諸法従縁生 無執即無我 無我起等観 等観起菩提
すべては、条件がそろって今そこに現れただけである。
その苦楽に執着しなければ、自分という実体はない。これが無我である。
無我から、自分の苦と他の苦を同じく見る心が起きる。これが等観である。
等観から、皆の目覚めを願う心が起きる。これが菩提である。
苦や楽は、条件がそろって今そこに現れる。
その苦楽に執着しなければ、実体の我はない。
我が無いから、平等の心が起き菩提心となる。
その苦楽に執着しなければ、実体の我はない。
我が無いから、平等の心が起き菩提心となる。
苦や楽は、条件がそろって今そこに現れる。
今の苦や楽は、自分の中から生まれた固有のものではありません。身体、心、周囲、過去の習慣など、条件がそろって、そのときそこに現れているだけです。
その苦楽に執着しなければ、実体の我はない。
苦が起きたとき、人はたいてい「私が苦しんでいる」と見ます。楽のときも「私が楽しい」と見ます。その「私」は、苦楽の奥にいつもいて、苦楽を受け取っている本体のように置かれます。
しかし、「自分は不運だ」「自分は不幸だ」「自分は幸せだ」と決めつけず、条件がそろって今そこに現れているだけと見れば、受け取る本体を別に置く必要がなくなります。あるのは、条件で現れた苦楽だけです。その奥に、変わらず苦楽を持つ自分という実体はない、と見えてきます。 それが無我です。
我が無いから、平等の心が起き菩提心となる。
自分という中心が立たないと、自分の苦と他の苦を分けず、同じように見る心が起き、そこから皆の目覚めを願う心、菩提心が起きます。
