2012/04/19

花の寺の由来


花の寺の由来

長保寺ホームページからの転載です
http://www.chohoji.or.jp/intro/virtual_tour5.htm


白い牡丹の花が描かれています
今、長保寺は「花の寺」ということを皆様にご案内しておりますが、これは思いつきとか作った話とかでなく、もともとの由来がある話です。

吉宗の時代の頃に描かれたとされている「長保寺絵図面」に牡丹栽培の様子が描かれています。


牡丹畑の様子


牡丹は江戸時代から栽培が盛んで、おそらくは藩主の好みの贅沢で豪華な花ということで、境内の畑で栽培されていたようです。
普通の作物が栽培されていた様子はなく、牡丹だけが栽培されていたようです。
それぞれの藩主には好みの花があったようです


牡丹孔雀図  一幅

絹本著色
縦133.2 横56.3
江戸後期

長保寺に伝来し徳川治宝自筆と伝えられる資料である。細密で濃艶な彩色によ
り、岩の周りの孔雀と牡丹の花を描く。

和歌山県立博物館「八代将軍吉宗と紀州徳川家」より

4月19日の牡丹 2









4月19日の牡丹







御廟裏門のシャガ


八重山吹


2012/04/18

受付屋根の切褄(きりつま)



二つの屋根を比べてみると・・・
屋根の端の部分(切褄)の瓦が下向きに葺いてあります
普通はやらないです

懸魚(げぎょ、下に向けて垂れ下がっている飾り)も似せてあります










実は、上の写真は長保寺の受付

下の写真は、奈良の海龍王寺の西金堂(天平3年(731)重文)の屋根です

長保寺の受付は、海龍王寺の重文西金堂の屋根を参考に作られたのです

いえいえ、パクリではありません

海龍王寺と長保寺には深い縁があるのです

長保寺に伝わる、「隅寺心経」は、この海龍王寺で書写されたのです
海龍王寺を、別名、隅寺(すみでら、天平時代には奈良の都の隅にあったから)というのです
その隅寺で書写されたから「隅寺心経」


古い縁のあることを示すために、屋根の葺き方の仕様を取り入れたのです


長保寺 心経 紙本墨書 縦26.0 横42.2  天平時代(8世紀) 長保寺蔵

くわしい心経の説明はこちら 図解 般若心経





4月18日の牡丹の様子







AIが要約した、癒される瞑想

  Xをあちこちクリックしていたら、意図せずAIが要約を作ってくれた こんなこと書いてたのか、と自分でも忘れていたことまで見事に要約してくれてます オレンジ色の字は、今回付けた注釈です   瞑想の具体的な手法について (長保寺の瑞樹正哲住職)が発信されている「癒される瞑想(瞑想の...