大河の畔の菩提樹の枝で、フクロウさんが静かに羽を休めながら、ゆっくりと言いました。
「難しい話は置いておいて、まずこれをやってみるといいよ。
そっと目を閉じて、この菩提樹の大きな幹に背中を預けているような、絶対的な安心感に身を委ねてごらん。
微笑む。
大河のきらめきと、菩提樹のぬくもりに包まれて、自然と心がほどけていくのを感じる。
仏様の名を呼ぶ。『南無釈迦牟尼仏』。
その声は、菩提樹の葉を揺らす風となって、静かに世界へ溶けていく。
仏様の「すべての人を、自分と同じ悟りに導く」という誓いの力がとどく。
仏様の「すべての人を、自分と同じ悟りに導く」という誓いの力がとどく。
息を吸う。
大地に深く根を張り、天へと枝を広げる菩提樹の、生命力にあふれた『温かい気配』を吸い込む。
そして、どんな苦しみからも救い出すという、お釈迦様の力をうけて、心が満たされていく。
息を吐く。
心の中に満ちたぬくもりと力を、呼吸に乗せて、そっと大切な人たちへ届けるように分け合う。
力まず、ただこの木陰の心地よさを味わいながら、静かに呼吸を繰り返す。
疲れたらいつでも止めて、仏様と菩提樹に感謝を捧げればいい。
そして、誰も苦しめない、と決意する。
身体で息をし、声で名前を呼び、心でぬくもりを感じて『誰も苦しめない』と思う。重なると、ただぼんやりしているときよりも、心の奥に眠っているものが起きやすくなる。
人の心の奥には、まだ完全じゃない心のなかにも、『より善くなれる可能性』が種のように眠っているんだ。
この木陰での息も、名前を呼ぶ声も、決意も、全部重なって、目を覚ましやすくなるきっかけになる。外から完全なものが入り込むんじゃなくて、もともと内側にあった可能性を、縁によって起こしていくんだよ。
種が起きて動き出すと、その動き自体がまた新しい『善い種』を心の奥に残していく。
一度やっただけで全部が変わるわけじゃない。でも、繰り返すたびに、少しずつ善い種が増えていく。川の流れのように、心は、始りも終わりも無く続いていくから、今の生で全部うまくいかなくても、その種は次へとつながっていくんだ。
この世界は、仏を信じる人も、キリストを信じる人も、アラーを信じる人も、八百万の神を信じる人も、みんな同時にいる場所だよね。もうそういう世界なんだよ。多神世界と言ってもいい。
そのなかで、みんなを尊重しながら自分を見失わないでいるために、この木陰で自分の善い種を呼び覚まし続けるのさ。
外のさまざまな教えや人の言葉に、ただ言いなりになるんじゃなくて、『より善くなれる可能性』の種が自分の内にあるからできるんだよ。」
外のさまざまな教えや人の言葉に、ただ言いなりになるんじゃなくて、『より善くなれる可能性』の種が自分の内にあるからできるんだよ。」
フクロウさんはいったん言葉を切り、川面を眺めました。
朝の光が大河の表面をきらめかせ、小さな波がゆっくりと重なり合っています。落ちてきた木の葉が一枚、流れに乗って静かに揺れながら、遠くへ運ばれていきます。
「川の流れは、心そのものが始まりも終わりもなく続いていく様子に似ている。
その連続する心のなかで、種と縁が重なって動きが起こり、木の葉を動かしていく。独立した自分なんてないんだ。
種と縁が重なって、心が生まれるだけなのに、それを『自分がやっている』と捉えてしまうんだ。
でも、『どんな木の葉でいるか』だけは、今の行いによって少しずつ変わっていく。心に種を残すことはできるんだ。
『より善く』なんて考えてできることじゃないけど、仏様と繋がって祈り続けていればできるんだ。祈り続けることは、善い種を、静かに、少しずつ残していくことなんだ。
川は流れ続ける。翻弄されて流されていく自分に、どうにかできるのは、『完全な心になる可能性』を信じて、今ここで自分の心にどんな種を残すか、それだけだよ。」
フクロウさんはそう言うと、またゆっくりと目を細め、大河のきらめきを静かに眺めていました。
