今日一日、苦しみを与えない
諸行無常 諸法無我 一切不可得
明日一日、苦しみを与えない
今、我々が生きているこの世界は、外界実在論でいえば、我々が住んでいる場所で、死とは、一人ぽつんとこの世界から消え去ることだ
ところが、唯識論でいうと、この世界は器世間といい、衆生に共通する種子(共相種子)から、それぞれの識が似た世界を変現するとしている
だから、唯識論でいう死とは、人格は死によって終わるが、その人の行いが阿頼耶識に熏習され(共相種子として残るものもある)、その人生が虚無に帰したのではない
そして、阿頼耶識とか共相種子とか呼ばれる縁の継続は、この世界のあり方そのものであり、不断に続く
自分の人格に愛着を持つのは当然なのだが、死によって失われるのは受け入れるしかないのだろう
ただそれで、自分の人生の意味の全てが否定されるわけではなく、阿頼耶識への熏習と、世界の縁起は不断に続く
であるから、仏教は、識の続き方を心配している
その答えが、最初に掲げた三句となる
