ホモサピエンスの教え

お釈迦様は、人間です
ホモサピエンスであったことは間違いありません

お父さんはシュッドーダナ、お母さんはマヤ
奥さんがいて、ヤショーダラ、息子がラーフラ

亡くなったあと荼毘にふされ、遺骨は仏舎利として、インドのデリー国立博物館で拝観できます
僕は、もう何回も拝観させていただきました


お釈迦様は、人間として、世の無常を苦悩し、出家し、悟りを開き、問題を解決しました



イエスキリストは、マリア様が処女で受胎したのですよね
だから、厳密な意味でホモサピエンスの範疇に入るか微妙です
むしろ、神と人とは、画然とした違いがあるというのがキリスト教の立場であって、ホモサピエンスだと言われちゃ困るのかもしれません

イスラムのアラーとは、アが呼びかけで、ラーが神で、「神よ」という意味だそうです
ムハンマドが大天使ガブリエルから啓示をうけて、それを人々に説いたのが、今のイスラムです
神が直接しゃべったんじゃありません
だから、神は、最初から、人間じゃありません

ですから、人間でない存在が説いた一神教的な神という存在の理解からすれば、仏教は宗教じゃありません
哲学です

序列的に言えば、ソクラテス、プラトン、孔子、釈迦、は偉大な人間
という並びになりますね

で、ローマのパンテオンですけど


パンテオン平面図 紀元126年


周りの壁面にローマ帝国の神々が並び、真中は空洞でした
(現在は、キリスト教の教会になっちゃいました)

ローマ帝国の時代、すべての神々は平等に処遇されていました
そして、真中の人間の、ソフィア、智慧を信じていたのです

仏教的に言えば、そのまた人間の智慧の根底にある仏性を信じるのです
これ、専門的に学術的にいうと、かなり高度な問題になります
仏性は、つまり、つまんで持てるような物体じゃありませんので、根拠を出すとなると、おおごとなのです

で、とにかく、壁に並ぶのは、人間じゃないそれ以上の存在
真中に人間がいて、それらを崇めると

じゃ、お釈迦様をあてはめるとしたら、どこに来るのか

うーむ、難しい問題になってきます
どうも、壁に並べてもらえそうにありません


宗教とは、宗が「尊ぶべき」とか「旨とする」「規範となる」という意味で、平たく言うと、尊い教え、位の意味です

ですから、仏教は宗教かといえば、それでいいんですが、ホモサピエンスである、お釈迦様が、人間の言葉でしゃべったんですから、神の教えじゃありません


だから、一段下の宗教だと言われそうなんですが
キリストやアラーは異星人だとか
自然霊である太陽神とか宇宙神が一番偉いとか
妄想も含めて、もろもろ、優劣つけられそうです



それでですね

人間であるお釈迦様が説いたから、人間である我々に身近である、と言っちゃあいけないでしょうか

人間以上の神が、アホな人間を教えるのは結構ですが
いろんな神様がいて、喧嘩してるのが人間界であるのです

人間同士の喧嘩もやむ気配はないし

その人間が、たどりついた彼岸

自分を信じるなら、人間を信じ、人間のたどりついた彼岸を信じることになるんじゃないですか



お釈迦様を信じなくても結構ですよ
だけど、自分を信じてください・・・・・

その、ずっと先にお釈迦様がいますから


このブログの人気の投稿

お堂の前で拝む時のコツ

六器

多神世界 仏教の世界観