画など非常に多数の文化財が残されています
ホームページですでにご紹介しているものを含め、このBlogでも、ご紹介していこうと思います


仏画類は、現在は和歌山県立博物館に寄託され、厳重に管理されています
数百年前の古い物は、実際に出してお寺のお堂で礼拝するのは事故の恐れがあり、困難です
普段は、巻かれて博物館の収蔵庫に収蔵されていますが、広げてまた巻くだけで、古い絵画は痛むのです
実物をご覧いただくのは難しい、というのが現実ですね

古い物は、見るだけでもなかなかチャンスがありませんから、博物館で展示されることがあれば、是非見ておいてください
これから、ますます、本物を見る機会が少なくなると思います


この曼荼羅の上の方が、やや黒ずんで見えるのは、礼拝する時使う、ロウソクの煤のせいです
実際に、煤で黒ずむほど長時間拝まれていたということですね




金剛界曼荼羅図  
縦105.2 横88.2 絹本著色 鎌食後期(十四世紀)

両界曼荼羅図は、密教寺院の堂塔内に左右一対で置かれるのが通例で、真言密教の根本経典である両部大経(金剛項経・大日経)の説くところを図化したものである。
これは、弘法大師空海の師・恵果が八世紀に金剛界法・胎蔵法の両部を受法し、初めて描かせたものと言われる。延暦二十三年(804)入唐した空海は、恵果に師事しての帰国にあたって唐の画工李真ら描くところの両界曼荼羅を授けられ、我が国に初めて請来している。この空海請来の両界曼羅図の原本(現図曼茶羅)は早くに損傷して失われたが、真言宗の根本曼荼羅として転写され、平安時代初期のものは極めてまれであるが、各時代の作品が数多く伝世している。
長保寺に伝来する両界曼荼羅は四対であるが、この双幅が最も古く、真言系の曼荼羅と考えられ、描線が幾分か太く単調になり画絹の目も粗いことから、鎌倉時代後期(十四世紀)に位置づけられる。
「寄進帳」によると、和歌浦雲蓋院の第四代住職憲海(寛文十二年まで在職)が修復を加えており、同様の由緒を持つ数件の仏画とともに紀州徳川家菩提寺となる以前から長保寺に什宝として存したものと考えられる。



和歌山県立博物館「長保寺の仏画と経典」より

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