刺繍で描かれた地蔵菩薩

手の込んだことをするものです
これは、実物に近づいてよく見るとわかるのですが、刺繍です


絵の具で描くだけが仏画ではありません
制作する過程が、信仰生活なのです

紀州徳川家は、地蔵菩薩を特に信仰していました
多数の仏像、仏画が残されています


江戸時代の過去帳を見るとわかるのですが、子供が生まれて、そのうち成人するのが五人に一人くらいの割合です
これは、大名も、町民、百姓も同じです

今でも、アジア、アフリカ、南米の奥地で同じことです
十分な医療と栄養がなければ、五人に四人は死んでしまうのでしょう
逆にいえば、女性は五人以上の子供を産めるようにできているということになります
そうでなければ、人類は今まで生き残ってこれませんから・・・

紀州徳川家の大奥の女性は、亡くなったお子さんを供養するために地蔵菩薩を熱心に信仰していました

経典によれば、地蔵菩薩の前世は光目女という女性でした
姑に徹底的にいじめられるのですが、自分をいじめ抜いた姑が亡くなったあと、悪業の報いで地獄に堕ちたと聞いて、「助けにいく」といって自殺して地獄にいくのです
それほど、心根のやさしい人だったということです
そして、地獄で姑を救い、自分は菩薩として地獄にとどまり、地獄に堕ちてくる亡者を救い続けています



人をのみ渡し渡して己が身は
岸に上がらぬ渡し守なり
地蔵菩薩像       一幀
刺繍 (絵画部分) 縦50.7 横29.8
室町中期(15世紀)




 近年改装されて額装となっているが、元来は、表装部分まで含めて刺繍で表された地蔵菩薩の繍仏である。
現状は退色が著しいが、少なくとも七色以上の色糸を用いており、細部の表現も緻密である。
 江戸後期の宝物目録に初出し、初代藩主・徳川頼宣あるいは寛文年中に徳川家から寄付と記されている。


和歌山県立博物館「長保寺の仏画と経典」より

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